政治主導をあきらめる

2010年12月09日 01:43

民主党が「政治主導」を旗印に掲げ、2009年7月の衆院選での歴史的な大勝利によって戦後初の政権交代を実現した。そして、それから1年半の月日が過ぎ去り我々日本国民はこの「政治主導」というものにひどく落胆することとなった。筆者はもともと大きな期待はしていなかったのだけれども、それでもまさかここまでがっかりさせられるとまでは想像できなかった。


鳩山由紀夫を最初の首相とした民主党政権は、確かに当初は「政治主導」であったと思われる。しかしその政治主導はひどいものだった。反米、反市場のイデオロギーと、小泉純一郎に対する嫉妬の入り交じった憎悪に突き動かされていた鳩山政権は、次々と日本を誤った方向に導いていこうとした。今となっては、沖縄の普天間基地の問題、郵政再国有化など、当時の鳩山政権が政治主導でやっていたこと、やろうとしていたことの多くがひどく間違っていたことは誰の目にも明らかとなった。確かに国民は日本に充満する閉塞感を打ち破るために民主党の「政治主導」に期待し、民主党に投票し、政権交代を実現した。しかしその政治主導が現状をより悪いものにするならば、当然、現状維持の方がマシである。かくして鳩山由紀夫は辞任に追い込まれ菅直人が首相になった。菅直人は良くも悪くもサラリーマン家庭に育った普通の人であり、民主党のスローガンであった「政治主導」は跡形もなく忘れさられ、いつもどおりの官僚が統治する国に戻ってしまった。官僚が意思決定し、産業界と根回しの終わったことを各省庁の大臣、そして首相が追認するという、お馴染みの日本の統治構造である。それでも悪い方向にひたすら走っていく鳩山政権のような政治主導よりは、現状維持の官僚主導の方がいくらかはマシであると筆者は考えている。

我々は民主主義の国に住んでいる。議院内閣制の国に住んでいる。そこでは選挙により国民により選ばれた議員が、そして議員によって選ばれた首相が組成する内閣が政策を決定するべきであり、官僚機構はあくまで内閣をサポートする政治的中立な組織でなくてはならない。そのような意味で「政治主導」は理念としてはどこまでも正しい。ただ公務員試験でいい点数を取っただけの官僚が日本の政策を主導する正統性などどこを探しても見当たらない。しかしながら筆者は理念としては完全に正しい「政治主導」というものをあきらめる時期に来ているのではないかと考えている。日本はやはり官僚主導でしか蘇らないのではないかと思いはじめているのである。

なぜ政治主導はダメなのか。あるいは無理なのか。一番の理由は多くの政治家に能力がなく、何の専門知識も持ちあわせていないことだ。確かに志、道徳心、正義感などといった資質を筆者は否定するわけではない。しかし一国の政策を主導するために当然に持ち合わせていないといけない政治、経済、法律などの専門知識をほとんどの政治家が持ちあわせていないという事実を、志や道徳心などで補えるわけではない。柳田前法務大臣が自らの専門知識の無さを冗談でいったところ辞任に追い込まれたが、実際にはほとんどの政治家が柳田氏以上に自らの職務を行う専門知識を持ち合わせていない。そういった専門知識を持ち合わせていない政治家が、政治を主導したところで何も生まれないか、むしろ悪化させるだけである。だから政治家は官僚に頼らざるをえないし、選挙に関係の無い政策は官僚に丸投げなのである。

次の理由は国民に政治家を選ぶ能力がないことである。上記のような資質のない政治家を選んだのは国民であり、ほとんどの国民は日本を理解し日本をよくするための最低限の知識すら持ち合わせていない。ここで正攻法で物事を考えるならば、国民を教育により啓発し、国民一人一人に日本をよくするための知識を身につけさせ、民主主義政治への参加を促し、それにより真に能力と志のある政治家を選ぶことを目指すということであろう。しかし筆者はそういった正攻法は絶望的だと思っている。

