経済政策が本質的に機能不全となる理由

2011年01月08日 12:53

経済政策とは政治である。政治の道具に過ぎない。経済を良くすることを一義的な目的として経済政策を実施する政治家はいないし、いたとすればその政治家は無能である。


政策の目的は、政権を維持するあるいは奪取するためである。それ以外の何物でもない。だからある政党の経済政策はポピュリズムであり駄目だ、という議論は間違っているのである。

ある親しい政治家は、経済政策とは要は分配政策に過ぎないと言って憚らないし、宗教学者の島田裕巳は、現代および今後において政治に誰も期待していない理由は、財政上もはや分配政策を行う余力がないからだと分析する。

配るパイが存在しなければ、政治家は無用の長物なのである。

バラマキ政策が有効なのは、その負担が見えないからで、将来に先送りすれば、コストなしに分配できるから、極めて有効な政策手段となる。もちろんここで言うコストとは、政治的コストであり、経済的な効率性が阻害されることなど、政治的には重要性が低くなる。

実は、政治経済理論的にも、経済的な効率性を軽視するのはもっともで、経済成長によりパイが大きくなり、それが多くの人々の手にマーケットメカニズムを通じて行き渡るとしても、それは政治的なありがたみはなく、理論的には、その効果は二次のオーダーであると言われる。だから、部分的な最適化問題を解くときには、高次のオーダーは無視するのが王道となるし、理論的にも正しい。それが、いわゆる限界革命の裏のメッセージである。

もちろんこれは本当は間違っている。

なぜなら政策が変化する場合には、その変化に応じて多くのプレイヤーの行動が変化するから、ダイナミックに、つまり動態的に、かつ一般均衡として捉えなくてはいけない。

しかし、この変化および均衡の行き着く先を予測することは机上の理論としても難しく、さらには、均衡までのプロセスの予測となると、これはかなり難しい。

現実社会においては、この予測の困難さは自明であるが、さらに政治的な議論においては、それは絶望的なものとなる。

政治家も有権者も経済の個々のプレーヤーの行動がどう変化するか予測する能力がないし、予測のシミュレーションを専門家に聞いても、どのシミュレーションが正しいのかわからない。したがって、政治家としての健全な戦略は、自分の支持者の直接の声と世論調査による支持率、および支持率に影響を与えるメディアの担当者の反応を見て決めることになる。

そうなると確実なのは、直接的な効果である。直接的な分配政策がもっとも想像力を必要とせず、またイメージをバラマキの出し手と受け手で簡単に共有できる。

その結果、経済が複雑化すればするほど、経済政策はむしろ単純化し、直接的に目に見えるものとなる。

さらに、プロセスが予測不可能であることは、意図した効果が5年後に出る前に、政策実施直後に出た効果、あるいはその直後の効果を想像した評論家の非難に屈することになる。プロセスの途中で少しでも悪影響が出ようものなら、そこで、その政策は打ち切りになる。

したがって、壮大な一般均衡に基づいて打ち出す政策は、必ず失敗に終わり、それを企図する政治家は政治家失格なのである。

この結果、複雑化する経済においては経済政策は単純化するという、経済政策の双対性定理(私しか呼んでいないが)が成り立つ。

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