黒坂岳央です。
「高い結果を期待するのは精一杯努力した人」と思っていた。しかし、長い間人生を生きていれば、「何の努力もしない人ほど、なぜか不相応に高い結果を期待する」ケースが多いと感じる。
大して勉強を頑張らないのに、悪い点数が出ると過剰に傷つく。
必死に仕事をしたわけではないのに、人事評価が悪いと不貞腐れる。
こういう人たちだ。大した努力をしていないなら、パッとしない結果も受け入れるしかないのだが、なぜこのような心理になるのだろうか。考察したい。
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「成功ガチャ」と淡い期待の罠
「頑張る、という過程に無頓着でありながら、結果には大きな期待をする」
こうした人達にとって成功は一種の「ガチャ」であった可能性が高いと見ている。
親が段取りを整え、教師が道筋を示し、上司が手を出す。多大なる周囲のサポートによって「大した努力をせずとも、楽にハードルを突破できてしまった」という成功体験である。
「今回も、待っていれば誰かが助け舟を出してくれるのではないか?」
どうしても淡い期待をする。これが続けば、人は努力をしなくなる。コスパが悪いからだ。
しかし、若い頃は親も上司も必死にカバーするが、だんだん在籍期間が長引くと「いい加減に自分でやれよ」と愛想を尽かす。20代後半、30代のいい年になればもう誰も手を出す人などいない。だが本人は年を取っている自覚がないので、わがままが継続。
これはある意味で悲劇だ。周囲が甘やかしすぎると、結局苦労をするのは本人なのだ。
「不貞腐れ」という防衛本能
彼らはやる気をなくし、不貞腐れる。これはある種の防衛反応だ。
「本気でやって失敗する」ことは、彼らの脆弱な自己肯定感にとって致命傷になる。だから、あえて努力をしない。努力をしなければ、「本気を出せばできたはずだ」という言い訳を、自分の中に留保できるからだ。
先ほど述べた通り、若い頃は周囲が困るので仕方がなく助ける。ますます、「過程には無頓着、結果にはこだわるい」というテイカー思考が強化される。
だが、現実は厳しい。いつまでも周囲は我慢したりはしない。行き先を失うのは時間の問題だ。不満足な現状を自分に原因があることをメタ認知する能力がどこかで獲得が必要となる。
そう、人生はどこかのタイミングで必ず目を覚ます必要がある。「権利を得るには義務を果たせ」という本質にだ。
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厳しいことをいうと、ビジネスの世界において「過程」を放棄した者に、結果を悲しむ権利などない。「頑張らないのは自由だが、不本意は結果を全部受け入れなさい」が答えである。
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