「マニフェスト」か?「民意」か? - 松本徹三

松本 徹三

案の定、新政権下での各省庁の予算請求は膨大なものになり、このままでは、またまた巨額の国債を発行してツケを子孫にまわすしかなさそうです。救いは、鳩山首相が、「もし国民の多くが、『国債発行を抑える方が、マニフェストの履行より重要』と考えるのであれば、マニフェストの厳密な履行には拘らない」という趣旨の発言をしていることです。これは、八ツ場ダムの建設中止に関連して、「マニフェスト履行」一辺倒の態度で終始した前原国交相の「能面のような対応」とは好対照でした。


前原国交相は、将来の民主党を担うべき人で、私を含め、期待する人は多いと思うのですが、あの対応は大変不人気だったと思います。朝日新聞が水没予定地区の住民に「建設中止」についての賛否を問うたところ、回答者215人のうち約7割弱がはっきりと「反対」と答えており、2割強が「どちらでもない」、「賛成」と答えたのは僅か1割だったと報道されています。

一般の国民にもし同じ質問をしたらどうでしょうか? 恐らくは、「住民の希望を尊重すべきだ」という意見と、「長期、短期の両方で、どちらが国にとって経済負担がより大きいかを詳細に調べた上で、工事中止の可否を決めるべきだ」とう意見が交じり合うのではないでしょうか?「住民が喜ぼうと悲しもうと関係ない。国の負担が合計で増えようと減ろうと関係ない。マニフェストに一旦書いたことは死んでもやるべきだ」と答える人は、先ずいないでしょう。それならば、何故前原大臣はそのような「民意」に従おうとしないのでしょうか?

一番良かったのは、もっと早い時点で中止を決めることだったことは、ほぼ間違いないと思います。しかし、ここまで工事が進んでしまった今となっては、「このまま工事を完成させてしまう」方が、「今すべてを止めて元の状態に戻す」よりは、経済的にははるかに利点が多い(負担が少ない)ように、素人目にも思えます。「いや、そんなことはない」と言う人もおられるでしょうが、それならば、「中止」「完成」の両方のケースの経済効果(負担)を、具体的に試算してみればよいでしょう。数字はごまかせませんから、簡単に結論が出る筈です。

どんな人にも見落としや勘違いはあるものです。しかし、重要なのは、途中で状況が変わったり、「当初考えていたことが間違いだったのではないか」という疑念が生じたりした時に、如何に対応するかです。有能な経営者なら、事態を冷静に分析し、もし方向転換が必要だと判断されれば、しがらみや面子にこだわらず、直ちに方向転換をします。国のリーダーとて同じであるべきです。

このことに限らず、今後も色々な局面で、民主党は「マニフェスト」と「その時点での民意」のどちらを優先するかを、常に決めていかなければならなくなるでしょう。そして、私は、鳩山首相以下の全閣僚が、迷いなく「民意」の方を優先してくれるように祈ります。

更に言うなら、もし私が民主党のリーダーなら、このあたりで、「民主党は、その『民主』の名の通り、如何なる場合でも『民意』に従って政策を決める。これまでの考えに誤りがあり、それを『民意』が指摘してくれたら、それを正すのに躊躇しない」と宣言するでしょう。そして、重要な案件については、色々なやり方で「国民の多数が何を求めているか」を聞き出し、これを参考にして方針を決めるでしょう。これは「直接民主主義」に一歩近づいた方針であり、多くの国民の支持を得るのではないでしょうか?

