長崎知事選挙、町田市長選挙と民主党系候補の敗退が続き、気まぐれな世論が民主党政治に対するベトーを表明しているようですが、一向に自民党の支持率が上がらないのは、いよいよ自民党が自眠党として永い眠りにつくと考えている、私のようなかつての自民党支持者は多いのではないかと思う。そこで自民党が提示しなければならない政策を皆様と議論したいと思う。政策論争につき若干長文になることを了承いただきたい。
要件定義
昨今自民党は保守復活とか保守主義への回帰などといってはいるが、保守主義とは「なんぞや?」いうことを自民党議員の中で定義しなければ、集票のため場所場所で世論迎合して本当の支持は得られない。故中川昭一氏は落選の直後
「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために改革する。そして国民の活力に期待して成長のための戦略を描く。リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、対抗していくか。しかし、前進―地球の中で生き残り、真に国民を守るために何をなすべきか。と言った議論が全く欠けている。」
と指摘しているが、この認識こそが重要なのである―かえすがえすかけがえのない人物を失ったとしかいえない。ちなみに北海道11区は石川知裕氏が当選した―。
「保守するために改革する」この言葉は氏が敬愛していた、英国保守主義の重鎮エドマンド・バークの言葉であるが、自民党はバーク的保守主義へ回帰しなければならないと私は考える。ではそのバーク的保守主義とはなにか。ここでは詳説するスペースは無いが、反ルソー主義と定義したい―改革という言葉を使っているが私はあえて変化ということにする―。要するに保守政治とはあらゆる政策からルソー主義的な要素を排除することにあると定義したい―
基本設計
現在の立憲制や民主主義、政党政治といった制度の基礎は英国が慎重に発展させてきたものである。そしてその基本思想は「法の支配」である。この「法の支配」こそが保守主義の基本設計なのである―我国は明治期にこの「法の支配」の原則を我国なりに解釈して取り入れたと考えられる―。そしてこの「法の支配」を支えている原理が「相続の原理」である。「法の支配」下では自由も先祖から相続された権利とされる。この思想はルソーの人民主権やホッブスの国王主権とは相容れないのである。
もう一つバーク保守主義で重要なのが「時効の哲学」である。祖先から幾星霜受け継がれている制度、文化は「時効」であるからこれを変更することはいけない、という思想である。相続の原理で受け継がれた連続性のある諸制度諸文化を修理する以外の変革をしてはならないということである。この二点を基本として、これらを破壊するような政治制度を排除する設計でなければならないのである。よってルソー的人民主権を擁護する「自由」と「民主主義」そして「平等」には疑いの眼差しを向けることが保守の視点である。
詳細設計
憲法
私は日本国憲法は占領下に制定された憲法であるので無効であるという、「憲法無効宣言」渡部昇一先生・南出喜久雄先生論に賛意する。ナチスに占領され押し付けられた憲法をオーストリア、フランスは主権回復後すぐに失効宣言をして破棄したことと同義の「無効論」である。方法論として占領憲法を旧憲法下で有効とすれば法的混乱も回避できる。そして英国の「法の支配」の原則を取り入れた、旧憲法の一部不備を改正する形で憲法を制定することを提案したい。―基本思想は平等、人権、国民主権を認めないということ―
政治制度政策
現在の衆参二院制度はルソー主義に毒されたポピリズムに対しまったく機能しない。保守主義者は「デイモス」の「クラシー」を忌避する。米国の政治制度はトクヴェルが指摘したように権力の集中を嫌い、各権力が均衡するように設計されている。それは建国者たちの中世欧州における絶対王のような主権者や教会のようなその権威庇護者による弾圧の悲劇の記憶が生んだ制度であろう。そしてそこに英国的保守主義を継承した王なき英国、貴族なき英国としての米国を重ね合わせるとその政治制度が見えてくる。大統領は王であり、元老院は英国の貴族院である―米国元老院の選挙にはできるだけ世論の影響を排除する工夫が当初なされていた―。
現在の日本の衆参両院はその選挙制度からポピリズムの洗礼を受けなければならない。これでは政治家は迎合主義的にならざるを得ない。迎合主義は保守主義とは相容れないので制度変更を提案したい。具体的には元老院の復活である。そして首相は衆議院ではなく元老院からの選出を優先した議院内閣制を提案したい。と同時に政党助成金なる権力の政治介入廃止を提案したい。企業献金や個人献金への規制は権力の自由への介入と保守主義者は考える。政党助成法は稀代の悪法である。
税制
保守主義者は基本的に「自由」であることを前提にする。しかしそれはルソー的なむき出しの「自然人の自由(人権)」とは違う。文明社会の一員としての「自由」である。権力(Power)からの世襲された自由である。その自由個人と統治権力とのかかわりで身近なのは税制ではないだろうか。統治権力は暦の制定や税の徴収で個人の自由を制限しているともいえる。個人の財産に「税」をかける権力を有することが政治権力ともいえる。
我国は所得税に累進課税制度と源泉徴収制度を導入しているが、これこそはルソー主義的ではないだろうか。特に国民の財産を国民が取得する前に収奪する源泉徴収などは保守主義的立場から反対をしたい。源泉徴収は国家による個人の自由への干渉であると同時に国民財産の強奪行為にも等しい。また相続税の懲罰的税率は世襲の原理に対する挑戦ともいえる。
