テネシー大学の新聞学科卒業生への祝辞に学ぶ - 北村隆司

北村 隆司

アメリカでは、卒業式を「始まり」を意味するコメンスメントと呼びます。学業の終了より新しい社会への旅立ちを重視した表現で,此処でも日米の物の見方の違いを感じます。

卒業式には「コメンスメント・スピーチ」を欠かす事は出来ません。此れは、各社会の指導的地位にある人々の中から選ばれた「スピーカー」が、壇上で学長か学部長から名誉博士号を授与された返礼として、卒業生に餞の言葉を贈る行事です。


今年のテネシー大学のジャーナリズム学科の卒業式には、同校の卒業生で高名なヒューモリストであるサム・ヴェナブル氏がスピーカーとして招かれました。餞のスピーチの中で、同氏が新聞の危機に触れた興味深いエピソードがありましたので引用してみたいと思います。

「金融危機に端を発した経済不況と自分が本校を卒業した1969年には想像も出来なかったIT変革が、ジャーナリズムを揺るがしています。この二重の危機に面したジャーナリズム業界は、一般企業より遥かに大きな打撃を蒙っており、その最中に巣立っていく新卒業生の困難は、想像に難くありません。

活版と手動式タイプライター、白黒フィルムの時代に教育を受け、ブログやフェイスブックの勘定を今でも持たない旧式人間の私でも、今後の40年間の変革が、過去とは比較出来ない大きな物である事は想像できます。かといって、起こるであろう変化を具体的に示せと言われれば、次の3語「I don’t know」としか言えません。

私が学んだ時代の憧れであったロスアンジェルスタイムズやシカゴ・トリビューンが民事再生法を申請し、200年以上の歴史を誇るボストン・グローブも廃刊の危機に瀕するとは、当時誰が想像したでしょう?然し、如何に大きな変動に洗われても、何らかの形で物を読みたがる文明人の習性がなくならない事は確かです。

今年の1月17日にUSエアーウエイの飛行機がニューヨークのハドソン川に着水した事件を、世の中に最初に伝えたのは、最速報道を誇るTVでも新聞でもありませんでした。その立役者は、IT革命の申し子であるTWITTERが流したニュースでした。着水事件発生から5分後には、TWITTERの手に依ってこのニュースが世界を駆け巡る世の中になったのです。伝統的報道機関がこのスピードに適う訳はありません。新聞はこの現実を直視する必要があります。

活字報道機関の最高の栄誉としてピュ-リッツァー賞がある事は誰でも知っていますが、今年の同賞受賞者に選ばれたPoliti Factが、活字報道の宿敵と目され勝ちなウエブである事は余り知られていません。

だからと言って、伝統的報道機関が不必要になったのではありません。私流の比喩を許してもらえば、鬱蒼と茂る樫の木を伝統的報道機関に例えれば、ウエブは樫の木に群がる蛾の様なものでしょう。蛾はニュースを収集する報道機関無しには生きて行けないから、樫の木に群がるのです。オンラインデータにせよ、ウエブにせよ、その情報源の大半は伝統的報道機関が提供していることを見逃してはなりません。危機に直面している新聞にも、未来永劫普遍的な役割が残されている事は忘れないで欲しいものです。」と言う趣旨の祝辞を述べました。

此処で話題となったPolitiFactは、フロリダのSt. Petersburg Timesが発行するウエブで、「昨年中に発表された750以上に亘る重要な政治的主張を、同社のリポーターや世界のウエブを駆使して政治的レトリックと事実を分離して、主張の真実度を一般に公開する事で有権者の啓蒙を図った」功績が認められて、今回の受賞につながりました。

2007年8月にこの企画を発足させたセント・ピータースバーグ紙のブラウン編集次長は「今回のピューリッツァー賞受賞は、ウエブが新聞の死刑執行人であるという神話を打ち破り,寧ろ伝統的なジャーナリズムの持つ能力とウエブの持つ異常な伝達能力を融合させて出来た新しい試みの成功を認識してくれたものである」と述べています。

或る新聞の編集長は「Politi Fact」のピューリッツァー賞受賞は今年の受賞で最も際立った、そして最も重要な受賞である。デジタルエイジの本格化した今日、オンライン・データベースはジャーナリズムの検証にとっても極めて重要な手段であり、ピューリッツァー賞が「Politi Fact」を本年度の全米報道のベストとして認めた事実はこの傾向を早める重要な一歩であった」と書いています。

ITの齎した危機をいち早く認識し、新聞とウエブの特徴を融合させた新企画で変化に対応しようとするアメリカ新聞業界と、日本新聞協会の基本方針を謳った古色蒼然たる「新聞倫理、販売、広告倫理各綱領」を比較して見ると、危機感の認識の違いの大きさに愕然とする思いです。テネシー大学での祝辞を読みながら、変革を恐れ、既得権益に固執する日本の新聞業界と時代の変遷に果敢に兆戦する米国の現実を見比べ、日本の新聞業会の将来に暗澹たる気持ちに襲われた事を告白します。 

ニューヨークにて。 北村隆司