2月2日付の「危険な方向に向かう振り子」という私のブログで、週刊新潮で引用された藤原正彦先生の「日露戦争でロシアを叩きのめした」という言葉に噛み付きましたが、まだ気が収まらないので、もう少し言わせてください。
日本人は、外国人が自分達をどう思っているかをいつも気にしているようですが、私はそのこと自体は非常に良いことだと思っています。(そんなことを一向気にしていないように思えるのは、米国人、英国人、フランス人、中国人ぐらいであり、それは大国意識を捨てられない彼等の傲慢さ故です。)
しかし、日本人の場合には、自分達の特質について語るときに、過度に卑屈になったり、その裏返しで過度に尊大になったりする傾向があるのが気になります。
現実には、どんな民族であっても、どんな国であっても、良いところ強いところと、悪いところ弱いところが、相半ばするのが普通であり、「それを冷静に認識して、悪いところを改め良いところを伸ばす」ことこそが肝要なのですが、そういう冷静な議論は一般受けせず、とかく「一般受け」のみを求める軽佻浮薄なジャーナリストは、常に一方向に偏った極端な議論を煽る傾向があります。
藤原先生は、大国ロシアに打ち勝ったことや、戦後の驚異的な経済復興を例に挙げて、「日本人より優れた民族は世界にいない」と胸を張っておられるようですが、「僥倖によって勝った日露戦争」の本質を誤解して、「精神面の強さに対する過信故に突入してしまった太平洋戦争」や、「或る段階での経済的な成功」の本質を理解しないままに、その後の経済の停滞を招いた「失われた十年」については、口をつぐんでおられます。
物事は常にその両面を見て評価を下すべきなのに、一面だけに衆人の目を向けさせて今後の進路を論じるが如きは、一流の人士のすべきことではないと思います。
日露戦争について言うなら、東京下町の青物問屋の長男として生まれ、一兵卒として戦死した叔父のことを、幼い頃に母から聞いていたこともあり、私は特に興味を持って色々な本を読み漁りましたが、伊藤博文をはじめとする当時の心ある日本の指導者達が、如何に心の底から大国ロシアを恐れ、唯ひたすらに奇跡を祈る毎日を送っていたかを知って、心を打たれました。結果として戦争に勝っても、彼等の誰も「ロシアを叩きのめした」などとは思っていなかったでしょう。
戦後の浮かれた国民感情に憂慮した人達の中には、「日本の禍機」を著して、遠いアメリカから警鐘を鳴らした朝河貫一博士のような人だけではなく、実際にこの戦争を戦った軍の指導者の多くも含まれていた筈ですが、大衆に迎合したジャーナリストに煽られて、やがて多くの人達が本質的な問題を忘れてしまい、結果として我々は太平洋戦争の惨禍を味わいました。これが我々日本人の悲しい現実です。
以前から、「米国流のビジネスのやり方」を「グローバルスタンダード」として盲目的にこれに倣おうとするような考えには、例えばトヨタ自動車の奥田元会長のように、日本では反発する人達が多かったので、今回のことを契機に、「日本的な経営の良さ」をもう一度見直そうという動きがあらためて出てくるだろうことは、十分に理解できます。
しかし、「日本的な経営の功罪」については、実際には既に二十年近くも前に検証済みなのです。(欧米人が帰結した結論は、「『日本的経営』は、特異な『律儀さ』を持った日本人には通用しても、普遍的には通用しないし、発展途上国の興隆によって、やがては限界を露呈するだろう」というものでした。)
また、一般的に「アメリカ的なビジネス」と呼ばれてきたものは、必ずしも昨今の「金融工学の盲信」とか「レバレッジの極大化」などを意味するものではなく、「契約社会」「自己責任」「市場原理」「企業家精神(アントレプレナー・スピリット)」といった、「ごく当たり前の資本主義の原則」のことを意味するものであり、日本人はそれを未だ十分に咀嚼できてはいないのです。
今回のことで、野放図に拡大していた米国流の金融資本主義が事実上崩壊したことは、長期的には世界経済の健全化の為に良いことであり、その意味で日本にとっても良いことですが、そのことは、日本に特に大きな新しい指針を与えるものではありません。日本人の強さと弱さ、それがもたらす政治経済上の課題は何一つ変わっておらず、我々はそのことを十分に理解し、引き続き粛々と、グローバル経済をリードできる「一流の資本主義国」への道を模索していくことが必要です。
そうでなければ、我々は「失われた十年」を通じて折角学んだ教訓を無駄にし、いつまでも過去の栄光を懐かしむ「不思議な二流の資本主義国」へと、次第に転落していってしまうことでしょう。
松本徹三
(ソフトバンクモバイル副社長 ‐ 但し、このブログは個人として投稿しており、勤務している会社の見解を代表するものではありません。)