経済の質をいかに上げるか - 池田信夫

池田 信夫

4月からトラックバックを受け付けるようになりました。equilibrista氏からのTBに次のような指摘がありました。

考えてみよう、僕らがそれを要らないのは、それが要らないからだ。馬鹿みたいな話だが、否定のしようがない。ほしくないものは要らないのだ。で、皆が要らないってんだと、つくってるひとが困っちゃうから、代わりに政府が買えと、そういう乱暴な話が今回の補正予算の考え方になっているわけだ。

商売をちょっとでもしたことのある人間なら誰でも知っていることだが、本物の成功への唯一の道は、皆が何をほしいと思っているのか真剣に考えて、工夫してそれをつくり出すことだ。イノベーションや産業構造の転換というのは、そうした試行錯誤によってのみ起こすことができる。そのことだけが、本物の経済成長を生み出す。


その通りです。もともと経済学は、こういう人々の自発的な行動で経済がどう動くかを分析する学問でした。必要な人に必要なだけ供給するミクロなしくみが市場で、それを無視して税金をばらまいても、必要な人に渡る保証はありません。

ところがケインズ以来、価格の機能を無視して「必要な15兆円も無駄づかいの15兆円もGDPとしては同じだ」と考えるようになりました。ケインズ自身はwise spendingという言葉も使ったのですが、『一般理論』の次のような言葉が、政府支出の中身を問わないで量だけを増やす政策のもとになりました。

If the Treasury were to fill old bottles with banknotes, bury them at suitable depths in disused coalmines which are then filled up to the surface with town rubbish, and leave it to private enterprise on well-tried principles of laissez-faire to dig the notes up again, there need be no more unemployment and, with the help of the repercussions, the real income of the community, and its capital wealth also, would probably become a good deal greater than it actually is. General Theory, p.129

これは皮肉で、このあと彼は「もちろん建物などを建てたほうがいいが、それが政治にむずかしければ」と書いています。しかしこの冗談が文字どおり受け取られて、役に立たない公共事業が正当化されてきました。

財政赤字にしても、政府の議論ではプライマリーバランスがどうとかいう話ばかり出てきますが、いちばん大事なのは、それを税金でやる必要があるのかということです。民間でやったほうが効果の高い仕事は民間がやり、政府は税金でしかできない仕事をやるというのが公共投資の原則です。つまり公共投資には3つの役割があります。

  1. 総需要を追加する短期の投資

  2. 民間では収益が上がらないが社会的に必要な投資
  3. 民間が行なうより政府がやったほうが効率の高い投資

1の効果は、支出が終わったら元に戻ってしまいますが、2と3は生産性を高め、成長率を長期的に引き上げる効果があります。つまり政府が1の目的に投資するとしても、その用途は民間より政府がやったほうが効率的で、しかも公共投資によって生産性が高まる場合に限るべきなのです。今回の追加補正予算は、麻生首相が指示してから数週間で編成されますが、そんな短期間に15兆円もの適切な用途が見つかるでょうか。

いま必要なのは、バラマキ公共事業によって疑わしい「GDPギャップ」を埋めることではなく、生活の質を上げることです。日本経済が80年代までのような高い成長率に戻ることはもうないでしょうが、GDPでは計測できない生活の質を上げる余地はまだまだ多い。政府が取り組むべきなのは、民間では実現できない経済の質を高める投資だと思います。