サブプライムローンは『問題』だったのか『戦略』だったのか

蓮池 曜

「サブプライムローン問題」という言葉は、いまやいささか陳腐になった。が、私は、ここらで総括をしておかなければならないと考えている。それは、サブプライムローンをアメリカの『戦略』と捉えると、ちょうど今がそれが成就したときと考えられるからである。


「サブプライムローン問題」という表現はいたるところで見聞きしてきた。マスコミは、いうまでもなく、株主総会でも決まり文句のように使われた。私の娘の大学入学式でも、先生方の挨拶に「サブプライムローン問題」とか、その象徴である「リーマンショック」とかという言葉がちりばめられていた。

そしていわゆる文化人は、「基軸通貨ドルの終焉」とか「資本主義の終焉」とか「アメリカの終わりの始まり」とか、したり顔で結論づけるのが常であった。挙句の果てに、このときとばかり「アジア共通通貨を!」などと言い出す「宇宙人」まで出現した。たしかに、アメリカ嫌いが多い文化人は、日頃それを願っているから、この大きなショックの時に、そう云いたくなる気持ちはわからないでもない。しかし、よく観察してみる必要がある。実際は、アメリカは逆に強くなっているからである。

この十年間のアメリカの置かれた問題となる状況を考えてみる。まず、ユーロの台頭という問題だ。基軸通貨としてのドルの存在を脅かす存在が発生したのだ。それと、膨大な国際収支の赤字問題だ。もっとも、振り向いても誰もいない時代のドルは、貿易赤字はそれほど問題ではない。むしろ、世界にばら撒かれたドルを種(準備金)にして信用創造され、世界経済が回っているのであるから、それが無いと逆に困るのである。しかし、振り向けばユーロがいる時代のドルにとっては、過度な国際収支の赤字は、ドルの信用不安につながり、基軸通貨の座が奪われる引き金になりかねない。

アメリカは、選択を迫られた。世界経済が縮小しても(つまり、場合によっては、恐慌が発生しても)ドルの基軸通貨の座を守るべきか、あるいは基軸通貨の座を明け渡しても経済を守るべきか。アメリカは躊躇なく基軸通貨を守ることを選択した。

まず、世界中にばら撒かれたアメリカ合衆国とFRBが保証するピンクの米国債と薄緑のドル紙幣をアメリカに還流させる必要があった。しかし、アメリカには、それを還流させるだけの工業製品や原料やサービスはなかった。いや、あったかもしれない。しかし、アメリカはもっとうまい方法を考えついた。それは、国家とFRBが保証する国債や紙幣を、民間企業が発行する債権に置き換えるという方法だった。つまり、つまり国家の債務を民間企業の債務に置き換え、国家の破綻を民間企業のタイマー付きの破綻に置き換えるという方法である。そのためには、アメリカの膨大な国債収支の赤字に対して焼け石にならない程度の規模の、つまりやはり膨大な資金需要をつくる必要があった。それこそが、いままで、不動産を購入することができない信用力の低い人たちへの不動産購入のローン、すなわちサブプライムローンだったのだ。誰もが「なぜこんな途方もない金額のローンが積みあがってしまったのか」と訝るが、それは逆なのだ、それだけの途方もない金額の資金需要をつくる必要があったのだ。

しかも、このサブプライムローンは実に巧妙に設計されている。2、3年間程度の金利の減免措置があり、家を買ってその間だけでも買った家に住んでいたほうが、借家に住んで家賃を払うより有利になったりする。さらに金利の減免措置がなくなった段階で、家を手放して、キャピタルゲインがあれば、その家のオーナーつまり売主は儲かってしまうし、かりにキャピタルロスがあっても、そのロスは、ローン会社が負担する仕組み、つまりノンリコースローンになっている。オーナにはほとんどリスクが無いのだ。これは、一斉に不動産価格が下落したときに、直ちに負債がローン会社に集中するようになっていることを意味する。タイマーを仕込んだ側としては、大変都合がよい。余談であるが、それに対し、日本の不動産ローンの仕組みは全然違っている。日本の場合、自宅のローンが返済できなくなったオーナーが不動産を処分しても、負債はいくつかの例外を除いて、ローンを組んだ人に残る。従って、ローン会社の経営が行き詰るまでには、その個人の破産が累積する必要がある。タイマーを仕込むには、不向きであり、不況が長引く原因にもなっている。余談の余談になるが、日本の自殺率が高い理由の一端がこの辺にもあると私は考えている。

さて話を戻す。つまり簡単に言えば、アメリカは、その債権を、ヨーロッパを中心に売りさばいてしまったわけである。が、破綻タイマーが設定されたようなサブプライムローンの債権を買うほどお人よしはそれほどいるわけではない。そこで、使ったテクニックがCDSである。これは保険の一種である。一般の企業活動では、先にリスクを負担して、うまく行けば後でゲインを得ことができるが、保険はその逆になる。つまり、先に確実なゲイン(保険料)を得て、ひょっとするとリスクが後からやって来るかもしれないというものである。保険を保険会社がやっているうちは判りやすいが、その保険を一般の企業や、学校法人、さらには、国家までが 保険会社と同じことができるようになってしまったのである。(その保険金を支払わされるのは、参照した会社や国家が破綻したときである。しかも、その保険によって、参照されたそれが救われるのではなく、単に、それは破綻するか否かの参照に使われるだけである。)すると、本業では全く冴えない会社でもCDS商品を購入するとピカピカの業績になってしまうのである。しかも参照企業が危ない企業であればあるほど、高額の保険料が入って来るので眩しいほどの決算内容の会社になってしまうのである。そのような会社がさらに私募債を発行したりしてそれが商品として出回ると、その商品がサブプライムローンとリンクしていることなど全くわからなくなってしまうのである。

こうやって、アメリカは、サブプライムローンに隠れリンクした金融商品を世界中、主にヨーロッパに販売しまくったのである。これには円キャリーが一役も、二役も買っている。いずれにせよ、これにより、ドル及び米国債はアメリカに還流し、そして時が満ちてサブプライムローンが破綻し、ユーロがボロボロになった。しかも、経済力が異なる独立した主権国家が同じ通貨ユーロを使うことの矛盾も露呈するというオマケまで付いた。ユーロがドルに代わって基軸通貨になるという野望の第一ラウンドは打ち砕かれた。これは、アメリカの戦略どおりのように見えないだろうか。そして今、ユーロの惨状を横目でみながら、ドル安政策を安心して行い、自国産業の復活を図っている。すなわち、サブプライムローン『戦略』が成就し、次のフェーズに突入したといえる。

サブプライムローンは『問題』ではなく『戦略』だったどころではない。これこそが、戦略だったといえないだろうか。