棚上げすべき「幼保一体化」 - 鈴木亘

寄稿

学習院大学経済学部教授

過去最大水準に達している待機児童問題の解決をはじめ、保育・子育てに関する制度改革はまさに喫緊の課題であるが、民主党政権が進めている改革が現在、完全に暗礁に乗り上げてしまっている。


制度改革を検討している政府の「子ども・子育て新システム検討会議」は11月はじめ、約1年間の長い議論の末の結論として、10年後までに、現行の幼稚園と保育園をすべて廃止し、「幼保一体化」施設である「こども園」に全てを統一するという改革案を提示した。これは単純に言えば、幼稚園の経営の自由を奪って、全て保育園にしてしまうという大改革案である。

すなわち、これまで3歳以上の児童に対して1日4時間程度の教育を行っていた幼稚園にとっては、0、1、2歳児の保育を新たに実施し、3歳以上児についても早朝から夜間までの保育を行うことが必須となる。また、保育士や調理師、看護師等を新たに雇い、調理施設を新設するなど、建物も基準に合わせた改装・新設が必要となる。

さらに、幼稚園は現在、各園のサービスや教育内容に応じた利用料金を、自分で設定できる権利を持っているが、こども園の原則は「公定価格」であり、創意工夫や努力に応じた料金設定の自由を行政に奪われることになる。さらに、幼稚園は、試験や面接などで利用者を選ぶ権利すらも失ってしまう。改革案では、保護者から入園希望があった場合、こども園は「正当な理由」なしに断ることができないことが規定されている。

このほか、こども園では行政の介入余地が随所にわたって格段に増すことになり、まさに幼稚園経営の自由は奪われ、行政が生殺与奪の権を持つことになる。幼稚園側がこの改革案にかろうじて納得できるとすれば、保育園並みの潤沢な公費補助金(保育園には、運営費の8割、建物建設費の7.5割もの莫大な公費が投じられている)や、保育園並みの優遇税制(公立保育園はもちろん、私立保育園を運営する社会福祉法人には消費税や固定資産税、相続税をはじめとする全ての税制が免除されている)が、こども園になった幼稚園に認められるという線であろう。

しかしながら、現在の民主党政権に、その実現のための膨大な財源を作り出すことはまず不可能であるから、制度改革は「財源なき空手形の発行」に過ぎない。これでは、幼稚園側が話に乗るどころか、猛反対をするのは、はじめから火を見るより明らかなことである。案の定、幼稚園や保護者団体の反発を受け、政府は提案から2週間余りで、この改革案を事実上撤回し、幼稚園の名称や経営の自由が残る方向で、いくつかの代替案を提示せざるを得なくなった。

すなわち、11月16日に示された政府案では、

(1)こども園への完全移行
(2)法律上こども園に完全移行するが、「幼稚園」「保育園」の名称も使用可
(3)こども園とともに幼稚園、保育園も存続
(4)こども園の類型として幼稚園、保育園、幼保一体型施設が存続
(5)保育園はこども園に完全移行し、幼稚園のみ現行制度のまま存続

の5案が提示されている。
 
(1)(2)の案は幼稚園側にとって論外の案であり、(3)(4)は現状とほぼ同じ、(5)は保育園だけがこども園になるということであるから、そもそも改革をする意味が無い。今後、政府は(1)(2)案でなるべく幼稚園側の説得を図りつつ、実際には(3)(4)案に(1)(2)案の実質的中身をどれだけ残すかということで妥協点を探ると思われるが、財源の裏づけの無い現状では、これは長く厳しい交渉となるだろう。

その間に、やる気の無くて有名な菅首相以下の閣僚が改革を降りてしまえば、単なる看板架け替えの現行制度が残るか、そもそも無意味な改革案となるだけである。つまりは、この5案を出した時点で、民主党政権下でこの1年近く行われてきた制度改革論議は、ほぼ「無に帰した」といえるだろう。

さてここで、我々が出発点に立ち戻って考えるべきことは、「そもそも『幼保一体化』などという極めてハードルの高い改革を今、本当に目指す必要があったのだろうか」ということである。

幼児教育は、現行の保育園では不十分であり、保育園で幼稚園並みの教育をやって欲しいという親の声は確かに多い。幼児教育拡充による高い所得格差解消効果は、シカゴ大学のジェームズ・ヘックマンなどの経済学者達によって、極めてクリアに実証されてきたものでもある。

また、様々な構造的な問題からなかなか保育園が増えず、「ここに空き定員の多い幼稚園が参入してくれたら待機児童対策になるのに」というアイディアは、専門家ならずとも誰もが思いつく考えであろう。しかしながら、小泉・安倍政権下の「幼保一元化案」と「認定子ども園」創設の失敗を見ても分かるとおり、業界団体や官僚の抵抗によって、この素朴なアイディアが実現することは極めて困難である。今回図らずも、民主党下において、その困難さを再確認したと言える。

しかし、良く考えれば、保育園の幼児教育拡充が必要なのであれば、あくまで保育園の改革としてそれを目指すのが本筋である。また、「幼保一体化」によって保育園を増やすことが難しければ、本来行なうべきは保育制度改革によって保育園を増やし、待機児童問題を解決するということである。「幼保一体化」はあくまで一手段であり、それが実現困難であれば、別の方法を探ればよいだけのことである。

そして、保育・子育て分野の最大かつ緊急の課題は待機児童問題なのであるのだから、今、民主党政権が全力を挙げて取り組むべきことは待機児童対策である。「子ども・子育て新システム検討会議」本体の改革論議が混乱しているためか、11月22日に出るはずであった待機児童ゼロ特命チームの対策案発表も遅れているが(そして本体の改革論議迷走がブレーキとなって、発表されたとしても抜本改革からは程遠い案になりそうである)、これはまさに本末転倒である。「幼保一体化」などさっさと棚上げして先送りし、まずは、保育制度自体の地道な改革に注力して、待機児童問題を全力かつ早急に解決すべきである。
(鈴木亘)