経済政策とは政治である。政治の道具に過ぎない。経済を良くすることを一義的な目的として経済政策を実施する政治家はいないし、いたとすればその政治家は無能である。
政策の目的は、政権を維持するあるいは奪取するためである。それ以外の何物でもない。だからある政党の経済政策はポピュリズムであり駄目だ、という議論は間違っているのである。
ある親しい政治家は、経済政策とは要は分配政策に過ぎないと言って憚らないし、宗教学者の島田裕巳は、現代および今後において政治に誰も期待していない理由は、財政上もはや分配政策を行う余力がないからだと分析する。
配るパイが存在しなければ、政治家は無用の長物なのである。
バラマキ政策が有効なのは、その負担が見えないからで、将来に先送りすれば、コストなしに分配できるから、極めて有効な政策手段となる。もちろんここで言うコストとは、政治的コストであり、経済的な効率性が阻害されることなど、政治的には重要性が低くなる。
実は、政治経済理論的にも、経済的な効率性を軽視するのはもっともで、経済成長によりパイが大きくなり、それが多くの人々の手にマーケットメカニズムを通じて行き渡るとしても、それは政治的なありがたみはなく、理論的には、その効果は二次のオーダーであると言われる。だから、部分的な最適化問題を解くときには、高次のオーダーは無視するのが王道となるし、理論的にも正しい。それが、いわゆる限界革命の裏のメッセージである。
もちろんこれは本当は間違っている。
なぜなら政策が変化する場合には、その変化に応じて多くのプレイヤーの行動が変化するから、ダイナミックに、つまり動態的に、かつ一般均衡として捉えなくてはいけない。
しかし、この変化および均衡の行き着く先を予測することは机上の理論としても難しく、さらには、均衡までのプロセスの予測となると、これはかなり難しい。
現実社会においては、この予測の困難さは自明であるが、さらに政治的な議論においては、それは絶望的なものとなる。
政治家も有権者も経済の個々のプレーヤーの行動がどう変化するか予測する能力がないし、予測のシミュレーションを専門家に聞いても、どのシミュレーションが正しいのかわからない。したがって、政治家としての健全な戦略は、自分の支持者の直接の声と世論調査による支持率、および支持率に影響を与えるメディアの担当者の反応を見て決めることになる。
そうなると確実なのは、直接的な効果である。直接的な分配政策がもっとも想像力を必要とせず、またイメージをバラマキの出し手と受け手で簡単に共有できる。
その結果、経済が複雑化すればするほど、経済政策はむしろ単純化し、直接的に目に見えるものとなる。
さらに、プロセスが予測不可能であることは、意図した効果が5年後に出る前に、政策実施直後に出た効果、あるいはその直後の効果を想像した評論家の非難に屈することになる。プロセスの途中で少しでも悪影響が出ようものなら、そこで、その政策は打ち切りになる。
したがって、壮大な一般均衡に基づいて打ち出す政策は、必ず失敗に終わり、それを企図する政治家は政治家失格なのである。
この結果、複雑化する経済においては経済政策は単純化するという、経済政策の双対性定理(私しか呼んでいないが)が成り立つ。
コメント
>>経済を良くすることを一義的な目的として経済政策を実施する政治家はいないし、いたとすればその政治家は無能である。
これはないでしょう!!