我国の保守派重鎮の渡部昇一先生は日本の税制の複雑さは税務官僚の自己保身のためとしか考えられないとして所得税10%を提案している―簡素化してしまえば国税庁は簡素化できる―。またシカゴ学派のフリードマンは一律15%を言っているので、私はあいだを取って所得税一律12.5%、相続税の原則廃止、法人税10%以下を提案したい。
外交安全保障
自主憲法を制定すればおのずと思想体制、経済体制が明確になるであろうから、共産主義国とは利害が一致しないことは自明であろう。また社会民主的政策を志向している国家との親和性も薄れる。エネルギー問題とリンクする、利子の否定、国家の否定をその教義の中心にすえる中東イスラム諸国とも関係も見直しを迫られる。しかし脅威に対するリアリズムの視点も失ってはならない。ヒトラーの脅威を激高していたチャーチルが、そのヒトラーの主敵スターリンソ連と手を組んだ狡猾外交は、自国の生き残りを最優先するリアリズムであり我国も見習う必要があると考える。保守主義者はリベラルな理想主義を廃し現実を冷静に見る目も必要である。
現在日本の脅威は北朝鮮軍約80万、人民開放軍約200万(+武装警察約100万)、そしてロシア極東軍であり、それらの国が保有している核兵器である。我国はこの脅威に対し、たかかだか約15万人の自衛官と4兆5千億円程度の予算で対応している。その不均衡を日米安全保障条約で満たしているのであるが、世界第2位の経済大国である―昨今その地位が揺らいでいるが―、我国が負担すべき予算とリスクにしては少なすぎると、私も国際社会も考えている。
とくにアジアの平和と安定に寄与する我国の海上軍事力は米国の世界戦略に振り回されず維持する必要があるとともに、縦深のない我国の防衛ラインを考えれば陸上、航空ともに不足しているのが現状である。憲法改正とともに自衛隊は国防軍になるであろうから、核保有も含め、少なくも人員で最低3倍強の50万、予算で10兆程度を提案したい。
社会・経済政策
平成12年施行された男女共同参画基本法―この法が施行された後、各省庁にまたがって予算化され現在では約10兆円程度が使われているといわれている―、そして人権擁護法案、永住外国人地方参政権法案、夫婦別姓法案、これらはルソー主義者の保守主義への挑戦と考える。先に説明したが、保守主義者はルソー的「自由」、「人権」や世論迎合の「民主主義」、そしてそのポピリズムが主張する過度の福祉政策に反対する。これら政策の延長線にはからず過度の寡頭政治が出現し、人権の保護や自然権の保護と称した、それらに異を唱えた人への大弾圧がある―フランス革命でのヴァンデの虐殺やスターリンの大粛清、毛沢東の文革、ポルポトの大虐殺など枚挙にいとまなし―。
また昨今話題の経済政策だが、保守主義者はマントヴェルの「私人の悪魔は公共の利益」という言葉を知っている。マントヴェルの叡智は
富者がより利益を追求することが、結果産業を興し雇用が増大し貧者を減少させる
ということを端的に語ったことである。さらにマントヴェルは自由放任ではなく、政府のささやかな介入が必要であることも付言している。ハイエクがマントヴェルを絶賛した所以である。
バブル経済が崩壊した頃、ルソー主義的計画経済主義者が規制緩和などと言い出し、その後景気対策と称して政府介入を支持して、ついには市場原理主義なる言葉を編み出し保守主義者を攻撃したのは記憶に新しいことである。このマントヴェル、アダム・スミス、ハイエクに続く英国米国保守主義に沿った社会・経済政策が必要である。これがいわゆる「小さな政府論」である。つまり自由放任な政策ではなく、バークの言った高貴な自由、秩序ある自由の中で、政府の介入を最小限にする政策を提案したい。―米国のコアな保守層も政府介入を当然嫌う。たとえば銃規制が個人の自衛権への政府介入であると頑迷に主張する。また連邦準備制度にも異議を唱える―
まとめ
自民党が保守主義を提唱するなら、私でもこの程度の保守思想は提示できるのであるから、英明なる自民党の議員は党としてこれらを要綱で提案すべきだ。しかし今も谷垣総裁からでてくる文言は、相変わらずルソーに犯された世論に対する迎合だけである。先に提示したが保守主義の基本思想は「法の支配」である。つまり人知で作られた法律―憲法も含め―の上位に継承された叡智としての「法」があるという概念である。英明なるコーク卿は「医師ボナム事件」で近代的「法の支配」を実践し、また「布告事件」では「国王は布告によってコモン・ローのいかなる部分も変更できない」と布告によるコモン・ローの変更を無効としたのである。我国では明治陛下が教育にかんする勅語で「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ」と自らも伝統には服さなければならないという保守主義の精神を国民に示されている。
自民党支持者だった私が本稿を上梓したのは、自民党が自眠党になってしまって、我国には保守・革新の二大政党による政権交代は起こりえず、ルソー主義者によって占拠された政治・行政の中で、刻一刻と失われていく伝統へのレクレイムである。しかし悲観はしていはいけない。その危機が大きければ大きいほど日本人本来の魂が目覚め、若い世代が敢然と立ち上がることだろう。我々老いゆくものはせめてその芽を摘むような邪魔をしないことだ。
参考文献
正当の憲法バークの哲学日本国憲法無効宣言
名著の解読書 ―興国の書 亡国の書
フランス革命の省察
ザ・フェデラリスト
アメリカのデモクラシー
社会契約論
人間不平等起源論
リヴァイアサン
蜂の寓話
自由をいかに守るか ―ハイエクを読み直す
ハイエク知識社会の自由主義