私的なことがらを記録しますが今週、紙の本を大量に捨てました ― 藤沢数希

2010年05月13日 00:20

正直に白状すると、筆者は電子書籍なるものを大変冷ややかな目でみていた。なぜならば人々の行動の変化というのはとてもとても緩慢なものだからだ。電子書籍は普及しないと思っていたし、仮に普及したとしてもそのスピードは非常に遅いものになるだろうと思っていた。筆者は金融市場で仕事をしているのだが、金融の世界では、理論的にはすぐれているはずのものがまったく普及しないことが非常に多い。


たとえば株式インデックスを見てみると、今でも圧倒的に人気なのが日経平均株価である。この225銘柄の株価単純平均の指数は、時価総額加重平均ではないので市場代表性も悪く、また日本株の投資対象としても銀行セクターのウエイトが極端に低くて、電機セクターや薬品セクターがいやに高かったりとかなりいびつだ。日経平均株価より出来のいい日本株のインデックスは両手の指で数えられないほどある。しかし人々は日経平均を使い続ける。先物やオプションのようなデリバティブでは日経平均の一人勝ちである。すぐれたデザインのインデックスの先物などが上場されたりもしたが、市場ではほとんど誰も取り引きせず閑古鳥が鳴いていた。多分、これからもこのできの悪い日経平均株価を人々は使い続けるだろう。なぜならそこには流動性があるからだ。つまり一旦普及してしまったものは、多少出来が悪くても人気は衰えないのである。

金融危機の傷もある程度癒えてきて、金融業界でも人材の引き抜き合戦がまたはじまった。名うてのヘッドハンターが高く売れそうな人材を物色している。しかし最近、金融業界で高い報酬で引き抜かれていく職種はどんな職種かというと、アナリストとか株式セールスなのだ。アナリストというのはよくいえば占い師、悪くいえば詐欺師だ。ソニーが「買い」とか「売り」とか、適当な分析をしてレポートを書いたりする。それでそんなアナリストのレポートを持って「どうですかこんな株買いませんか」なんて営業するのが株式セールスだ。ファンドマネジャーを六本木のキャバクラや銀座のクラブで接待したりする。筆者は、金融業界に入ってきた時、アルゴリズム取引などのIT化で、このような職種はすぐに淘汰されるだろうと思っていたし、そのような評論家の記事をたくさん見た。ところがこういった職種は全く衰える気配がない。気配がないどころか最も高い報酬で証券会社同士が引き抜き合っているのが現状だ。今、世界の金融市場の中で活躍しているのは、ロケット工学のPhDを持ったエキゾティック・デリバティブのトレーダーやクオンツではなく、だみ声で脂ぎった関西人の営業マンだったりする。

生命保険なんか見ても未だに生保レディーの義理人情で営業している。あんなに立派な本社ビルを持って、こんなにたくさんの営業マンがいれば、そのお金がどこから来ているのか疑問に思いそうなもんだが、そんなことは誰も思わないのだ。やはり生命保険は義理人情でベタベタしながら売ってもらいたいのである。人々の行動は簡単には変わらないのだ。

だから僕は電子書籍なるものにかなり冷たい視線を向けていたのだ。うまくいきっこない。キンドルやiPadに騒いでいる人達を見ながら一人で冷笑していた。

ところがどういうわけか、なぜか最近、電子書籍にとても期待している自分がいることに気がついた。どうして心境の変化が起こったのだろう。もしかしたら1kgはあるハルのハードカバーの本を足の甲の上に落とした時だったのかもしれない。あるいはベッドの横に置いておいたクルーグマンのマクロ経済学に足の小指を直撃させた時かもしれない。有給休暇を取って映画をみたり買いものをしようと計画していたのに、読もうと思っていた本が大量の本の山の中で行方不明になってしまい、それを探していたらついに一日が終わってしまった時だったかもしれない。

ちがう、ちがう、あの時だ。港区の一等地のきれいな夜景が見渡せるリビングに高々と積み上げられた本の山に、いったい一年間にどれだけの賃貸料がかかっているのか計算した時だ。1平米5000円は下らない都心のマンションで、リビングの半分近くを本が占拠している筆者の住環境を考えた時、本当にそれでいいのかと自問自答したのだ。

最初に断っておくと、筆者は紙の本が大好きである。愛しているといってもいい。あの手触り、パラパラっとめくった時の感触や音、ほんのりとインクの香りがするのもいい。一度、本を書いてみるとわかるのだけれど、本というのは装丁に物凄いこだわる。装丁を専門にしているデザイナーもたくさんいるのだ。筆者にとって、本というのはただの情報ではない。ひとつの工芸品なのだ。だから、明らかに面白くなかった本以外、なるべく捨てないでいた。つい最近までは。

それが数日前、筆者は本を大量に捨てた。持っている本の3分の2は捨てたと思う。なぜそれほど大切にしていた本を捨てたのだろうか。確かに筆者は本を愛している。しかしそれにも限度がある。いくら価値が高くても、価格がその価値を上回っていれば、決して買ってはいけないのだ。筆者の場合は、本の維持管理費が到底許容できる範囲を超えていたのだ。あれだけの空間を、港区の一等地で占有し続けることがどれほど高コストなのか。だから捨てたのだ。あの途方もないキャリー・コストを考えると捨てざるを得なかった。

最初は、寂しい思いをすると思った。でも、案外すっきりした。もうどんな本を捨てたのかさえ思い出せないぐらいだ。捨ててよかったと思う。

そこでふと思ったのだ。電子書籍なら、筆者が抱えていた問題も全て解決するではないか。これならお金のことは気にせずに何冊でも買える。それで本当に手元に置いておきたい本だけ紙の本を買えばいい。それに電子書籍だったら検索というとてつもないメリットがある。そういえばあのフレーズどの本に書いてあったかなー、なんて本の山をかき分ける必要もない。電子書籍なら本の持ち運びもすごく便利だ。旅行に何冊でも持っていける。それに本に限らず、家電製品やノートパソコンの説明書なんかは大量にあると本当に困る。こういうマニュアルの類も電子化すればものすごくすっきりする。携帯のマニュアルも紙の必要はない。はじめるためのA4の簡単なパンフレットが1枚でいい。後は全部ウェブで見るようにしてもらいたい。

ひょっとしたら電子書籍というのは結構大きなイノベーションなのかもしれない。

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