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2026年総選挙。投開票日を2月8日に控え、高市人気はとどまるところを知らない。
私は節分の空の下、期日前投票を済ませ、複雑な思いで各党の原子力政策を見つめ直した。変わりゆく政治の潮流を、自身の原風景とともに解き明かしたい。
『シン原発』と『ゼロ原発』だけになった
『シン原発』は新造語である。
原発の最大活用、活原発、原発新設を進(シン)めるなどあわせて真の原発推進を『シン原発』と呼称することにする。
今回の総選挙の最大の注目は、高市早苗vs中道改革連合ということか・・・
中道というのは池田大作先生の教義のひとつらしいが、普通に解釈すれば〝真ん中あたり〟ということではないか。
しかし、原発政策に関して言えば、中道改革連合(中道)の立ち位置は立憲民主党のころのマニフェストから随分と右寄りになってしまったではないか。
その中道を除けば、実質的に原発ゼロを標榜するのは、れいわ新選組のほかは古参かつ時代遅れの共産党と社民党しかない。
私はそもそも選挙権を得た当時の頃は〝社会党〟押しだった。
私が通った高校は兵庫県の丹波の山奥の柏原(かいばら)高校で、私の高校時代はその高校の社会科教師の赤い薫陶のもとにあった・・・ので社会党シンパということになっていた。
さて、中道を除いて、れいわ・共産・社民以外の各政党は、軒並み〝シン原発〟。まあ言い方を変えれば〝原発右翼〟である。
3.11直後、相変わらず原発推進を標榜していた私は、反原発の諸氏はじめメディアから『原発右翼』の銘を賜り総攻撃の憂き目にあっていたが、今般の情勢をみるにつけ実に複雑極まりない思いが去来する。
中道の〝もやもや病〟原発政策が小泉純一郎を見捨てた
中道はもやもや病にでもかかったのか!?
その原発政策にももやもや閉塞感が拭いきれない。もう政治的脳梗塞寸前だろう。
以前の立憲民主は「2050年までのできるだけ早い時期に原発ゼロ」をうたい、公明党は「原発依存度を低減」としていたはずだ。
自民党が原発の最大活用に舵を切って以来、小泉純一郎の『やればできる原発ゼロ』精神論のよって立つところ、受け皿は事実上立憲と自民内の反原発筋しかなかったのだが、これじゃあもう小泉純一郎はみなしごハッチではないか。この先、どうやって遣り過していらっしゃるおつもりなのか老爺心ながら心もとないところである。
ふたつの毒:旧婦人部と中国共産党、国民と連合
自民党は、岸田政権時に〝原子力の最大活用〟に舵を切る以前は、〝原子力への依存度を限りなく低減〟をうたっていた。自公連立下での圧があったのだろう。
自民党内にも原子力に慎重な代議士は根強くいたが、原発推進への最大の足枷になっていたのは公明党。公明党の集票力の源動として隠然たる影響力を持ってきたのが創価学会旧婦人部(現女性部)であるという・・・これは、原子力ムラの核燃料サイクル推進の急先鋒筋のインテリジェンスから仄聞した話である。
歴史を遡って1972年の日中国交正常化直後から、池田先生率いる婦人部は中国共産党中枢部と刎頸の交わりを築いてきたというのである。
その公明党が、自ら進んで政権から出ていったことは、原子力推進のくびき、足枷がはずれて実にスッキリして良かったのであろう。
ちなみに、中道共同代表の斉藤鉄夫氏は、東工大原子炉工学研究所(現東科大ゼロカーボンエネルギー研究所)で原子核工学修士課程を修めたれっきとした専門家である(斉藤氏のWikipediaの学歴にはそのことはなぜか明示的には記されていない)。同じく東工大卒の菅直人氏の自称原子力専門家とはレベルが違う。
国民民主党の原子力マニフェストは従来よりもっとも真っ当であり続けてきた。他の政策も含めてなぜ高市政権に合流しないのか不思議きわまりなかった。足枷になっているのは、連合会長芳野友子氏の『2大政党』幻妄にあるらしい。
