いまだ解決されない国際離婚における親権問題 - 矢澤豊

2010年06月02日 23:52

いつも通り、担当の水曜日になってから、

「アゴラの原稿どうしよ」

などと泥縄なことを考えておりましたら、

「鳩山総理辞職の意向」

とのニュースが飛び込んでまいりました。

もっとも、根が横着者の私ですので、あえて予定通り、週末に考えていた標記のテーマでやらさせてもらいます。


以前のエントリー(コチラ)で取り上げた事件が発生したのは、去年の9月末。

事件の内容はざっと以下のとおりでした。

日本人の元妻が、以前の夫であるアメリカ人男性に無断で、かつアメリカの裁判所で下された離婚裁定の条件に反して、二人の間の子供をアメリカから日本へ連れ帰っていた。そこへ、くだんのアメリカ人男性が、子供たちを取り返すべく来日し、下校時間を狙って拉致。しかし男性は警察に捕まり勾留。事件が大きく国際メディアに取り上げられるにいたって、結局男性は不起訴、釈放。

この問題はアメリカでは議会とホワイトハウスを巻き込んで、鳩山・オバマの日米首脳会談では取り上げられなかったかもしれませんが、岡田・クリントン会談では議題に上ったはずです。(記憶が定かでなく、申し訳ありません。)

発足したばかりの鳩山内閣で、ピカピカの法務大臣だった千葉法相は、この日本における「法の不備」問題の早期解決を要請する8カ国の大使の訪問を受け、なんらかの善処を約束したみたいでした。

しかし結局、与党内で「勉強会」しただけで、終わっちゃったようです。

千葉法相も、今回の「辞職」のゴタゴタで、おそらく内閣総辞職となり、「赤レンガ」を去るのでしょう。

(所属政党が連立与党から脱退することにより、辞職を余儀なくされて「悔しい」などという、なんかわかるようで、全然わからないコメントをしていた閣外相がいましたが、今回のオソマツの幕引きに際して、「内閣の連帯責任」という議員内閣制の基本のキホンはどうするのだ、という議論は当然されなければならないでしょう。鳩山さんの辞職の理由が、政権運営上の失策ではなく、総理個人の問題ということであるのであれば、そういう人物を党首/首相に据えた、民主党という政党の責任は、次回の選挙で当然糾弾されるべきです。選挙で勝つために「こっちは電池キレたみたいですから、こっちにします」というすげ替えは、やっていただいてもかまいませんが、それなりのペナルティーが伴う戦術であることを、選挙民は思い知らせてやらなければなりません。もっとも糾弾するであろう方々も、「お前に言われたくない」という人たちばかりですが。)

閑話休題。言帰正伝。

オランダのハーグ(これを公文書では「ヘーグ」と呼んでいる...だから検索しづらい、ということを今回気がついた)の国際私法会議と、そこでの採択によって制定された関連条約が、日本で批准されていない理由は、こちらの資料によると、

(1)親権/扶養義務を決定する裁判の公正が各締約国において十分に期されていない;

(2)管轄その他の理由により、かかる裁判の正当性が確実に担保されない段階で、親権/扶養義務に関する決定がくだされ得る

という、日本側が掲示した問題点が、当の国際私法会議で無視されてしまったからのようです。

たしかに整然とした裁判手続とその大過なき運営を前提かつ使命とし、「二国間における裁判所の管轄争い」なんていうややこしい国際問題(日本側においては「省際」問題でもある)に巻き込まれるのはコンリンザイお断りという法務官僚にしてみれば、保身上いたしかたない結論だったのでしょう。

しかし結果として、誘拐、拉致、などという穏やかならぬ国際問題にまで発展した法制の不備をこのまま放置しておくことは、健全な司法行政にはほど遠いといわねばなりません。

千葉法相も、まさか自分の任期が、8ヶ月たらず、しかも「菅家さん」と、自分の所属政党の幹事長と指揮下の検察官僚との戦いに費やされるとは思いもしなかったかもしれません。

しかし以前もいいましたが 、「神は細部に宿る」と申します。司法のたゆまぬ営みのただなかでは、瑕疵を放置しておくと必ず後日、痛いしっぺ返しとなってかえってきます。また国際的問題を忌避し、内弁慶に徹する姿勢をみせている日本の現行の司法行政は、日本の法律/法曹を国際的に孤立させる結果となるでしょう。(例えばカンボジアに法整備支援をするのは立派なことですが、それ以前に司法先進国同士の間で普段から通常業務で丁々発止していないと、イザというときに足がツリますよ。)

千葉さんの後継が誰になるのか皆目見当がつきませんが、ちゃんと仕事をこなして、各国の我国に対する信用を回復させ得る人であってほしいと、人類史上初の宇宙人総理大臣が辞意を表明したこの日、当地香港では雨空のために見えない右から二番目の星(*)に祈念しております。

オマケ
最後に、日本の司法行政がいい加減だったのは、なにも今に始まったことじゃないという一例を以下に。

「(継体23年/西暦529年、継体天皇の命により、朝鮮半島へ駐屯した)毛野ノ臣(ケヌノオミ)のひきいて行った兵は思うに意外に少なかったろう。彼が新羅王のみならず百済王からさえなめられたのはきわめて当然のことであった。

威令がさらに行われないのにくさったのであろう、毛野ノ臣は朝鮮滞在二年の間、居宅を営みぜいたくはしたが、政治はなまけ放題になまけた。その頃日本人と任那人との間に恋愛や情事がしきりに行われ、任那人の女にできた子供の認知問題についての訴訟が多かったが、毛野ノ臣はくわしい審理はせずに、深湯(くかだち)ばかりで裁こうとした。深湯にたいする信仰のある日本人ならこの宗教的な原始裁判法も効果があるであろうが、まるでその信仰のない任那人には迷惑千万であった。鉄火に手を焼きただらせ、煮え立つ熱湯にやけどさせられ、その上処罰までされるのだ。たまったものではない。

任那人らはこれをヤマト朝廷に訴えた。」
(海音寺潮五郎「大化の改新」より)

*The Second Star to the Right
永遠に成長しないといえば...

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