小泉純一郎氏の郵政民営化は如何ですか?「経済を良くすること」と、「政権を維持又は奪取すること」は両立することもあります。両立する政策であれば、どちらが一義的な目的か詮索しても意味のないことです。郵政民営化は確かに銀行業界の支持はありましたが、大多数の国民も小泉氏のキャッチフレーズ「管から民へ」の意義を理解し支持したから選挙でも小泉氏が勝利したのです。
管氏も評判は悪いがTPPについては積極的に加入を進めたい意向を示しています。TPPについては民主党内での推進派は少数派で、管氏が政権維持を考えれば推進を唱えるよりダンマリを決め込んだ方が利口に思えます。TPPに関する限り管氏は「経済を良くすること」を一義的な目的として実施したいと思ってるのではないでしょうか。
>>配るパイが無ければ政治家は無用の長物
配るパイが無数にある時こそ政治家は無用の長物ではないでしょうか?ゲイツ.メリンダ財団の様な慈善事業がパイを配れば済むことですから。巨額の借金しか残っていない時こそ政治家の出番と思います。施しを配るより請求書を配る方が遥かにつらい仕事ですからね。今からが政治家の出番です。
政治とは為政の手段であり、ポピュリズムとは大衆迎合の愚民政治に他ならないと思います。多数決の論理とは、理念を失わせる手段として存在し、現代の民主主義政治がそれを探求した結果、現代の惰性政治が施政されていると捉えています。
人間に限らず、微妙な変化に順応していくことが出来る本能が備わっています。それだけの経験値がDNAに刻まれている訳であり、それこそが惰性の生き物に他ならないのですが。
経済成長こそが使命命題と捉える政治家も多いようですが、多いに誤っていると思います。菅さんが著書の中で書かれていたことだと思いますが、お金使うにもエネルギーが必要なのです。無駄と思われる公共事業を行うにも労働者の労働は必要です。
日銀や財務省は数字的な成功しか求めていない。緩やかな経済成長を達成させる為に、ばらまいてでも目標率に近づけさせようとする。バラマキが票を伸ばすという国民を愚民と捉えたポピュリズムの延長が現代の政治なのです。
だからこそ、転換期を欲しています。国の借金が増えたのは、資金需要が減った為です。必要性のない惰性の商品が列挙し、労働価値は減退し、労働者の作りだす生産性は上昇の一途です。一個単位の単価が生産能力が求められた結果の末路です。
(続きます)
無節操で申し訳ありませんが、感激して辛抱出来なくなりました。
政治家個人の選好、政治家としてのポジション、有権者の選好、そしてメディアの姿勢。これらの組合せで経済政策が決まり、時には経済を良くすることもあると理解します。これらを予測、誘導することは極めて困難で、過去の事例も偶然と評価したほうが無理がないと思います。しかし、確率20%を25%に引き上げようと、もがく試みに意味がない訳ではないし、何より楽しい、とも思います。そのこともご承知の上で仰っていると勝手に解釈しています。
今は唯、もっともっと記事が読みたい。
コメントありがとうございます
小泉政権は、まさに私の言う政治家らしい政治家でした。完璧な政策設定で支持率を上げたのです。
それがその後のいずれの政権でもできていない。政治家としての力不足です。
一個単位の単価が生産能力が求められた結果の末路とは、一個当たりの付加価値の縮小に付随される生産能力の必要性です。一個当たりの単価が高ければ、生産能力を必要としません。企画がヒット商品を生み出さないから、構造ピラミッドの下位層にいる労働者に過度な負担と失業というリスクを背追わせています。
例えば、株式は返済期日のない金融商品です。株主からの買い戻しがなければ、バラマキとも言えるでしょう。国債は、返済期日があるので、バラマキとは言えませんが、又貸しが続いている限り、バラマキと言えなくはありません。
バランスシートの借方(負債)に決定的な不足分が生じているわけであり、バブル崩壊時とは逆パターンです。信用構造に決定的な信頼の崩壊が行われ、未来への返済義務と引き換えの子供手当を出そうとしているのが民主党です。
ただ、子供手当という政策目標自体は正しいと思います。それを配偶者控除から捻出しようという優劣で負担と分配が行われるというのは、人間性を大いに疑います。子供を育てる環境というのは、お金だけではありません。金でなんでも釣れると思っているという驕りが民主党を失墜させたのだと思います。
金融商品であれば、需給ギャップを埋める商品などいくらでも生み出せるはずです。
P.S
どうも昨日書いた内容と決定的に違うところがあるのですが・・・ここから資金循環商品に繋がるはずだったんですけどw