ある藁人形批判に対する反批判

2010年11月26日 22:20

送られてきた本を見て、はじめて自分が名指しで批判されているということを知るのは、あまり気持ちのいいことではない。もちろん、私も自分の意見を公のメディアで発表している以上、ある程度は、なんの断りもなしに他の公のメディアで言及されたりしても仕方がないと思っている。しかし、名指しで批判をするなら、それなりに仁義を切ることが事前にあってもいいのではないか。

すなわち、本当に「建設的な議論」を求めているのなら、相手の真意は何か、自分の理解は本当に適切なのかを確認するための個別的なやり取りが事前にあってもいいように思う。そうしたやり取りをしてもらちがあかないときにはじめて、批判を公にするということではないか。そうした手続きを省略するというのは、よほど自分の主張に自信があるのだろうが、それが単なる傲慢や独りよがりでしかないリスクを見落としているのではないか。もちろん、意図が他のところ(例えば、世間の関心を引きたいだけとか)にあるのなら、話は別である。


実は、そうした仁義なき批判に遭遇するのははじめてではなく、1990年代の終わりから2000年代の初頭にかけても、本人には何の断りもなしに名指しの批判を公表されるという目にあったことがある。それに比べれば、今回はまだましかも知れない。本を送ってきたからである。名指しで批判を書いておいて、それを批判相手にも送らないという非礼を平気でやる輩がいた。もっとも、今回送ってきた本には、出版社の「御高評を願いいたします」という付箋が挟んであったから、著者の指示ではなく、出版社がパブリシティのために勝手に送ってきただけかも知れない。

問題の本は、向井文雄『「重不況」の経済学』新評論である。

この本の第1章(私は、この第1章しか読んでいない)は、問題意識を一定程度共有しているけれども、実は幅広い内容の一群の研究に「構造改革派経済学」というレッテルを貼って一括りにして、それがサプライサイドの生産性のみに関心をもち、需要サイドの視点が欠落している(あるいは、乏しい)と断定することを内容としている。そうした決め付けをすることが、自説の意義を強調する上で有効だとの意図からだとみられる。

しかし、その内容は全くの藁人形論法でしかない。この本のいう「市場の歪み」論なる藁人形を創作するために、偶々目に付いたのか、対談形式である分やや「緩い」記述になっていることから言葉尻をとらえ易いと思ったのか、池田さんとの共著の『なぜ世界は不況に陥ったのか』の次の一節(p.244)が引用されている。

 生産性上昇率の低い産業がウェイトを増大させるというのは、本来の市場メカニズムでは起こらないことのはずです。本来の市場メカニズムでは効率のいいものが生き残って、効率の悪いものは生き残って規模を縮小するはずです。ところが、九〇年代の日本においては、効率の悪いものが規模を拡大し、効率のいいものが規模を縮小したということが起きたのではないかという話になるわけです。
 そういうことを引き起こしたのは、総合経済対策という名前で行われた一九九〇年代の裁量的な景気刺激策、財政出動が大きな原因の一つとして考えられます。


私の主張として明示的に引用されているのは、これだけで、参考文献にも私の他の著作はあげられていない。しかし、私の名前だけは繰り返し出てきて、

構造改革派経済学では、日本の長期停滞をサプライサイドの「生産性問題」と、その改善を阻害する「市場の歪み問題」としてとらえる。つまり、市場の構造的な歪みが産業の生産性上昇を抑え、それが九〇年代以降の長期低迷の原因になっていると考える。例えば先の池尾氏は、その歪みは、九〇年代に政府が行った「総合経済対策」によって引き起こされたとみなしている。[p.17]


あるいは、

池尾氏は、生産性のみに視点を限定する立場から、九〇年代に生産性の高い産業が雇用を縮小させた原因として、政府の「総合経済対策」による「市場の歪み」を挙げているが、ここまでみたように「市場の歪み」論は実証的に否定されており、これではパラドクスを説明できない。実は以下に述べるように、開発途上国との国際競争に係わる「需要」側の視点(構造改革派に欠けている視点)を導入すれば、この矛盾もごく自然な動向として理解できるのである。[pp.30-31]


といった「批判」が行われている。

ところが、私個人は「市場の歪み」といった表現をどこでも使用した覚えはない。ちなみに、先ほどの池田さんとの対談本のからの引用は途中で切れており、その続きは、

要するに、公共事業を積み増し、建設業を雇用の受け皿にしたわけです。建設業というのは、TFPの上昇率の低い方の産業なわけです。建設業のウエイトが経済対策の結果として高まったことが、マクロで見たTFPの下落を招いた一つの原因だと思われます。