日本の2大政党が見果てぬ夢であることは、55年体制以降の歴史が証明しているではないか。とりわけ初期の2大政党の相方である社会党の凋落には幾度となく私は落胆してきた。
労使対決という二項対立が、労働運動のよって立つところとする以上、立憲がかねてよりグダグダしていて、さらに今次公明にキャスティングボードを握られるようにして右傾化し遂には雲散霧消しつつあるいま、連合としては国民民主を手放す訳にはいかないのであろう。
連合内の強力な勢力とも目される電力総連は20万人超を擁する。電力総連は勿論バリバリの原子力推進(シン原発)であり、国民民主の支持母体でもある。
総選挙2026の趨勢——圧倒的高市人気はシン高市政権誕生に
オールドメディア朝日新聞が、自民と維新の獲得議席数が300超をうかがうという分析を報じた。自民党のその筋はこの報に強い警戒感を示し一気に引き締めに走ったという。
ネットメディアの選挙ドットコムは、下図のような分析を示した。
ネットコンテンツの閲覧総数とその内容と傾向が示すのは、高市早苗氏の圧倒的強さであり、その勢いが自民党自体も引き上げている。
それに比して、中道はひ弱くモヤモヤしていてまったく勢いがない。なにを措いても、よく見られているコンテンツが中道に対するネガティブなものであるというのは致命的ではないか。
高市氏のYoutube広告も若者を巻き込んで、7000、8000万というビューワー数の伸びを示しているという。
こういった異形ともいえるネットメディア系の高市人気がそのまま自民党や維新の獲得票数につながる訳では無いが、自民・維新圧勝の傾向は日を増すごとに勢いづいており、自民・維新で320議席という予想さえネット上で踊り始めている。
これら300超の数字を丸呑みする訳ではないが、選挙公示直後の予想を大きく超える選挙結果が待ち受けているのかもしれない。
高市イズムが選挙の洗礼を受けて〝シン高市政権〟誕生となるのか。
シン高市政権の原子力政策——真の国策原子力
さて、上記のような景気の良い議席数獲得がもし成ったとして、そのシン高市政権のシン原発政策の先行きはどうなるのであろうか?
わたしは事あるごとにAI/データセンターの時代、GXのためには『大型原子力発電所100基相当以上の新設が必須』と主張してきた。
今の厳しい懲罰的原子力規制のもとでは、革新的軽水炉の新設がバンバン進むことはありえない。原子力規制体制の抜本的改革は必須である。
そもそも懲罰的原子力規制の罪はそこかしこに見え隠れしている。事業者筋から聞こえてくるのは、今回の中部電力の基準地震動を巡る不正の背景にも、無闇に厳しくかつ曖昧(ゴールポストがやすやすと移動させられる)模糊で粘着質な規制が立ちはだかっており、たまりかねた挙げ句のことで深い同情を禁じえないというものだ。
そして、また再び重大事故が起こらないとは当然のことだが言い切れない。万が一に備えた〝あるべき原子力賠償制度〟への見直しも必須である。あるべきとは、最終的には政府つまり国民が責任を負う現実的な賠償制度である。
大型原発1基の建造にはいまや1兆円を超えるコストがかかる。100基といえば100兆円を超える。これは民間投資では中々まかないきれない。
民間事業者は、一部の例外を除いて、もはや原子炉の新設の意欲そして財力は失せているという。
これらのことを考えれば最早〝国策民営〟の原子力は70余年を経て劣化著しく行く手が塞がれていると言って良い。
残された現実的処方は、国策民営などというあいまいなものではなく真の国策原子力を打ち立てることであると私は考えている。
国家の安全保障も原子力も国民一人ひとりが〝自分ごと〟として捉えて責任をもつ時が来ている。
「シン高市政権」の誕生が、単なる政治の勝ち負けに終わるのか、それとも未来のエネルギー安全保障を担う「真の国策」の第一歩となるのか。
2月8日、その審判の日はまもなくだ。