日本語冗長化の歯止めがなくなるのか!?

2010年12月16日 16:52

先週、ソニーからReaderが、シャープからはGALAPAGOSが発売された。それら電子書籍端末としての評価は市場が決めるだろうからコメントしないが、やはり今後ますます電子書籍が普及していくことには間違いがない。そういったなかで危惧することがある。解決策が思い浮かばない。そもそも解決する必要があるかどうかもわからない。

ネットの台頭でWebに文章を発表ことが普通になってきた。と同時に、ほぼ記載される文字数に限界がなくなった。ブログにしてもコラムにしても“だいたい”の文字数に納めれば、Webに掲載される。執筆者にとっては細かい文章の増量や減量を気にしなくてもいい。また、それを編集する編集者も楽であることはたしかだ。


というのも、例えば、高級女性誌などビジュアル誌といわれる雑誌では、進行スケジュールもデザイン先行の場合が多く、見出し文字数や文章量がかっちりと決められる。編集長の方針により多少の違いはあるが、ときに「本文最後の1行は、半分以上の長さにすること」などと言う編集長もいて、決められた文字のスペースを厳格に守らなければならないことが多い。そういうときは、1行15文字だとすると最後の1行が「ます。」や「そうである。」などと、5文字程度で終えることが禁止される。2行足らなくて、その分白地が見えるというのはもってのほか。考えに考え、文言や表現を換えて、ちゃんと最後の行が8文字以上の文章量になるように本文を終えるという作業が必要だ。

逆に、ライターさんが描いてくれた文章量が大幅に多いときは、文章を削らなければならない。削る文章量にもよるが、これもまた大変な作業なのだ。文意を変えずに文章を削っていく。ライターさんによっては、せっかく書いた文章を人の手で削られるのを嫌がる方もいるが、編集者が大きく削った文章が、逆に無駄な贅肉をそぎ落とすかのように、読みやすい洗練された文章に変貌する例がよくあるのも事実だ。

実は、ざっと書かれた文章は意外と冗長なものが多い。それを物理的な限界により、推敲を重ね、そぎ落としていく。そういう作業が光り輝く、贅肉のない尖った文章を作っていることが多いわけだ。書籍に関しても、印刷という工程が入ると、最低でも4ページ単位でページが増えたり減ったりするので、無駄な紙を使わないためにも、文章量の減量などが必要なのである。

が、それら物理的限界が電子書籍にはない。19ページの書籍も作れるし、221ページのものでもいい。そもそもリフロー型のファイル形式では、ページ数そのものの概念がない。となると、Webと同じように“だいたい”の文字数で本が書けるわけだ。たった数文字を減らすという作業にアタマを悩ませる必要がなくなるわけだ。

しかし、それによって、冗長なままの文章が世にあふれるのではないか、という危惧が私にはある。「冗長でなにが悪い?」と言われれば、返す言葉も見つからない。ただ、編集者として文章量を調整するときの「考える」という作業が必要なような気がしてならない。そういう過程を経て作られた文章も世の中には必要なのではないか。そのような文章が世の中から消えていくことが、少しではあるが正直不安というのが本音である。杞憂なのかもしれない。しかしなにか解決策が必要な気もしている。いや、解決しなくてもいいものかもしれないが……。

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