歴史的教訓がブームの昨今

池尾 和人

1970年代の末から80年代の初頭にかけて、第2次石油ショックの影響もあって、米国は高インフレの継続に悩まされる。この時期は、現在では「グレート・インフレーション(Great Inflation)」と呼ばれている。それを当時のボルカー連邦準備理事会議長が、景気後退に陥ることを厭わず、きわめて強引な金融引き締め策をとることによって、終息させる。その後、今次の金融危機を迎えるまで、20年あまりに渡ってマクロ経済的には変動性が低く、インフレ率も低位に止まる時代が続くことになる。この1980年代半ばから2000年代半ばに至る時期は、「グレート・モデレーション(Great Moderation)」と呼ばれている(注)。

(注)ただし、今次の金融危機の直前の数年間だけをとくに「グレート・モデレーション」と呼ぶ用語法もある。因みに、現下の経済低迷については、「グレート・リセッション(Great Recession)」という呼称が一般化してきている。


平穏な時期が20年間も続くと、人間の性(さが)として、ある種の慢心(Complacency)が生じるようになる。慢心が生じたのは、ビジネス界に限られず、経済学界も同様である。そのことを象徴するのは、Wikipediaにも引用されている2003年のアメリカ経済学会での会長講演の際のR・ルーカスの「すべての実際上の目的にとっては、不況防止に関する核心的問題は解決済みである」という発言である。不況-ましてや、金融危機-などを起こさないだけの知識を経済学は既に獲得したというのである。

こうした慢心の下では、金融危機というのは、過去の遺物(あるいは、遅れた国々でのみ起こりえる事象)とみなされるようになった。そして、「われわれは素晴らしい新世界に住んでいるのであるから、過去の経験などに学んでも意味がない」という感じで、歴史的関心は一般の経済学者の中ではきわめて低くなっていた。

しかし、過去の遺物であったはずの金融危機が米国にも再来することになった。この事態に直面して、当初はショックで茫然自失となって、「これは百年に一度の出来事で、予見不可能なものだ」とか、「ブラック・スワンだ」とかいっていた。しかし、やや時間が経過して、落ち着いて我に返ると、金融危機は決して例外的出来事ではなく、歴史上繰り返し起こっている「ありふれた事象」(ただのスワン)であることに気づかざるを得なくなった。危機と危機の間のインターミッションが、今回は20年間と、偶々、平均よりは長かっただけである。

こうした認識の変化から、過去の金融危機の経験に学ぶというのが、米国経済学界においてにわかにブームになっている。その先鞭を付け、ブームの火付け役となったのは、ラインハート=ロゴフの『今度は別だ(This Time is Different)』MIT Press, 2009年である(日経BP社からまもなく翻訳が出る予定で、現在、既に再校までいっているとのこと)。その後も、類似の多くの論文が発表されるようになっている。

これらの研究によると、過去の金融危機の教訓は、第1に、深刻な金融危機の後は、decade(即ち、10年)単位で経済の低迷が続くというものである。深刻な金融危機後の10年の一人あたり実質GDPの成長率は、それ以前の10年に比べて中位値で年率1%低下するとされ、失業率は中位値で5%上昇するとされる。これは、民間部門のディレバレッジ(de-leverage、債務依存度の低下)には長い時間を要するからである。金融危機の先だって、民間部門の債務依存度は対GDP比で4割弱程度上昇するのが通例であり、金融危機の直後はむしろ一時的にはさらに上昇し、その後低下に転じるが、元の水準に戻るまでには5~10年をかかる。その間は、(負債返済のための貯蓄の増大が生じ、)民間需要は落ち込んだ状態が続くことになる。

教訓の第2は、深刻な金融危機に引き続いて、公的債務残高の膨張が起こるというものである。金融危機に対応するための銀行救済や景気対策で支出が増大する一方で、景気の低迷による税収の減少が生じる。それだけでなく、民間部門のディレバレッジを実現するために、様々な形で債務の公的部門への付け替えが行われることになるからである。ラインハート=ロゴフは、大きな金融危機の後では、平均して89%の公的債務残高の増加が生じるとしている。したがって、深刻な金融危機の後には、ソブリン(財政)危機が起こるリスクが高まることになる

現在までのところ、今回の金融危機の後の展開も、上述の過去の金融危機後にみられるパターンに全く沿ったものとなっており、「今度は別だ」といえるような新奇性はみられていない。それゆえ、「財政危機が当然今年のテーマ」となっても、過去に見慣れた光景の繰り返しだということに過ぎないといえる。

コメント

  1. bellydancefan より:

    失業率について、例えば、一人のアルバイターが、職が決まっても10日も続かず、年に10回職を転々とします。このタイプの人は永続的失業率とカウントされます。月末の時点で、仕事に就いているかが役所の失業率の計算方法ですから。

    アメリカでは、仕事を探さず、ネットで生計を建てたり、親のファンドマネージメントを手伝っている人が増えてきているようなので、その内、失業率は減ってくるようにも思えます。

    米国のクレジットカード被害がそれほど深刻で、若者がカードを持てない時代に突入したのです。オバマ政権に入り、金利の自由化の流れを止めましたが。

    まあ、予測はしていましたが、アジア通貨統合、もしくは、IMFの新通貨体制とSDR(特別引き出し権)、バンコールなどの前に通貨の償還はあるのではないかと。オリンピックイヤーでテロ増発(笑)