黒坂岳央です。
社会に出ると真の実力とは関係なく、「初印象」がその人の実力のように受け取られてしまい、その後も印象を変えることは難しくなる。だから初対面の印象は極めて重要であり、特に会社で働く上では決定的だ。
世の中には「頭が悪い」と相手に思わせてしまう受け答えが存在する。これは実際の知能指数とは全く関係がない。それゆえにそう思えるとシンプルに損をする。
そしてこれは自分では自覚しづらい。特に最近はいちいち指摘しない傾向にあり、自分で意識することが大切だ。
pain au chocolat/iStock
「人による」
まず最も典型的なのがこれである。たとえば「〇〇な人は成果が出にくい」という話をしたとする。すると必ず出てくるのが、
「人による」
というテンプレのような返しだ。これは反論の形をしているが、実態は議論の停止である。
世の中の多くの議論は、統計的確率論で進む。「傾向」としてどうか、「再現性」があるか、「多数派としてどうか」という話だ。そこに単発の例外を持ち出して反証した気になるのは、そもそも議論のルールを理解していない。1つ、2つは例外があるのは当然であり、そんなことは参加者全員が分かっているのだが、この発言をすると「この人は議論の土台に立てていない」という印象を与える。
そしてこれは仕事でよくある。たとえば上司が「この施策は失敗確率が高い」と言ったときに、部下が「でも前職ではうまくいきました」と返すような場面だ。確かに前職でうまくいったことは事実だろうが、今の会社で再現しなければ何の意味もない。前提条件が違うからだ。なのにその違いを検討せず、単発の成功例で押し切ろうとする。たとえるなら、1回だけ当たった営業が「このトークなら誰でも売れる」と言っているようなものである。
例外を出すなら、せめて「事実」を言うのではなく、例外の「発生条件」を提示すべきである。つまり、「その傾向は確かにある。ただし、〇〇という条件がある場合は例外になりうる」という形に整理する。これができないなら、黙っていたほうがいい。
極論
次に多いのが、話をすぐに極端化する人である。
「じゃあ何?全部ダメってこと?」
「それなら努力しても意味ないじゃん」
この手の返しは、議論の解像度を一気に下げる。議論というのは白か黒かではなく、基本的にグラデーションの世界である。どちらがよりマシか、どの程度なら許容か、どの条件で変わるか。そこを丁寧に扱うことで、意思決定の精度が上がる。ところがゼロヒャク思考の人は、白黒でしか理解できない。だから会話が成立しない。
たとえば「SNS運用は短期で成果を求めると失敗しやすい」と言っただけで、「じゃあSNSはやる意味ないってこと?」と返してくる。明らかにそうではない。「短期で」成果を求めると失敗しやすい、というだけである。そのため、中長期で設計すれば意味はあるという話は成立する。
このタイプは、仕事でも「極端な提案」をしがちである。「コスト削減が必要だ」と言われると、「じゃあ広告を全部止めましょう」とか言い出す。現実は、削減の余地を分析し、優先順位を付け、影響を最小化しながら調整するものだ。それができないから、極端な案しか出ない。
ゼロヒャク思考の怖さは、本人が「論理的」だと思っている点にある。実際は論理ではなく、思考停止である。極端化すれば、考えなくて済むからだ。
質問に質問で返す
これは議論が苦手な人が必ず使う逃げ技である。
「それってあなたの感想ですよね?」
「じゃあお前はできてんの?」
この返しは、議論の内容に対する回答ではない。論点から逃げて、質問し返すことで優位に立ちたい心理の現れだ。
ビジネスの現場でこれをやると、最悪の評価を受ける。たとえば上司が「この資料、この部分の根拠が弱いので補強してほしい」と指摘したときに、「じゃあ部長ならどう書くんですか?」と返す。これは議論ではない。責任転嫁である。上司が言っているのは、資料の改善点である。答えるべきは部下であり、「どこが弱いのか」「どう補強するか」を提示するのが筋だ。
質問に質問で返す人は、相手を黙らせる効果がある。だから本人は勝った気になる。しかし周囲からは「議論ができない人」「会話が卑怯な人」として記憶される。結果として、重要な話し合いから外される。
主語がデカすぎる
これは頭の悪さが最も分かりやすく露呈する返しである。
「男はこうだ」「女はこうだ」
「日本はこうだ」「海外はこうだ」
主語がデカいということは、観察が雑ということである。少数の印象を、全体の法則にすり替えているからだ。雑な観察から雑な結論が生まれる。これは議論ではなく、偏見である。
もちろん統計として語るなら話は別だ。「調査によれば、Z世代の〇〇割合はこうした傾向が見られる」という形なら議論になる。しかし多くの人は、極端に少ないサンプル数の印象だけで全体を語る。これが最も危険だ。偏見が強化されるからである。
主語がデカい人の頭の悪さは、単に雑というだけではない。「分解できない」のである。複雑な現象を要素に分解し、条件を特定し、再現性のある理解に落とし込む。それができないから、主語を巨大化させてまとめた気になる。
◇
これまでの特徴には共通点がある。それは、会話の責任を取らないことである。頭の悪い印象は、知能の問題というより「責任への態度」の問題なのだ。これらの返しに共通するのは、議論を前に進める意志がないことだ。会話を共同作業として扱えない人は、どれだけ知識があっても「頭が悪い」という印象を与える。
まずは「議論」という競技のルールを理解することが重要なのだ。
■
2025年10月、全国の書店やAmazonで最新刊絶賛発売中!
「なめてくるバカを黙らせる技術」(著:黒坂岳央)