「『民意』等というものはあやふやで移ろいやすいものだ。一つ一つの事案について、いちいち『民意』を問うなどということをやっていたら、政策に一貫性がなくなり、長期的にはマイナスになる。ポピュリズムの温床となって、国策を誤りかねない」と言う人もいるでしょう。しかし、民意を問う過程で、十分な議論がオープンになされる環境が整っていれば、「民意」というものはそんなに間違った方向には行かないと思います。

現実に、今回の衆院選での民主党の大勝の原因は、必ずしも「子供手当」や「高速道路の無料化」等のバラマキ政策が受けたのではなく、とにかく長年の「自民党支配」「官僚支配」「土建事業を中心とした利権体質」を民主党が変えてくれるかもしれないという国民の期待によるものだと見る人は多いようです。テレビなどを見ていても、「バラマキ政策による国庫の破綻」を心配する声は巷に多く、私も「民意」は意外に健全だと思うことがしばしばあります。

そこで考えたのですが、「我々は、如何なる固定観念も持たず、どんな場合でも注意深く民意を問い、国民の欲するところに従って政治を行う」ということを明確に「党是」とするような政党がこれから出てくれば、選挙は常に安泰なのではないでしょうか? 

つまり、この政党は、「自らの信念やアイデア」を国民に対してプッシュするのではなく、「国民が求めることを正確に把握する為の精緻なプロセス」だけを作って、自らは「自然体」に徹し、「常に国民の多数が求めることのみを粛々と行っていく」という「全く新しいタイプの政党」になるのです。

この様な考えは、荒唐無稽なのでしょうか? 私は政治学というものを学んだことがないので、何か基本的な勘違いをしているでしょうか?

松本徹三

コメント

  1. disequilibrium より:

    一応、民主と名前に付いている、自由民主党、及び民主党は、それが党是になっていると思います。

    問題はそれが党是になっていても、それを実際に実行することは難しいということだと思います。

    自民党は、それが実際に実行できなかったという「実績」があった為に選挙に敗れましたが。
    民主党も、やはり同じ実績を作ってしまうのではないかと思います。

    行き着くところは、政治家の能力不足ということなんだと思いますけど、汚いだけの政界で、正しく優れた人間を育てるなんていう不可能なことを止めて、新しい方法を見つけられれば、実現可能なことかもしれません。

  2. disequilibrium より:

    タイトル読んでなかったんですけど、

    今までの自民党は、「マニフェスト」も「民意」も汲んでいなかったんだと思います。
    それと比べれば、マニフェストを実行するというのは前進です。
    「民意」を汲んで実行できれば、民主主義としてさらに前進ですけど、それは色々と困難があるというか、逆戻りしてしまうリスクがあるのではないかと私は思います。

    そういうリスクを考えれば、前原国交相の姿勢は評価できると思います。

  3. satahiro1 より:

    私は今回の総選挙や2007年参議院選挙、2005年郵政選挙で私たち国民の投票により「民意」が表明され、明確に一方に多数が与えられました。
    また、今回の総選挙の前哨戦となった都議会選挙においても選挙の常識では考えられないことが起こっていました(”民主党”の看板だけで公示数日前に出馬を決定した者が当選できた)。

    この日本で、初めて投票によって民意が反映された政権が誕生することとなりました。
    私は、これらの選挙に『神の見えざる手』が働いた、と感じています。

    >この政党は、「自らの信念やアイデア」を国民に対してプッシュするのではなく、「国民が求めることを正確に把握する為の精緻なプロセス」だけを作って、自らは「自然体」に徹し、「常に国民の多数が求めることのみを粛々と行っていく」という「全く新しいタイプの政党」になるのです。

    私は政党が政策を”プッシュする”ことと、それについて国民が”酸いも甘いも”嗅ぎ分けることができる時に『神の見えざる手』が働くのでは、と考えます。

  4. satahiro1 より:

    例えば、10年ほど前にADSLのモデムを駅前やコンビニで配布するキャンペーンが日本全国で行われていました。私はそのモデムを持ち帰ることはありませんでしたが、ライバル社が対抗して打ったキャンペーンで、割安でADSLに加入できました(今は先の業者の接続サービスを利用しています)。
    もし先の業者が日本においてADSLサービスで価格破壊を行わなかったら、私たちは気楽に・安価にネットを楽しむことができなかったでしょう。

