やさしい「財政ファイナンス」の話

2010年10月23日 16:47

来月初めのFOMCで米国連邦準備理事会が、新たな長期国債買い取りプログラムを導入すると見込まれており、そうしたプログラムの導入をQE2(Quantitative Easing ver.2、量的緩和第2弾)と呼ぶようになっている。このことは、小幡績氏が書いているように、「量的緩和」という言葉が一人歩きをしはじめ、拡散した意味合いでもちいられるようになってきていることを示している。

しかし、中央銀行による国債買い取りには、2つの基本的に異なったケースがあることは正しく認識しておく必要がある。日本銀行がいわゆる「銀行券ルール」にこだわっているのも、これら2つのケースの違いを意識しているからであろう。2つのケースの違いについては、多くの人達に是非知っておいてほしいと思うので、改めて解説しておきたい。


最も単純化したケースについて、政府と中央銀行、そして民間部門のバランスシートの関係をイメージ的に示したものが、図1である。

G1

財政政策の結果(過去の財政赤字の累積額=えんじ色に塗りつぶした大きさ)として国債の発行残高が与えられているとする。このうち中央銀行が購入した部分を国債Iとすると、民間部門には「国債Iと同額の貨幣」と「残りの国債II」が供給されることになる。これが民間によって自発的に保有されるように、国債の利回り(金利水準)が決定されることになる。国債と貨幣の保有を通じて民間が政府に提供した富の総額は、群青色に塗りつぶした大きさで、もちろんえんじ色に塗りつぶした大きさに等しい。

貨幣は決済手段として使えるメリットがあるが、金利はつかない。国債は金利が得られるが、決済手段としては使えない。それゆえ、供給された貨幣量の下での貨幣の決済手段としての限界便益に、金利水準は等しくなると考えることができる。そして、貨幣の決済手段としての限界便益は、その量が増えると減少していくと考えられる。したがって、中央銀行が買い入れる国債の割合が増えれば、金利水準は低下していくことになる。この意味で、中央銀行が国債の買い入れ額を増やせば、金融緩和効果が生まれることになる。

しかし、図1から図2のようにまで中央銀行が国債の買い入れを増やした結果、貨幣の決済手段としてのサービスに対する需要が飽和してしまい、その限界便益がゼロになったとする。このとき、金利はゼロとなる。

G2

ここから、さらに図3のように中央銀行が国債の買い入れを増加させたとして、なにか追加的な緩和効果が生じると期待できるだろうか。貨幣の決済手段としてのサービスに対する需要が飽和し、かつ金利がゼロの場合には、貨幣と国債は全くの似たもの同士(完全代替物)となる。同じもの同士を入れ替えても特段の効果は生じないと考えられる。より実際的な制度的文脈に即してこれと本質的に同じ趣旨のことを述べたのが、先の「『量的緩和』という物語」と題した記事である。

G3

ただし、中央銀行の国債買い入れ増額が意味することは、図2から図3への変化ではなく、図2から図4への変化である可能性がある。すなわち、中央銀行が国債の買い入れを増やした分だけ財政赤字が拡大し、民間に提供される国債+貨幣の総額が増加する場合である。

G4

この図4の場合は、標準的な意味での金融政策ではなく、その本質は財政政策である。財政赤字の拡大に中央銀行が協力するという話である。こうした場合のことを財政赤字のマネーファイナンス(縮めて、財政ファイナンス)とか国債のマネタリゼーション(貨幣化)とか呼んでいる。現状が図2であるとして、そこからさらに中央銀行による国債の買い入れ増額を主張する論者は、図3への変化を求めているのか、図4への変化を求めているのか明確にすべきである。

いずれであっても、中央銀行のバランスシートだけをみていると、違いはない。しかし、政府と中央銀行を連結してみたときの姿は大いに異なる(中央銀行は、政府の子会社のようなものである)。ということは、最終的には国民負担の大きさが違ってくる。それゆえ、いずれを主張しているのかについては、少なくとも自覚的でなければならない。

もちろん現実には、時間の流れの中で刻々とバランスシートのサイズも変化して行くので、図2→3的な変化なのか、図2→4的な変化なのかを断定することは難しい。例えば、日本銀行は現状でも月々1兆8千億円(年間で21兆6千億円)もの長期国債を買い続けているけれども、長期国債の保有残高が銀行券発行残高以下である(「銀行券ルール」が守られている)限りは、国債のマネタリゼーションを意図したものではないという立場をとっている。しかし、実際には国債のマネタリゼーションに既にかなり踏み込んでいるとみなすこともできないわけではない。

しかしながら、概念的には図2→3的な変化を求めているのか、図2→4的な変化を求めているのかは決定的な違いであり、明確化されねばならない。そして、もし前者だというのなら、それにどのようなメカニズムでさらなる緩和的な効果があるといえるのかについて、どうかご教示いただきたい。

他方、もし後者だというのなら、そうした政策を中央銀行単独で実施することは不可能である。暗黙のうちにあうんの呼吸で行うとしても、財政当局との共同行動でしかあり得ない。この意味で、中央銀行だけに判断を求めることは間違いである。わが国は財政民主主義を前提としている以上、まずは政府と国会がしっかりとした判断を示すべきである。

「マネーを刷れ」といった話をしている人の多くは、(意識的であるか無意識的であるかは別にして)図2→4的な変化を求めているとみなせるが、それにかかわる権限の所在については誤解しているように思われる。マネーファイナンスを行う場合には、直接的な意味でマネーを刷るのは確かに日銀であるが、それはエージェント(代理人)として行うということであって、それを命じる権限があるのは国会である。まず財政法の第5条をちゃんと読んだほうがよい。

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