生命保険立ち上げ秘話(29)生命保険のカラクリ

岩瀬 大輔

新商品プロジェクト始動

「子育て世代がターゲットですから、新しい学資保険を作りたいです」

「代理店からは収入保障保険を出して欲しいという要望が強いです。ここは流行に乗り遅れないよう、お願いします」

「いや、まずは先進医療を保障する新しい医療保険を」

時計の針を少し戻して、2009年の春。新商品開発のアイデアを求めるブレインストーミング。様々な案が飛び交い、議論は錯綜していた。

開業時はシンプルな定期死亡保険と終身医療保険の二本立てでスタート。新契約の伸びが順調に推移し始めた二年目の今、次の商品を真剣に検討しなければいけない時が来た。


学資保険、収入保障、先進医療。いずれも市場では人気が高い商品であり、出すことの意義は理解できた。

学資保険は長らく簡易保険(かんぽ)が郵便局を通じて販売してきた商品であり、国民の間での認知度は高かった。ほとんど生命保険の知識がない主婦の間でも、「子供が生まれたら学資保険に入らなきゃ」が合言葉になっている。

そして、戦略性に長けている幾つかの生命保険会社は、ここを主戦場として、収益トントンに近い商品を出していた。利益は犠牲にしてでも、赤ちゃんが生まれるタイミングで魅力的な商品を、いわば「撒き餌」として提供する。そこで加入した顧客を囲い込み、より収益性の高い商品をアップセルしていく。スーパーのチラシなどでも客引きのための、いわゆる「特売商品」を掲載することで来客を促すが、それに似た位置づけだ。

というのも、現状の超低金利環境下では、販売、運用等諸々の手数料を差し引いた後に高利回りの貯蓄性商品を作ることは容易でないはずだった。各社ともギリギリの採算ラインで、いわば新規顧客獲得のためのマーケティングコストとしてこの戦略商品を提供しているように見えた。

次に、収入保障保険。これは何てことはない、普通の死亡保険を「毎月15万円」といった形で年金払いで支払うもの。保障額が「3000万円」と支払総額ではなく、「毎月○万円」という形で決まるため、保障の残期間が満期に近付くに連れて保障額が小さくなる(例えば毎月15万円を20年間保障する保険であれば、保険期間の開始時は総額3600万円だが、10年後には1800万円まで減っており、保険料はその分安くなる。)

「これまでの定期保険は保障額がずっと一定の『四角』だが、収入保障は年数が経つに連れ保障が減っていく『三角』で、無駄がなく合理的な保険」というセールストークが消費者にはストンと落ちるようで、代理店を中心に人気が出ていた。保険会社としても支払が長期に渡って分割されるうえ、「保障は最大3600万」と保障内容を大きく見せることができる、というメリットがあった。そして、日頃から保険代理店と接することが多い社員の中では次期商品候補として収入保障保険を推す声が強かった。

そして、先進医療保障。国民健康保険の適用外である手術のうち、2,3のものは約300万円と高額の自己負担を個人に求められる。主に初期のガンを除去するための粒子線や陽子線治療が対象であり、ガン患者の中でも1%未満の人が利用するに過ぎないものだが、「先進医療」という響きと「最大1000万まで保障!」という広告の成果もあり、消費者の間で関心が高まっていた。

それでは、我々ライフネット生命は開業後初めてとなる新商品として、何を選ぶべきか?これは、普通の会社にとっての商品戦略より重要な意味を持っていた。というのも、我々の社内の経営資源、キャパシティを考えると、1年か2年に一つしか新しい保険商品は発売できなかった。となると、商品戦略は会社の方向性を決定づける経営戦略そのものに他ならなかった。

ここで注意すべきは、上記の3つの商品はいずれも他の保険会社によって既に販売されていたことである。ネット直販というメリットを活化せば、コスト優位性を発揮できる可能性はあった。しかし、中核商品を割安で提供するという目標は、既存の定期保険と医療保険である程度は果たせていた。

そもそも、我々の創業理念は「ネットを使ったディスカウントプレイヤー」になることではなかった。今までにない、本当に消費者志向の新しい生命保険会社を創ることにあった。

