冬の天草ドライブ:歴史の橋と海に沈む道への小さな旅

冬の天草をドライブしています。夕暮れ時に少しホテルの周りを散歩しました。ホテルの目に前には川のような水道と、自動車道がかかっているのが見えます。

一見川のように見えますが、これは天草上島と天草下島を分ける本渡瀬戸と呼ばれる海峡です。かつては天草と水俣を結ぶフェリーもここを航行していました。もともとは30メートルほどの幅しかなく、干潮時には歩いて対岸に渡れていたほどだったそうですが、船が通るのに不便であったため拡幅と掘削が行われ、今の形になりました。

本渡瀬戸を歩いて渡ることはできなくなりましたが、その代わりつくられた本渡瀬戸歩道橋で上島と下島を行き来することができるようになりました。人と自転車が渡れるように作られた橋で水面からの高さが低いです。船が通るときには中央の橋げたが上がる昇開橋となっています。

夕食を取ったあとぐっすり眠り、朝が来ました。目の前に広がる本渡瀬戸が朝日にきらめいています。それではすぐ2日目のドライブに向かいましょう、と思いましたがフロントガラスに霜がびっしり降りていて、溶かすのに時間がかかりました。冬のドライブはこういうところにも注意しておかないといけません。

天草諸島の中で一番大きな町、本渡地区の中心部にある本渡諏訪神社にやってきました。元寇が日本を襲った弘安の役の際に天草大夫蔵太子という女性が水軍を率いて出陣した際、諏訪明神の御加護をいただいたことで神風が起き、元寇を撃退させたことから、これに感謝をして分霊をここに分けていただいたことが神社の始まりといわれています。

神社の裏手の池は苔がきれいな池になっていますが…池に浮かぶ島になんかいますね?

くまモンでした。ほんとにくまモン、どこにでもいますね。

灯籠の中にもいました。

神社の外に出て、北に少し歩いたところに古い石橋がありました。今は危険なため渡ることができませんが、こちらは祇園橋といって200年ほど前にかけられました。石橋としては日本最大級のもので、国の指定重要文化財に指定されています。先の島原の乱ではここで幕府軍と一揆勢がぶつかり、大変な死者がでた場所だといいます。

橋を渡った先にある祇園神社も年季の入った神社でした。境内の階段の上から祇園橋を望みました。

ここで天草の島々には別れを告げて再び九州本土に入り、三角半島を経て熊本駅へと戻っていきます。

その道中、どうしても寄っておきたい場所がありました。それが宇土市の長部田海床路。宇土半島の北岸にある漁師のためにつくられた海に突き出した長い長い道です。

かつて私のブログで佐賀県の太良や千葉県の原岡桟橋を紹介していますが、造られた理由はそれらと同じ。そして海に向かって伸びる道の様子が美しく、インスタ映えして有名になった点も同じです。

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長部田海床路は潮の干満差が激しい有明海に面しています。このため引き潮のときは電柱が続く先のところまで道が現れて歩いて行けるのですが、私が来たのは満ち潮になりつつある時間。そのため、道はかなり手前で海の中に沈んでしまっていました。残念。

それでもせっかく来たので行けるところまで行ってみました。波が打ち寄せてきて濡れそう。無数の電柱が立つ先にある山は長崎県、島原半島にある雲仙普賢岳と平成新山。平成3年、雲仙普賢岳は198年ぶりに噴火し、火砕流などが発生して大きな災害がでました。平成新山はその活動の際に発生した溶岩ドームの総称です。

長部田海床路と雲仙普賢岳を背に立つジンベエ。
ワンピースの作者尾田栄一郎さんは熊本県出身です。

帰りの「つばめ」で塩パンラボのチョコ塩パンをいただきました。

2日間の宇土半島から天草に至るドライブは美しい海の景色を眺めつつ、天草四郎ミュージアムや教会をめぐることで潜伏キリシタンが歩んだ苦難の歴史を学ぶことのできる有意義なものとなりました。できれば長部田海床路は引き潮の時間、天草西岸は夕焼けの美しい時間に行きたかったなという欲もあります。またここに来る理由ができたと思いつつ、帰路についたのでした。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年2月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。