尖閣諸島沖衝突事件と国家未来への必要思考 - 松田宗幸

2010年11月18日 11:25

尖閣諸島沖中国漁船衝突事件に関し、海上保安庁が撮影したビデオ映像を保安官がユーチューブへ投稿したことに関し、11月15日、警視庁と東京地方検察庁公安部は、10日から神戸市の海上保安庁が入る庁舎に事実上の軟禁にされ、任意の事情聴取を受けていた海上保安庁職員の逮捕を見送る決定をした。本件に関し、庁舎前で弁護人が保安官のコメントを読み上げた。

「私が今回起こした事件により、国民の皆様、関係各位には、多大なるご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げます。海上保安庁の皆様、中でもお世話になった方々や今回の件でご苦労されている方々に対しては、申し訳ない気持ちで一杯です。今回私が事件を起こしたのは、政治的主張や私利私欲に基づくものではありません。ただ広く1人でも多くの人に遠く離れた日本の海で起こっている出来事を見てもらい、1人ひとりが考え判断し、そして行動してほしかっただけです。私は、今回の行動が正しいと信じておりますが、反面、公務員のルールとしては許されないことだったと反省もしております。私の心情をご理解いただければ幸いです」


「公務員のルールとしては許されないこと」を「正しいと信じております」と認識しているならば、声明文の内容が支離滅裂でこの保安官は職務意識が欠如し、国家公務員としてルールとして許されずその資格を欠いており、これを義挙して讃える世論の機運には違和感を覚えるという意見もある。投稿名で名前を想起された仙谷官房長官は、「由々しき事件だ。徹底的に調べていただかないといけない。私の刑事事件経験を含めた常識からいっても、その広さと深さの想像がつかない。治安に関与する職員が故意に情報を流出させたことになれば、大阪地検特捜部の事件に匹敵する由々しき事案だ」と述べた。自民党谷垣氏は海上保安官を、青年将校クーデターの二・二六事件を引き合い「映像流出を擁護する人もいるが、国家の規律を守れないのは間違っている」と批判した。

筆者の経験においてマーケットで商品が売れる時。それは企業が社会に対し必要なものとして提供し貢献している時である。商品が売れなくなるとき。それは企業が社会でなく提供する企業の特定の人に対し貢献させようとしている時である。また商品が継続的に売れるかどうかを決めるのは、不安定感に対応する能力である。安定感の領域で生きれば、商品は次第に売れなくなる。衝突V問題は現政権がミクロの意見や懸念を優先させた事がミスリードとなっていた。民主党は野党時代には情報公開を求めていた。しかし与党となり現実遭遇した問題事案には、常に先送りという後回し手法をとってきた。結果的にそれは隠蔽体質という世論評価のつけとなり表面化された。先回りという戦略を持たぬまま、マスコミ操作やNET規制を進めるならば、それは、国民が認識するガバナンスにおいて、民意と時代との乖離がますます拡大され、支持率は下げ止らないだろう。自民党の谷垣氏は現政権が海保官を非難して、問題の論点をずらした与党のプレストラップに見事に嵌まったともいえる。自民の総裁が民主と同じならば民主でいくと国民に浸透する事をまずは留意しなければならない。政治家が国民や社会に対して、官僚や公務員が貢献したかではなく、政府に対し官僚や公務員を貢献させようとし、それがそれぞれの責任ある立場の発言に表面化されている。政治においてはこれが支持率の大きな要因となる。

国民大多数は衝突Vの公開を求めていた。国民が衝突Vの公開を求めていたシェアは80%。80%は民主党と自民党の支持率を足しても届かない。支持政党を超越した数字こそ民意のマクロであり、国民の大多数はこの事案を流出ではなく公開と認識していたことになる。流出であれば流出させた側の問題であるが、公開であればそうは認識されない。公開した人と側の問題となっているが、最初に隠蔽した人と側の問題としなければならないだろう。逮捕見送りには、海上保安官には公開映像が「保護すべき秘密」にあたるのかとの法律的議論と世論動向が決め手となった。「保護すべき秘密」にあたるかもしれない映像をダウンロードし、民放TV全局が翌日放送した。それが法律で問われることにならければ、「保護すべき秘密」にあたらず、国民が知る権利のある内容=「保護すべきでない内容」であるとの判断があった。それでは「保護すべき秘密」は何か他にあったのか?それを問題の起点としていかなければならない。

衝突V公開に関するロイターオンライン調査では、日中関係のさらなる悪化7%、情報管理体制の甘さ9%、政府が情報を隠すこと31%、日本の領土・領海を外国から守れるか53%となっており国民の危機意識の高さが伺われる。現政権は世論や野党により、その外交姿勢が弱腰と評価されている。外交における弱腰は何に起因しているのだろうか。1つは日本国憲法第9条による攻撃できない自主規制の物理的な側面が問題となる。どんな戦いでも防御だけで勝てない。もう1つは危機管理能力とよばれているが、正確には危機を察知する能力であろう。武道においては、心技体知と呼ばれる、精神力、技術力、体力、戦略力は戦いにおいてもちろん重要な要素であるが、攻撃の危機そのものを初動段階で察知する能力が勝敗の大部分を占めている。仕掛けというトラップに嵌まった後の展開では勝利への道は限りなく遠のく。衝突Vを見た議員の中には、漁業で魚を取っていただけで逮捕にいたった事が問題だった。あるいは衝突自体たいした事ではなかったという意見も目立った。特に現政権側の議員に多く、この危機察知力の欠落が、国民と国家国益を守る意思の欠落という弱腰姿勢の根底を形成している。危機を察知する管理能力を持たねば独立国家は成立しない。

