米国による誘拐か、キューバからの救出か:マドゥロが恐れた味方の裏切り

黒いスズメバチは倍いた:護衛64名の“実数”が示すもの

マドゥロ大統領を護衛していたのは、キューバの特殊部隊「黒いスズメバチ」と呼ばれる部隊だ。当初、キューバ政府はこの部隊の32名が戦闘で死亡したと明らかにした。しかし実際には同数の32名が控え室で睡眠をとっており、計64名が護衛として存在していたという。おそらく2交代制で大統領を護衛していたのであろう。

米国が空爆を開始した時、睡眠中だった32名は一瞬にして焼死したとされる。また、実際に大統領護衛として配備されていた人数は全体で100名に上ったとも言われており、これは内務相でマドゥロ政権のNo.2とされたディオスダド・カベーリョ氏が明らかにした(1月9日付「リベルター・ディヒタル」)。

さらに米国側は特殊部隊デルタフォース200名を投入し、交戦が行われたとされる。米国側の負傷は僅か2名だったという。数字だけ見ても、軍事力の差は歴然だった。

チャベスは自国軍を信用しなかった:キューバ依存の必然

「黒いスズメバチ」は1980年代にフィデル・カストロ氏の弟ラウル・カストロ氏が創設した部隊である。当時ラウル氏は革命防衛軍の大臣で、キューバの軍・治安の中核を担っていた。

ベネズエラのボリバル革命を率いたチャベス前大統領は、早い段階から自国軍の護衛を信頼していなかったとされる。彼はフィデル・カストロ氏と協力関係を深める中で、安全保障と諜報機能をキューバ軍人に委ねることを要請した。その結果、秘密警察SEBINや軍事反情報部DGCIMは、キューバ軍人の主導で創設された。

この構造はマドゥロ政権まで引き継がれた。ベネズエラ軍の将校たちでさえ大統領と面会するためにはキューバ軍人の許可を得る必要があり、国内では「キューバの衛星国」と揶揄する声すらあった。

つまり、「黒いスズメバチ」がベネズエラ大統領を護衛していたことは異常ではなく、むしろチャベス時代の延長線上にある「必然」だった。

マドゥロを育てたのはキューバだった:社会主義教育の帰結

マドゥロ氏にとってキューバは“政治的故郷”とも言える。彼は若い頃にキューバで社会主義思想を学び、労働組合運動についても現地で指導を受けた。そのため彼の思想形成と政治姿勢は、キューバの革命路線と重なる部分が大きい。

チャベス氏が病気で後継者を選ばざるを得なくなった時、ラウル・カストロ氏が推薦したのがマドゥロ氏であった。チャベス氏はその推薦に従い、マドゥロ氏を後継者に指名する。名実ともにベネズエラはキューバの衛星国となった瞬間である。

これに不満を抱き続けたのが内務相ディオスダド・カベーリョ氏である。彼はチャベス氏の最も忠実な側近であり、自らが後継者になると信じていたからだ。

しかし、最終的な結果として“キューバが作り、チャベスが任命した後継者”が国家を継承し、以後もキューバは原油輸送の恩恵を受け続けた。国内の燃料不足にもかかわらず、マドゥロ氏がキューバへの供給を止めなかった理由はここにある。

それが逆に、キューバ体制の延命と依存を生み、今回の崩壊危機につながっていった。

 “誘拐”ではなく“救出”だった:マドゥロが選んだ現実

今回の作戦をめぐり、米国はマドゥロを“拉致”したとの批判が国際的に出ている。しかし、スペイン政界にも関わった元コカ・コーラ副社長マルコス・デ・キント氏は「マドゥロは米国に誘拐されたのではなく救出されたのだ」と発言した。

彼の言う「救出」とは何か。

実はキューバ側はマドゥロを“護衛できなくなった場合に殺害せよ”という命令を特殊部隊に与えていたという情報がある。マドゥロ自身もそれを把握していた可能性が高い。

空爆が始まった際、キューバの特殊部隊がマドゥロに塹壕に入るよう命令したが、彼は従わなかった。塹壕に入れば味方に殺されるリスクがあったからだ。
その行動は、彼が米国による保護を望んでいたことの裏返しでもある。

ゆえに、国際社会が「国際法違反」と批判する一方で、当の本人はニューヨーク到着後もリラックスした姿を見せ、DEA職員に話しかける余裕さえあった。「救われた」と感じていたのであろう。

なお、デ・キント氏はコカ・コーラ解任時の慰謝料を巡り訴訟を起こし、勝訴して5000万ユーロを得た人物でもある。

トランプ大統領(ホワイトハウスX) マドゥーロ大統領 Wikipediaより