生臭坊主の呆れた抗議!

2010年11月19日 10:30

大手スーパーのイオンが、定額制のお布施を含む「安心の明瞭会計」をうたった葬儀事業を始めたところ、全日本仏教会が「仏教精神を踏みにじった」とイオンに抗議したと言う記事を読みました。

僧侶で作家の玄侑宗久さんは「お布施は『システム化』にはなじまない。遺族それぞれに寄り添う『変動相場制』であるべき」だと主張されます。私は「仏教精神」を語る時に「システム化」とか「変動相場」と言う言葉が出て来る時代になったのか!と、改めて時代の流れの速さを感じた事です。


鈴木大拙師や在家仏教の指導者であった加藤弁三郎博士の講和を、実際に聞く機会に恵まれた私は「講和」を通じて多くの人々に感動や感銘を与えて、進むべき人生を説く「徳育」が「仏教精神」の一つだとばかり思っていました。そんな私には「お布施が信仰の核心」だと言う全日本仏教会事務総長の主張は理解を超えています。

これが世に言う生臭坊主かと思った私は、「生臭坊主」の意味を辞書て確かめて見ますと「本来の生臭坊主の意味は戒律を守らない坊主のことであるが、転じて修行やお勤めをさぼり、金策のことばかり考えるような僧侶のことも指す。」とあり、私の解釈通リだと確認して一安心したところです。

それにしても、お布施が信仰の核心と言い放つ幹部への驚きは、とても自分の言葉で表現出来ません。そこで、中野孝次氏がその著「人は何を遺せるのか」の中で「墓」について述べた一節をお借りする事にしました。

「墓は作らぬと決心するにいたったのは、バブル期に寺々のあさましい仕打ちをいくつも見せられたからであった。あのころ、東京都の密集した墓地でも、緑のある横浜の墓地でも、鎌倉の古刹でも、無縁仏を探し出しては片ずけてゆくのが流行のように行われていた。わたしが見た鎌倉の墓地などは、幽邃と言っていい谷戸に苔むした古い墓は僅かしか残っていなくて、墓地のあらかたが新墓であった。区画整理されたままのまっさらな所もいくらもあった。金のためなら何でもすると言うあらあらしい世相が、こういう古寺の墓地にまで及んでいる事は明らかであった。わたしはそれですっかり嫌気がさした。」

私も「お布施を信仰の核心」とする仏教精神には、すっかり嫌気がさしました。

これでは、理想的な人物像を後世に伝える講和ができる筈もありません。私が宗教家に期待した講和の一例を、相田みつを師の「一生感動一生青春」の一節に見つけましたのでご紹介します。

「『おはよう御座います。毎朝良くご精が出ますね!』黙々と草刈をしている男の人の、がっしりとした背中に私は声をかけました。年の頃64-5歳でしょうか。私が毎朝運動のために歩く道筋に市の観光名所になっている『H農園』があります。5月の藤の花で有名なところです。-中略― 草の生えている斜面は、幅約三メートル、長さは三百メールもあります。一人で刈っているのですから三百メートルの長さは大変です。私は初めの頃は『この人はH農園の従業員で、ここの草刈を専属でやっているんだな』と、単純に見ておりました。ところがそうではなかったのです。あとでわかったことですが、この人は農園とは全く関係のない人でした。Uさんといって、元の小学校の先生でした。-中略― さて、このUさんの行為は全く無償の行為だったのです。報償を貰おうとか、誰かに褒めて貰おうとかそんな気持ちは全く無いのです。ただ、草を刈り、ただ花を咲かせているだけです。しかも一生懸命に、そのことに打ち込んでいるんです。私は毎朝Uさんの姿を見るたびに『自分にはこのまねは出来ないなあ』と、心の中でいつもつぶやいております。-中略― ある夏の日の炎天下。Kさん達生徒は校庭で校長先生の話しを聞いておりました。校庭の地面ははやけつくような熱さ。生徒はみんなハダシです。焼けたフライパンの上にいるようで足の裏が熱くてたまりません。じっと立っていられません。そのうち一人の生徒がガマンできなくなって、足をばたばた動かしました。するとそこへB先生が飛んできて『何をじたじたばたしてるんだ!』といきなり生徒をなぐりました。その様子をみていた若い男の先生が、B先生の腕を押さえて『この生徒をなぐるんだったら、この自分を殴ってくれ、生徒はハダシだ。B先生、あんたは靴を履いている。ハダシの生徒の足の熱さが靴を履いている者に判るか!!』と仲裁に入ったというんです。-中略― この若い男の先生はいわゆる教員としては出世コースを歩けなかったようです。人間的にはいい人でしたね。そしてKさんは更に言葉を足しました。『相田さんが毎朝見かけると言う、あの川岸で草を刈っている人ね、あの人はね、実はあの時、なぐられた生徒を身体を張って守ってくれた若い先生、その人なんですよ。U先生というんです。U先生のような人をほんものの教育者というんじゃないでしょうか』私は感動してうなりました。」

「お布施が信仰の核心」と考える生臭仏教が、U先生の生き方を徳育の例に挙げて教える事は不可能です。

宗教法人が税制面で優遇されながら、脱税に悪用する事例が後を絶たない状況を考えますと、生臭仏教は無理に宗教法人を名乗らずに、営利法人に改組して思い切り金策に励んだら如何でしょう。

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