日本を「売る」ということについて考えてみる - 矢澤豊

矢澤 豊

標記のようなタイトルを掲げると、すぐに早とちりされて、

「売国奴!」

などとコメントで怒鳴られそうですが、誤解しないでください。

ようするに最近のビザ発給条件の緩和によって、ますますの増加が見込まれる中国人観光客を相手にしたビジネスに関して、あれこれ考えてみたのです。

◆ビザ発給5倍◆
外務省によると、7月1~23日の中国人の個人観光ビザの発給件数は、前年同月の5倍を超える5836件に急増。しかし、ビザの申請、発給、ツアー申し込みに数週間がかかるため、中国人観光客の急増は「8月や、10月の国慶節ごろになる」(JTB)とみられる。(8月2日付、読売新聞)

アメリカの投資顧問会社の社内弁護士として、ニューヨークで働いていたとき、現地のセールス部隊の社内セミナーをひやかしたことがあったのですが、そこで使われていたセールスマンのバイブル(らしい)、ジェフリー・ジトマーという人が書いた「リトル・レッド・ブック・オブ・セリング」(*1)という本に、次のような言葉がありました。

「人は売られることを嫌うが、買うことは好きである。」
People hate to be sold, but they love to buy.

この法則を踏まえた上で、現状をみてみると、どうも日本人は自分たちが「売りたい」ものはイタイほど分かっていても、中国人が何を「買いたい」と思っているのか、ということに十分な考えが及んでいないのではないかと感じます。

(こうした「スレ違い」の要因のひとつは、日本人が外国人の目に映った自分の姿を客観的にみることができていない、視点の「ズレ」から生じているのではないかと思うのですが、最近、河野太郎氏のブログに同様のテーマを扱った面白いエントリーがあったので、リンクを下に(*2)はっておきます。)

また、ここでもう一歩突き進んで考えてみるに、実は当の中国人たちも、自分たちがいったい何を「買いたい」のか分かってないのではないか、と思えるのです。

皆さんご存知のとおり、高度経済成長の時代を邁進している現在の中国では、ずば抜けた超富裕層のちょっと下の位置に、日本の「中流階級」と呼ばれる方々と肩を並べるか、そのちょっと上をいきそうな人たちが急激に増えてきています。彼らは中国では立派な「上流」ですが、少しイジワルな言い方をさせてもらいますと、彼らは上昇志向が旺盛で、仕事・プライヴェートを問わず四六時中まわりの人間と自分との差別化に苦心している典型的な「中流」の皆さんです。

こうした皆さんが弱いのはステータスシンボル。簡単にいえばブランド。天敵はニセモノです。

かつて、80年代の日本のバブルを経験した世代の皆さんは覚えているでしょうが、あの女子大生が突然みんなヴィトンの鞄を持ちはじめたり、男の子はなぜかみんな「Boat House」のフード付きパーカを着ていたり...(私にとっては一世代上の現象です。念のため断っておきますが。)

今の中国の消費者傾向は、あの頃の日本によく似ているのではないかな、と思えるのです。

そこで重要になるのは、新しい「価値観」の創造であり、商品のステータスシンボル化なのではないのでしょうか。

中国人にとって、観光目的地としての「北海道」は、あのヒット映画(*3)の後押しもあって、こうしたステータスシンボル化に成功した例でしょう。

マーケティングの専門家ではないので、気のきいた専門用語が出てこないのですが、雰囲気でいわせていただければ、何となくあのユーミンの曲と一緒に「私をスキーに連れてって」といわせた、あのホイチョイ・プロダクションズ的、軽快な「価値創出」というクリエイティヴィティー感が、今の中国人を相手に「買わせる」側に求められているのではないかと思えます。

(もっとも中国の新卒世代は、万年的就職難に喘いでいるので、20代層の購買力が伸び悩み。いまひとつ「スキーがブーム」というわけにはいっていません。)

こう考えてきて思いついたのですが、こうした「新時代の到来と、それに適合した価値観の創出」というのは、安土・桃山時代における「茶道」の興隆と通じるものがありますね。

それまでは日本国中で、明けても暮れても命と土地の取り合いに血道を上げていた日本人が、「天下布武」の訪れと共に、仲良く一緒に「和敬清寂」でお茶を飲むことが大流行。そして陶器・絵画・書道に始まる芸術、建築のみならず、禅仏教に立脚した哲学が勃興し、後世の岡倉天心をして「Art of Peace」と呼ばわせしめた「茶道」が誕生したわけです。

自然の中に「美」を発見した千利休から、「美」を創造することをめざした古田織部などを経て、茶道は日本の文化の大きな支柱になりました。

しかし毛利元就の三男で、次兄の吉川元春と共に「毛利の両川」といわれた小早川隆景は、

「名器と聞けば『高かったでしょう』といい、いや実は安かったといえば、『それはもうけものでしたな』という。風雅の道などといっても、茶の湯の道の実体はカネの話ばかりだ。」

と、喝破したそうです。もっともそう言った隆景自身、かなりの茶道家だったそうですが。

茶道の本質が「価値の創出」にあるのですから、「お茶」の世界とおカネとは、切っても切れない関係にあるのはいたしかたないことでしょう。いわば、「買いたい」、「手に入れたい」、「自分のものとしたい」、「ワンランク上いきたい」と思わせることを、「芸術」の域まで高めてしまったのが「茶の湯」の一面であるといえそうです。

そういえば、裏千家の前の家元、千玄室大宗匠も、今なおさかんに世界中、特に中国で茶道の普及につとめられておられるようです。元特攻隊パイロット(*4)であった大宗匠が「平和のアート」の宣教師となり、元はといえば日本人にお茶を飲む習慣を伝えてくれた中国の人々に、「茶道」のお返しをしている様子は、あたかも「文化の加工貿易」。

商売・ビジネスを含めて、これからの日本人が、中国人はもとより、世界といかにつきあっていくかということを考える上で、大宗匠のなされようは、大きな示唆を含んでいるような気がします。

*1 

*2 「ワンピースとジョニー・デップ」河野太郎ブログごまめの歯ぎしり

*3 映画の日本語版ホームページはこちら

*4 (Wikipediaから抜粋)「同年生まれ(学年は宗室が1年下)の俳優である西村晃と特攻隊で同じ隊に所属していた。特攻作戦の実行が近づいたため徳島から串良海軍航空基地に移動する日、飛行訓練後に自分達が乗る飛行機の機体の傍で手持ちの道具と配給の羊羹で5人の隊員全員と茶会を催した事は、戦後西村の述懐・自身の著作や講演などで広く知られる。西村は出撃したが機体故障の為引き返し、また宗室自身は出撃する事が無かった為、同隊ではこの2人のみが生還した。1997年に西村が死去した際、故人の遺言に従って葬儀委員長を務めた。」