とすると、我々の戦略決定の指針は、「あったらいいな、と皆が思うが、何らかの理由で既存の生保が実現できないこと」をやることにあった。

「ディサビリティ保険に挑戦してみないか」

いつもは若い社員の自主性を尊重し、細かい指示を出すことがない出口が口を開いた。ディサビリティとは、病気やケガなどで寝たきり状態になってしまった時の収入逸失に備えるための保険で、日本語では「就業不能保険」と呼ばれる。欧米では広く普及し、一般化している保険だが、我が国では一部の大手企業向けに団体保険として提供されている他は、例がなかった。

「え・・・・それは難しいですよ、出口さん。発生率データは整備されていないし、モラルリスクに対する備えも容易ではありません。だからこそ、各社とも、これまで興味を持っていても及び腰だったんじゃないですか」

他社の商品動向にも詳しい同僚の一人が、即座に答えた。

出口はニコッとして、こう答えた。

「他社ができないことだから、僕らが挑戦すべきなんだろう。簡単でないのは分かっている。でも、岩瀬君を中心として市場調査をして、マーケットのニーズを聞いてまわって、どうしたら実現できるか、検討して欲しい。」

確かに、ディサビリティ保険の必要性は一部の専門家の間では唱えられて来た。例えば、ニッセイ基礎研究所理事の明田裕氏は「ディサビリティこそが保険、共済に残された最後のフロンティア」と題する論文を2003年に発表していた。

世の中に求められているけれど、何らかの事情で既存企業が提供できていない商品を提供する。このミッションに照らせば、ディサビリディ保険こそが、我々が取り組むべき次期商品に思えた。
 
すぐに、関係者にインタビューを申し込み、ヒアリングを開始した。

生命保険のカラクリ

2009年10月17日。たまたま母の59歳の誕生日とも一致したこの日、一冊の書物を世に送り出すことができた。文藝春秋社から新書の形で出版された「生命保険のカラクリ」である。

よく「この本を書くのにどれ位時間をかけたのですか?」と聞かれるのだが、いつ頃から書き始めたのか、覚えていない。しかし、出口と二人で仕事を始めてから、「へえー、そういうことだったのか」と目から鱗が落ちるような経験を良くした。保険業界の人にとっては当たり前となっているが、一般の人は理解していない事柄がたくさんあることに気が付いた。いつからか、この自分が味わった感覚をより多くの人に共有したい、そのために本の形で纏めたい、という気持ちを持つようになった。

もちろん、世の中には生命保険の本は幾つも出ている。しかし、保険会社や学者の手による本は難解に過ぎ、FPなどが記した書物は分かり易いものの、必ずしも本質に迫れていない気がした。自分ならではのアプローチで、新しいスタイルの「保険本」が書ける気がした。

書く上で決めたポイントが、幾つかある。自分の思い込みでの記述は避け、とことんファクツとデータ、ロジックで議論を組み立て、かつその時代を実際に生きた諸先輩方の意見をよく聞くこと。保険の普遍性と日本の特殊性を同時に浮かび上がらせるべく、欧米の保険市場と徹底して比較をすること。商品の説明だけでなく、引受から支払、資産運用まで保険会社のオペレーション全体をカバーすること。現代の市場のあり方を理解するために、保険業界の歴史と発展の経緯を大事にすること。それでいて飽きずに読み続けられるように、軽いタッチのエッセイを所どころ挿入すること。これらを上手に織り込むことができれば、今までにない本ができる気がした。

開業前から原稿は書き溜めていたが、開業してバタバタし出すと一年程、筆が止まってしまった。しかし、何かのきっかけで再開すると、実際に営業を始めてから様々な体験をしていたから、割合スムーズに書き進めることができた。何か分からないことがあっても社内は知恵の宝庫であり、大抵のことは皆に聞いて回ることで解決した。最終校了間近のゲラ段階で急に冴えてしまい、大量の書き込みと修正をして原稿を戻したところ、「この段階でこんなに直されては困ります!」と姉御肌の編集者に怒られもした。

そして、いよいよ発売日が来た。多くの知人、友人が宣伝したこともあり、すぐに重版がかかった。経済誌に書評が掲載され、幾つもの媒体から取材依頼が舞い込んだ。多くの読者もブログに書評を書いてくれて、「目から鱗だった」とポジティブに取り上げてくれた。

業界に入ってまだ数年の人間が、生命保険について語る資格があるのか、悩んだこともあったが、熱く伝えたい気持ちは確実に伝わったようだった。この一冊の本は版を重ね、それと合わせるようにライフネット生命の契約件数も伸びて行った。

(つづく)