    そうです、一私企業の営利を目的とした行動が、『神の見えざる手』のごとく私たちに様々な便益と幸福をもたらしたのです。

    同じように各政党がその政策により私たちの支持を迫る時、今回の政権交代に見られたように、閉塞した社会情勢、外需を当てにした産業構造の転換、”自分の手や足を食べる”危機的な財政赤字などのような外部環境と相まって、有権者の中に変化させなければならない、と言う思いが醸成されて初めて、『神の見えざる手』が働くのではないか、と思うのです。

  5. satahiro1 より:

    「マニフェスト履行」一辺倒の態度で終始した前原国交相の「能面のような対応」と、鳩山首相のどちらかと言えば優柔不断な態度も、『神の見えざる手』の前で真摯に対応しようとする不完全な人間の性を見るようで、人間味があり、微笑ましくもあります。

    私たちはやっと、空虚なウツワだけのものから実体の伴った民主政体を手に入れることができました。
    それはまだ芽吹いたばかりのものです。これから水をやり、丁寧に守り育ててゆかねばなりません。

    そしてそれこそが、『神の見えざる手』が働いた民意の一方の当事者である、私たち有権者が取るべき行動ではないでしょうか?
     

  6. https://me.yahoo.co.jp/a/u540mrdbVIb5etvNTFCFUJ40iuo-#576de より:

    >[「マニフェストに一旦書いたことは死んでもやるべきだ」と答える人は、先ずいないでしょう。
     ここに一人居りますよ。
     マニフェストを否定してはいけません。これを守らなかったら何を基準に投票するのでしょうか。
     「マニフェストを守ると国民の利益を損なうと思うに至りましたので、マニフェストを変更して掲示し、もう一回選挙を行い、国民の信を問います。」なら公平だと思いますよ。

  7. emisiou より:

    一つだけ指摘を。
    1931年の満洲占領も1937年以降の中国軍との交戦も1941年の対米開戦も「民意に適った」政策だったことをお忘れなく。

  8. bikkenora より:

    前原さんの件

    大澤知事自身も在籍し兄弟が経営する大沢建設が受注しているダムなんですよね。
    また、反対している地元は公明党が集まってると言う事です。

  9. heromichi より:

    石破茂さんによると、効果を数値化することは難しいようですね。
    色々な推定があり、どれが正しいとは判断できかねるようです。

    http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-3c68.html

    そのほかの議論でも、私は石破さんの意見に共感しています。

    そもそも、子供手当や高速道路無料化のような、地域性の乏しい政策ならともかく、個々のダム建設の是非について公約を掲げること、あるいは民意全体を重視することは適切でないと思います。
    というのも、ダムによって恩恵を受けるのはその地域の周辺の人々に限定される一方、費用は全国民が負担するのですから、普通に投票すれば建設反対が多くなるものです。
    しかし、それはダムに価値がないことを意味しません。
    周辺住民が受ける恩恵が十分に大きければ、建設した方が効率的ですから。

    また、当該選挙区では、民主党は候補者を立てておらず、推進派の自民党の小渕優子さんが、反対派の社民党の議員を大差で破っているので住民はイエスと言っていると解釈できます。
    そうすると、当然に建設中止というわけにはいきませんね。

  10. 松本徹三 より:

    hiromichiさんのコメントに一言。

    石破茂さんが「効果を数値化する事は難しい」と言っておられるのは、「このダムを作らなかった場合」と「作った場合の」の効果の比較を言っておられるのだと思います。しかし、私が言っているのは、「今中止する場合」と「ここまできたら完成させてしまう場合」の比較です。

    前者の比較については、議論もありましょうが、私はどちらかと言うと効果に否定的です。しかし、後者については、「8割方工事が終わってしまった段階で、今工事をやめたら、マイナスがあまりに多いから、完成させたほうがよい」という考えです。後者の比較については、前者の比較に比べて、数値化は比較的簡単だと思るのですが、如何でしょうか?