トロール漁船とよばれる船は、工作船に用いられる事が多いというのはインテリジェンスの世界では常識であるという。世界に公開された映像を見れば、トロール漁をしている船は工作船ではないだろうか?と軍事力という戦う意志を持つ世界の大多数は判断するだろう。取材したTV局の映像には船長と呼ばれている人の住居も玄関入口が閉鎖的で、漁村にしては何かものものしい。漁港と呼ばれる港には同じデザイン、カラー、仕様の船が多数存在し、漁港の風景にしては不自然な違和感を醸し出している。衝突で船の鋭角で補強された先端部をみれば、衝突を前提とした船のようにも見える。船の重量やサイズが異なれば、正面から衝突した場合、質量で勝るものが優位となり、劣る側は沈没する。ゆえに船長と呼ばれる操業者は後方から追突させている。「よなくに」には先端部であてているが、「みずき」には船高サイズを測り、先端部では致命傷を与えられないと同時に、乗り上げて自ら沈没するリスクを回避する為、あえて横あてで追突させている。衝突対象の相手の船サイズによりストレートとフックそしてアングルとダメージを判断し使い分けるテクニックを持っている。これらは漁業操業用のテクニックではないのは明らかである。

ユーチューブでは、この時の追突のものではないが、やはり日本の海保と中国船との攻防を中国船側からの撮影映像で見る事が出来る。 何時ものかは不明だが、日中両国を含め世界が知る権利ある日常的な問題であり、映像である。つまり保護すべきでない内容であたるのだが、中国船側には潜水服を着た人もいる。潜水服を着た漁業従事者もいないこともないだろうが、海底調査が目的とも普通に想像できる。尖閣には推定1095億バレルという、イラク埋蔵量に匹敵するといわれる石油や天然資源がある。また日本や米国は軍艦を偵察するソナーを海底に敷設している。衝突した中国船は、操業のふりをしながら、その位置を探っていたのではとも普通に想像できる。すぐに解放された漁船にはソナー探索機など特殊装置が積んでいたといわれている。尖閣ビデオは海保隊員の研修用として編集されたならば、船長および船員を逮捕するシーンは不可欠のはずである。船長と呼ばれる人は衝突テクニックに長けた操業担当者であれば、すぐに解放された船員の中に本当の目的の監督責任者がいたとも普通に想像できる。そのような国際インテリジェンスに影響を及ぼす人物が乗っていたならば「保護すべき内容」となるが、それよりもそれを逮捕したのにも関らず、あっさりと帰国させた政府と官房長官に対する海保隊員の憤りがあり、それが投稿ネームに表現されたとも普通に想像できる。

2008年5月17日の四川大地震被災地での活動した日本の国際緊急援助隊救助チームは中国で絶賛された。生存者救出こそならなかったが、整列して犠牲者に黙とうをささげた1枚の写真が、中国人の心を激しく揺さぶった為だ。この写真は、援助隊が17日、四川省青川県で母子の遺体を発見した時のもので、国営新華社通信が配信し全国のネットに転載された。「ありがとう、日本」「感動した」「かっこいいぞ」……インターネット掲示板に賛辞があふれた。犠牲者数万人、遺体は直ちに埋葬という絶望的状況に圧倒されていた中国の人々は、外国、しかも、過去の「歴史」から多くが嫌悪感を抱く日本の救援隊が、二つの同胞の命にささげた敬意に打たれた。「大事にしてくれた」ことへの感謝と同時に、失われた命もおろそかにしない姿勢は、「我々も犠牲者に最後の尊厳を与えるよう努力すべきだ」(新京報紙論文)という、中国人としての自省にもつながった。母子の遺体に捧ぐ「黙祷と礼」「生命の尊厳」日本人の敬業精神という美意識が中国国民に感動を与えたのだ。海保官が報道陣前に行した90度礼には黙祷が様々含意されている。「黙祷と礼」を今一度、日本国民の武者の者々も、武者でない者々もそれぞれがそれぞれの心で感じとっている。

「大局着眼し小局着手する」安全保障で求められる感覚であり戦略であるが、憲法の9条解釈を解釈の違いを発生させない正確性をもったものに改正し、尖閣諸島に自衛隊を派遣する時期にきていることは、忘れられようとしているシーシェパード問題を含め明白であろう。国民に対し船頭は限られる。どんな船でも船頭の舵とり責任は明確で、航海の安全と方向性を決め船頭の先導しだいで座礁は起りえる。日本は保安官へ内向問題とせずに大局を判断し、世界への外向問題と捉え、世界を納得させる国家の存在感と器を発揮せねばならない。海保官の毅然とした対応は海保隊員の総意とも受け取れる。海保官は狭義では公務員であるが広義では国民である。そう解釈すれば保安官のコメント内容には整合性がある。個人の権利と自由が何よりも大事だと言う社会を、場合によっては個人の生命すら犠牲にする人々が守っている。そんな人々が社会の権利と自由を繁栄させる為に動いた。それでは何が一番大事で、守らねばならないことなのか?そこを突き詰めて、突き抜けるのが義しき道である。民主主義国家では全国民が政府に対し監視権を持つ。政治が国民と国家の益の為の危機管理における必要理念を踏まえ法を機能させていなかった。ゆえに、海保官はそれを修正する行動に出た。政治家は理念で法を創造するのが仕事で、法解釈だけの弁護士的発言が政治主流となるならば、国家の未来への必要思考は機能停止するだろう。港に停泊している船は安全である。しかし、そのために船は造られたわけではない。

(松田宗幸 (株)Mホールディングス代表取締役 CEO Marketing Creative DirectorMixed Martial Arts Artist. twitter:MAZDA_MHDG

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