筆者は金融市場で仕事をするビジネスパーソンであるが、多くの大衆は無知であり、その無知さを改めることは非常にむずかしいことを身をもって学んできた。不合理な金融商品が絶えず作られ、そういった金融商品を喜んで買う者は後を絶たない。またそういったビジネスを主導する金融のプロとて過去の失敗から何も学べない愚かな存在である。他の身近な例をあげれば、駅前のパチンコ屋はいつも混んでいることだ。パチンコをする経済合理性は全く無く、また娯楽としてもあんなに受動喫煙の激しい店内で長時間座っていることなど筆者にとっては想像を絶する行為だ。パチンコをやめることによってほとんどの人の人生がよりよくなることを筆者は確信しているが、それにもかかわらずパチンコ屋に通う人は後を絶たない。このように人間の愚かさを示す例は枚挙に暇がない。この間、筆者がたまたま見ていたニュース番組で、就職活動中の女子大生がインタビューに答えて「菅首相が(一に雇用、二に雇用、三に雇用といって)雇用対策をしてくれているので期待したい」といっていたのを聞いて、筆者は絶望的な気分になった。労働組合を支持基盤とする民主党政権は、既得権を握った大企業の正社員を守るためにひたすら労働市場を硬直化させる政策をとっており、その結果として非正規社員や彼女のような新卒の求職者にしわ寄せがいっているという極めて簡単な因果関係を、自らが求職者という当事者であるにも関わらず全く理解していないことが、簡単なインタビューの受け答えで浮き彫りになったからである。そして日本の大学生は彼女のような人ばかりなのである。おまけに選挙にもいかない。選挙にいくのは、規制や補助金などにより利権を保持している政治と深く結びついた既得権益層ばかりだ。

このように愚かな国民が選ぶ愚かな政治家が「政治主導」と叫んだところで、やはり愚かな結末しか期待できないだろう。筆者自身も、国民を少しでも啓発しようと思い、ブログなどを書いてきた。しかしそんなことは焼け石に水であり、ほとんど何の成果もなかった。人間の愚かさは非常に安定しており、普遍的なものだと思わなければいけないだろう。宝くじのようなビジネスがなくならないことを考えてもそのことは明らかだ。確かに一部の人々は賢明になりうるが、この世界には次から次に愚かな人が生まれてきて、愚かな人がいなくなるということは決してないし、愚かな人が常に社会の大部分を構成するのである。

このように考えていくと高潔な政治主導などというものは幻想でしかないことがわかろう。やはり次善の策として日本は官僚機構にもっとがんばってもらわないとダメなのではないだろうか。そこで筆者は政治主導のエネルギーを一点に集中する必要があると考えている。すなわち政治主導で官僚のインセンティブ構造を変えるのである。官僚は少なくとも多くの政治家よりも専門知識は優れていると思われる。また継続的に何十年も政策に関わるので、その点でも政治家より実務に精通することになる。何が問題かというと、現状では官僚が自らの利益を追求することと、日本を豊かにしていくことが大きく乖離してしまっていることである。

官僚は公務員であるため皆同じ給料を受け取る。民間業者から何らかの利益供与を受けると非常に厳しい刑罰が待っている。そのような制約条件と年功序列の人事制度の中で合法的に自らの利益を最大化しようとすれば、自らの所属する省庁の権益を少しでも大きくすることに専心することになる。許認可、規制を駆使し管轄する業界を巧妙に支配する。天下り先となる様々な公益法人を設立しそれらが未来永劫庇護されるように法改正を巧妙に進める。こういったことは日本国民の利益に著しく反しているが、だからといって官僚が道徳的に堕落しているわけではない。知的能力に多少なりともすぐれいている者が、その能力を自身の利益のために最大限利用することはむしろ当然のことであり、官僚とてその例外ではない。現状の制度で官僚組織が腐敗するのは、化学の実験で石灰水に二酸化炭素を吹き込めば白濁する、というのと同じような自然現象である。官僚が自らのキャリアで自らの利益を追求する行為が、国民の利益に一致しなくなってしまっている現状の制度こそが問題なのだ。聖人君子でないとうまく回らないシステムなら、それは制度設計そのものが根本的に間違っているのである。よって官僚のインセンティブを切り替える必要がある。

シンガポールの官僚制度などを参考にするといいかもしれない。キャリア官僚は省庁単位ではなく、政府で一括採用して、省庁間の人事異動を活発にする。これで「省益」を第一の優先事項とする弊害がなくなる。そしてボーナスをGDPの成長率などに連動させ、いい経済政策を実行すれば天下りなどしなくても経済的に報われるような制度にする。解雇を自由化して人材の流動性を高め、民間からも優秀な人材を活発にスカウトする。いずれにしても天下り官僚が何千万円も退職金を貰って許せないから、それを「政治主導」で法律で禁じようなどという浅薄な発想ではダメだ。国民の利益と官僚の利益を一致させるように官僚機構のインセンティブ構造を設計し直す必要がるあるのだ。その一点において、筆者はなおも「政治主導」に微かな期待をいだいている。

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