  11. 松本徹三 より:

    emisiouさんのコメントについて一言。

    おっしゃられるとおり、昭和初期においては、民衆の声が軍部を後押ししました。この民衆を煽ったのは、朝日、毎日などの新聞です。
    勃興期にあった資本主義の「横暴」や、政党の腐敗が、民心の離反を招き、若手将校や農村出身の朴訥な兵士は「昭和維新」に期待しました。

    必要なのは、
    1)何か(例えば資本主義経済)を守りたいと考える人達は、それに反発している人達の事を理解し、その反発を和らげる方策を真剣に考えるべき事
    2)政治家やジャーナリスト、言論人は、「種々の可能性」と「それがもたらすだろう事態のプロ・コン」を冷静に分析し、丁寧に民衆に説明すべき事
    の二点だと思います。

    これらの点につき、現在の日本は、昭和初期よりははるかにまともですが、まだ理想的な状態には程遠いと思います。

  12. sponta0325 より:

    >この政党は、「自らの信念やアイデア」を国民に対してプッシュするのではなく、「国民が求めることを正確に把握する為の精緻なプロセス」だけを作って、自らは「自然体」に徹し、「常に国民の多数が求めることのみを粛々と行っていく」という「全く新しいタイプの政党」になるのです。

    おっしゃるとおりです。私も松本さんとまったく同じことを考えていました。政党は政策をつくるべきではない。政策を自らつくってしまったら、政策の利害関係者(ステークホルダー)になり、自らの政策を批判する権利を失ってしまう…。
    私はかつてJANJANの市民記者交流会で、田中康夫元長野県知事に「政党はマニュフェストと心中してはならぬ」と指摘しましたが、彼は私の言葉を全く理解しませんでした。

  13. sponta0325 より:

    「マニュフェスト」とは、「社会学的・経済学的なテクノクラート的な人たち」主導の政治ということでしょう。しかし、テクノクラートと親和性が最も高いのは官僚です。マニュフェストは、マニュフェストを作成したエリート層の理想を絶対視するものであり、それが必ずしもそれが正しい・選択として妥当か。といえば、歴史はそれを必ずしも証明していません。
    一方の「民意」ですが、これも衆愚の謗り、ポピュリズムの批判を免れず、「民意」が民主主義の金科玉条ともいえぬ。というのが実相でしょう。

    ならば、「マニュフェストか民意か」というレイヤー(論理軸)を越えて、「言論者・評価者」という視点(パラダイム)で考えてみることが有効だと、私は考えます。
    つまり、言論者(マニュフェスト)を絶対視するのではなく、評価者(マニュフェストを価値を決定する民衆)と等価に扱う。そして、評価者をフラット・孤立的に扱うのではなく、評価者相互の相互評価もともなう。さらにいえば、評価者を「閉じたコミュニティー的」ではなく、「枢軸的(アクシス)」にイメージする。それこそが、過半数を越えたにしても、第一党でしかない民主党が行なうべき謙虚な所作でしょう。

  14. platinum567 より:

    私は自民党は民意を汲んでいたと思います。
    その民意というのが自民党の支持者に限られていたと。

    選挙で票を獲得するため国家予算を使うことを「ばら撒き」と呼ぶならば
    自民党は特定の組織票を獲得するための戦略をとり、
    民主党は不特定の浮遊票を獲得するための戦略をとったのではないか思います。

    前原大臣の「能面のような態度」は民主党が政治の透明性を表明している為に
    事前にダム建設中止の意向を表明する、汚れ役を立派に勤め上げていたと思います。

    アンケートの母集団を建設地の住民と限定して行った朝日新聞のそれは
    この自民党の民意の汲み方と考え方を共通しませんか?
    経済効果の調査においても試算範囲を限定してしまえば数字の調整は簡単です。
    どちらも内容を確認せずにそれを鵜呑みにしてしまえば判断を誤まることになりかねません。

    ダムを計画していた30年前に比べて現在では情報通信をはじめとした様々な分野の技術進歩の
    おかげでダム建設であれば下流に及ぼす影響も明らかになってきたことがあります。

    私も政治学の知識はありませんし、経済の知識もほとんどありませんが
    さまざまな情報から状況を判断する必要があると考えています。