先日の記事で取り上げたNYタイムズの記事を、鳩山氏は「寄稿したわけではない」と否定しましたが、NYTは「言い逃れ」とみているようです。まだ事実関係ははっきりしませんが、これは鳩山氏の公式サイトに掲載されている論文の英訳を(おそらく米側が)抜粋したものと思われます。
少なくとも8月19日にChristian Science Monitorに掲載された英訳に事務所がクレームをつけなかった以上、1週間後に出た同じ内容のNYT論文の文責も鳩山氏側にあると考えるのが出版界の常識です。「寄稿していない」という弁解は通らない。たぶん事実は、原文を大幅に縮めたCSM論文を事務所側が深く考えないでOKし、それがNYTに転載されてから否定的な反響が世界中から出てきたため、あわてて「あれは真意ではない」と日本的な弁解をしたのでしょう。
しかし原文の内容は、「友愛」をめぐる観念的な議論を除けば、NYT論文とそう変わらない。前後の文脈が省略されたので、反米色が表に出ただけです。NYT論文の冒頭の文章は、鳩山事務所の公式訳にそのままあります。
During the time since then, post-cold war Japan has been continually buffeted by the winds of market fundamentalism in a US-led movement which is more usually called globalization. Freedom is supposed to be the highest of all values but in the fundamentalist pursuit of capitalism, which can be described as ‘freedom formalized in economic terms’, has resulted in people being treated not as an end but as a means. Consequently human dignity has been lost.
日本の次期首相が「日本はアメリカ主導の市場原理主義すなわちグローバリゼーションに打ちのめされた」と語り、経済的自由主義を「人々を目的ではなく手段として扱うものだ」と否定しているのは、欧米人の目から見ると異様だから、彼らがニュース価値があると思って抜粋するのは当たり前です。しかもこの英訳は、鳩山氏の公式サイトですでに3週間以上、世界に発表されているのです。
鳩山事務所は、親オバマ政権のNYTなら、こうした社民的な主張に理解を示すだろうとでも思ったのかもしれないが、前述のNYTの記事は民主党の政策を「小泉改革から後退した大きな政府への反動」と見ています。
The Democrats are expected to form a coalition with the Socialists and the conservative People’s New Party – smaller parties that are decidedly against market reform- which could reinforce this tendency toward government-led solutions to the economic crisis .
自民党も民主党も、世界的な基準からみると「大きな政府」をめざす社民政党であり、「中道左派」の自民党から「社会主義」の民主党に政権が移ったと見られているわけです。こうした「政府主導の解決策」が日本経済の長期低迷の原因であり、日本に必要なのはバラマキ福祉ではなく、規制改革と財政赤字の削減だという点についても、欧米メディアの見方はリベラルから保守まで一致しています。
日本では「ネオリベ」を罵倒したり「反グローバリズム」を唱えたりする議論が大手メディアにも出ていますが、欧米でそういう主張をのせているのは特殊な左翼メディアだけです。そういう議論が世界から嘲笑される田舎者のたわごとだということを、民主党のみなさんは認識したでしょうか。
コメント
話が二転三転してすいませんが、これを英訳したのはVOICEを出したPHP研究所で、IHT(=NYT)がそこから英訳の提供を受けて抜粋したようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090901-00000061-san-pol
しかし秘書は「IHTとのやり取りがあった」ことは認識しており、英訳をウェブサイトに掲載しているのだから、「寄稿ではない」という弁解は通らない。PHPがエージェントだったとすれば、IHTが事務所に確認する必要はありません。
お説、ごもっともですが、「世界から笑われる」かどうかを価値の基準とすべきではない点、気になりました。誰に笑われようともやるべきことはやり、やるべきでないことはやらない、そういうスタンスが根本にあるべきではないでしょうか。
田舎者って・・・
都会の人が、そんなに偉いのですか?
言葉尻を捉えるなと言われるかもしれませんが、現実に「田舎」に生活している者としては、気に入らない話ですね。
所詮、あなたは都市部のことしか興味のない人なんでしょうけどね。
>田舎者って・・・都会の人が、そんなに偉いのですか?
同感です。東京人なら偉いという発想には追随できません。田舎で暮らしている人の感情を甚だ害する表現はいかがなものかと思います。と言っても負け惜しみではなく、本当に東京人にはなりたくありません
「今の東京は人が住むところではない」と言って移住した歌手がいましたが、東京に住みたがる日本人というのはそういう「趣味」の人だと思います。
たまに遊びに行くから面白いけど、住むのは冗談じゃないよね、と地方の人は思っているのです。
>欧米メディアの見方はリベラルから保守まで一致しています。
「英米メディア」の間違いではありませんか。もしくは「英語」メディア。
鳩山由紀夫次期首相が「日本はアメリカ主導の市場原理主義すなわちグローバリゼーションに打ちのめされた」と語り、経済的自由主義を「人々を目的ではなく手段として扱うものだ」と否定することは、チャべス(・アフマディネジャド)と同じフレームで欧米人らに見られるかもしれない、と鳩山氏は想像・危惧しなかったのだろうか?
