グーグルというコンパスをいかに使っていくか

2010年12月16日 16:41

ジェフリー・アーチャーの小説の中に、「ハンガリーの教授」という短編がある。イギリス人青年が共産主義時代のブダペストで、たまたまハンガリー人の老教授と知り合う。その教授はまるでイギリス人のように英語を流暢に操り、イギリスについてもあたかも長年住んでいたかのように、豊富な知識と教養を披露するのだが、じつは政治体制のせいでイギリスどころか海外にすら一度も行ったことがなかったという話だ。

一昔前はこのハンガリー人の老教授のように海外の知識を手に入れるためには、旺盛な好奇心と絶え間ない努力が必要とされた。しかし、現代はグーグルという検索サービスのおかげで、クリックひとつで多くのことを「知る」ことが可能となった。


このことに関しては、とても歓迎すべきことだ。イギリスのことを知りたければもう本屋で洋書を購入しなくても、グーグルに訊けば知りたいことを知ることが出来る。ー

誰でも彼でもハンガリー人の老教授のように他国の知識を手に入れ、教養を身につけることが可能となった。

グーグルのような検索サービスの最大の利点と問題点は、「知りたいことがいつでもどこでも知ることが出来る」ということではないだろうか。理論上は、誰でもハンガリー人の老教授になれるようになったのだが、そうはならない。

無駄なものは削ぎ落とされ、情報は斜め読みされ、理解というよりは「なんとなく分かった」ことだけがどんどんと増えていくように感じる。これはもちろんグーグルの責任ではなく、使い手側の責任である。

特定の人たちが情報を占有することは難しくなり、チャンスを活かすも殺すも自分たち次第となった。これは自戒を込めて思うのだが、誰でも情報を取得出来るようになった分、より情報格差が広がっていくのではと思う。

グーグルが謳っているように、世界中のあらゆる情報を網羅することはいずれ可能となるだろう。そうなったときにハンガリー人の老教授のように教養豊かな人物となれるか、海千山千の人物となるかは、今のこの過渡期において、どのような情報をどれだけ深く取得するかによるのはではないだろうか。

株式会社ワンズワード 代表取締役 ブログ

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