というもので、建設業に人為的に需要を付けて拡大させたという話をしているに過ぎない。政府介入によって市場の資源配分機能が歪められたという趣旨だとはいえるが、需要サイドを無視しているわけではないという証拠にもなろう。あるいは、引用してもらっていないが、同書の中では、

 不況は、現象的には常に需要不足です。そんなことは当たり前だ(中略)。病気になると熱が出るのが当然のように、あらゆる不況は現象的には需要不足です。[P.234]


とも書いている。いずれにせよ、(「資源配分の歪み」というのならまだしも)「市場の歪み」といった抽象的でよく分からない概念を(同書でも、他の著述でも)振り回したりはしていない。もし「市場の歪み」というのが私の主張の眼目だというのなら、当のそのキーワードを私の書き物の中に見出すことができないというのは、きわめて奇妙な話ではないだろうか。藁人形論法だという所以である。

なお、この記事の読者に私の本当の主張の概略を知ってもらうために、少々長くなって申し訳ないけれども、よりまとまったかたちで私の主張を展開している拙著『開発主義の暴走と保身』2006年から、1990年代の以降の長期低迷の原因に関する記述と、上記引用に関連すると思われる記述の計2箇所を以下に引用しておきたい。

 これに対して最近の議論では、一九九〇年代の長期低迷の原因に関して、「生産性ショック」の影響が大きいという見方が有力になってきている。ただし、こうした見方は、供給サイドにだけ目を向けたものではない。というのは、生産性の低下のようなショックは、「長期的な家計の恒常所得や企業収益見通しに影響を及ぼすものであり、それは民間の消費支出や企業投資、つまり総需要にフィードバックする可能性がある。企業収益の将来経路はその現在割引価値である株価にも反映することから、バランスシート変化を通じて人々の支出行動にさらに影響を与える可能性もある。資産価格の影響を考慮することで、供給から需要へのフィードバック効果がさらに強まると予想される。」(宮尾龍蔵氏の論文からの引用)からである。
 このように、需要サイドと供給サイドを截然と二分して両者を対立的なものとして考えるのではなく、需要と供給の相互作用まで考慮すれば、負の生産性ショックが発生したことが、需要不足と緩やかな物価の下落を含む一九九〇年代以降の日本経済の長期低迷の最も根本的な原因だと考えられる。ここでいう負の生産性ショックには、一九八〇年代後半に過大な成長(収益)率を期待して投資を行っていたところ、それが事後的に誤りだ(実際の成長(収益)率はもっと低い)と判明したというものである。こうした予期しないかたちでの期待成長(収益)率の低下が、「資産価格の調整とともに、長期にわたる過剰設備、過剰雇用、過剰債務の発生、及び経済停滞につながる」(植田和男氏の著書からの引用)ものであることは、ピグー・サイクルという名称の下に知られている。[pp.189-190]


 一九九〇年代以降、冷戦終了に伴って世界的な供給構造の変化が生じ、日本経済にも大幅な産業構造の変化が求められるようになった。端的には、日本周辺にも工業化諸国が出現するようになり、従来のようなフルセット型の産業構造は維持できなくなった。その結果、とくに国内市場向けの労働集約的な製造業(中小企業が多い)は、日本国内における存立根拠を失うことになった。比較生産費的に考えて、軽工業品のようなものは、中国をはじめとした東アジアから輸入する方が有利となった。
 しかし、これらの業種に勤める人々は、他産業に移るとそれまでの経験や技能の蓄積を失ってしまう。そうした「痛み」を回避したいと思うのは当然であり、そのことが政治的圧力となって、一九九〇年代には、これらの産業の規模縮小をむしろ抑制するような形の人為的な需要支持政策が大規模にとられてきた。また、一般的な雇用対策として多用されたのは公共事業の拡大であり、その結果として建設業の拡大がもたらされた。他方で、輸出型の製造業は、構造調整の一環として東アジアとの国際分業体制の構築を進め、国内での雇用量を順次減少させていった。国内市場向けの労働集約的な製造業や建設業はTFP上昇率の低い産業であり、輸出型の製造業はTFP上昇率の高い産業である。
 この結果、TFP上昇率の高い産業の比重が低下し、逆にTFP上昇率の低い産業の比重が増大するということが、まさに起こった。以上の意味で、総合経済対策という名称の下に一九九〇年代に繰り返し実施された財政出動による人為的需要支持政策は、生産性上昇率の低下をもたらした主たる原因の1つであるといえる。加えて、企業と銀行の間の長期的関係にもっぱら基礎を置く相対(あいたい)型の金融システムのあり方が、産業構造調整の歪みを増幅するような効果をもったと考えられる。[pp.195-196]

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