滞米経験も無い彼(ら)と違って、鳩山氏はスタンフォード大学工学部博士課程修了しアメリカ人のメンタリティを知っているはずなのに、彼らと同じような主張をすれば「田舎者」と揶揄されてもいたしかたなかろう。
今回の選挙で「小沢チルドレン」と言われ、当選した議員らは31日の朝には「当選御礼」として辻立ちしていたと言う。前回の郵政選挙で「議員になったのでBMWを買う」と言う小泉チルドレンが居たが、今回小沢一郎氏は新人議員らが「浮かれている」と国民らに見なされれば直ぐに民意が離れてゆくことを良く知っているのだろう、彼らの手綱を引き締めている。小沢氏も30日夜の各局開票特番に出演しても終始、慎重で浮付いた所を見せなかった。
鳩山由紀夫次期首相の”論文”は民主党が大勝すると言う高揚感の中で書かれたものなのだろうが、小沢一郎氏が手綱を引き締めなければならなかったのは、新人らではなく民主党トウシュだった、とはカエスガエスも残念でならない。
>彼らと同じような主張をすれば「田舎者」と揶揄されてもいたしかたなかろう。
「田舎者」と揶揄しているのは誰なのですか?
マスコミの誰か、外人がそういう表現を使ったのですか?
田舎者なら時流に疎く、頭が悪いというのは事実誤認ではありませんか?
4. crepscule 2009年09月02日 11:25
>田舎者って・・・都会の人が、そんなに偉いのですか?
同感です。東京人なら偉いという発想には追随できません。田舎で暮らしている人の感情を甚だ害する表現はいかがなものかと思います。
8. crepscule 2009年09月03日 00:03
田舎者なら時流に疎く、頭が悪いというのは事実誤認ではありませんか?
上記の書き込みを読むと居住地に拘っておられる様だが、ここで池田信夫氏は都市と田舎について論じているのだろうか?
むしろ鳩山由紀夫氏の「市場原理主義やグローバリゼーション、経済的自由主義」についての基本認識の是非を問うているのではなかろうか?
では「市場原理主義やグローバリゼーション、経済的自由主義」について世界の思潮のメインストリームとは一体、どんなものなのだろうか?
また、次期首相と目される人物がそれを理解せずに自らの政治哲学を語ることで国益が害される、ことが有り得るのだろうか?
また私の属性について理解を深めていただくため既レスを再掲します。
69. satahiro1 2009年06月30日 18:38
68. …ta0325 2009年06月30日 18:12
>私たち日本人には、日本というまとまりを大切に考えますが、自らを棄民と断じている人たちには、日本という伝統社会を世界唯一の物として大切にする気持ちはありません。
私も原・日本と言えるところに住んでいます。
少なくとも遡る事ができる先祖は日本人です。
また居住地には世界遺産があり、その存在を誇りに思っております。その伝統社会を世界唯一の物として大切にする気持ちを、充分持ち合わせており、それをどのように拡充しようか、と思っておるところです。
(追記:先日の日曜日はナスの収穫を終えてから投票に行きました。今年の冷夏のため稲刈りは再来週の日曜日になりそうです。)
「田舎者」というより、「夜郎自大」ですね。
>上記の書き込みを読むと居住地に拘っておられる様だが、ここで池田信夫氏は都市と田舎について論じているのだろうか?
日本人の大半は首都圏に住んでいません。「田舎者」という表現(しかもあのような文脈で使用すること)は、当事者には不快だから指摘したまでです。民主党や属性や原理主義について何らの意見を述べたわけではありません。
ここでの「田舎者」という言葉の意味が「田舎に住んでいる者」という意味ではないことは文意として明らかだと思います。
私は、地方と都市の公平負担とは何かについて地方の方々と議論する機会がある度に、地方の方々から”地方重視でない考え”を無根拠かつ痛烈に批判され困惑します。異なる宗派による神学論争のようになってしまうのが常です。
私は、その深層には地方コンプレックスが潜んでいると思います。都市部の人間が上から目線であるといういわれの無い批判、思い込みです。ただ私はお互いにとっての最適解を見出そうとしているだけなのにです。
その意味で、私は民主党に野党・コンプレックスもしくは世界の非メインストリーム・コンプレックスのようなものを感じてしまいます。政権与党になることで変化していくものと思いますが。
>私は、地方と都市の公平負担とは何かについて地方の方々と議論する機会がある度に、地方の方々から”地方重視でない考え”を無根拠かつ痛烈に批判され困惑します。異なる宗派による神学論争のようになってしまうのが常です。
地方はこれまで社民主義政党のジミン党の基盤でした。彼らは都会から地方に財源を引きこむ”パイプ”で、50年以上その役割を担ってきたのです。
もしかすれば彼らはadvanced_futureさんをそのパイプのバルブを閉める”敵”とみなしたのかもしれません。
ジミン党と言うライフラインに依存してきた地方はツバメのヒナのようです。
口を上に向けていたら親鳥がエサを運んできて知らない間に大きくなった…
県内に住むライチョウはツバメのヒナと違い、生まれてすぐに自力で歩き、自分でエサを探し出します。
“地方”のある人々は、自立・自律出来る位に十分に成長しているのにジミン党や中央官僚に「まだまだエサをくれ」とねだる、ツバメのヒナのようです。ジミン党や中央官僚たちもそれこそが自分たちの仕事であるかのように嬉々としてエサを運んできました。
今回の選挙でそのような”社会システム”にノーが突き付けられたのです。
“地方”も自分自身を「田舎者」と規定し、まだ庇護を受けなければならない弱者のようにふるまうのではなく、生まれてすぐに自力で歩き、自分でエサを探し出すライチョウのヒナのように、自立・自律的に自分たちの事柄を行ってゆくべきと考えます。
つまらない言葉尻をとらえたコメントや事実誤認を含むコメントは、訂正するのも面倒なので削除します。