それは前者は、単なる資源の移転であり、ゼロサムゲーム、後者はプラスサムの可能性があるからだ。
あるテレビ局では、すぐに私をサプライサイダーとカテゴライズして紹介したが、私は自称千葉のケインズでもある。ケインジアンだとか、真のケインズ経済学だとか、構造改革派、そんなカテゴリーはどうでもよい。必要なことは、経済環境、構造に応じた経済政策を採ることで、それこそがケインズの、経済学者はパンフレットを書くのが仕事だと主張した真のメッセージなのだ。
なぜ消費税増税が重要でないか。そもそも重要でないというより、今は増税すべきではない。その理由は景気要因ではない。日本の景気は今はいい。世界的な好況を受けて、景気はいいのだ。今が悪いというのなら、今後はさらに悪くなるだろう。財政は世界的にも日本においても、タイトにならざるを得ないし、金融も引き締めに向かうのが世界的な趨勢だ。財政危機が当然今年のテーマとなる。
だからこそ、消費税増税を、という議論が経済学者的には当然で、良識ある学者、エコノミストは消費税に賛成すると思われがちだが、私は反対だ。
理由は、政治的な“景気”が悪いことにある。
日本の税収水準は低い。対GDP比でみると世界のいわゆる成熟先進国中では最低水準だ。だから、増税の余地が有り、もちろん増税するべきだ、という議論となるだが、これは税水準が低い理由をわかっていない議論だ。
ハーバードのshleiferらの研究によれば、税収の水準は国民の政府への信頼度と相関していることが知られている。これを日本に当てはめれば、日本は政府への信頼がないから、政府は増税できないということになる。
これは現実の感覚とも非常に良く合う。実際、日本では、制度改正を伴って、増税を行ったことは戦後一度もない。要は、高度成長に伴い、名目所得水準の上昇にのっかり、所得税の累進構造を利用して増税できただけのことなのだ。消費税導入時も、引き上げ時も、ネット減税で所得税減税とセットで、しかも、減税先行で行われた。
これは国民が甘えている、という議論もできるが、それを説得できない政府に責任があると見るのが普通だろう。その理由は、政府にお金を預けてもどうせろくな使い方をしないから、増税には反対、ということなのだ。
したがって、民主党は現在は迷走しているが、当初の事業仕分けなどにより無駄を徹底排除、その後に、年金改革とあわせて消費税議論、というのは至極全うな方針だったのだ。
それがいつからか歯車が狂い、迷走に迷走を重ね、しまいには、増税するのが責任ある政府、という本末転倒は主張を論壇に広めることに成功した。
もう一度原点に帰って、信頼できる政府を構築し、歳出を大幅カットすることから初めてもらいたい。
一方、シュウカツ改革については、また改めて議論するが、こちらは、まったなし、このままでは、学生がシュウカツのわなにはまって間違った人的資本の蓄積を続け、日本が沈没する結果をもたらすことになってしまうから、直ちに立ち上がらなければならない。
若年労働力の潜在力がアップすれば、それは日本経済にとって必ずプラスになるのである。
コメント
「これを日本に当てはめれば、日本は政府への信頼がないから、政府は増税できないということになる。」
これは確かにありますね。社会的弱者への援助を始めとして、もっと効率的に税金を使ってくれるなら、私としては税金を上げて貰っても構いません。ただ日本政府にそれが出来るとは思えないので税金を払いたくないのです。
アメリカの富裕層が多額の寄付を行い財団を運営するのも同じ理由でしょう。
「自分で財団を運営して弱者支援をしたほうが、政府に任せるより効率的に弱者支援出来る。何より、誰から支援するかの順番を自分で決めることが出来る。」
寄付には税金対策という面もあるでしょうが、それ以上に弱者支援に自分の意思を反映出来るという面が大きいと思います。
政府に弱者支援を任せたら、本来助けるべき人を助けるのではなく、票に結びつき易い人たちを対象にしてばら撒くでしょうから。
「政府にお金を預けてもどうせろくな使い方をしないから、増税には反対」は、まさにその通りですね。
この件に関してすぐ思い浮かべるのは池田信夫さんのブログ記事「暗黙の民意」です。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51454684.html
渡辺喜美さんの「その前にやることがあるだろ」への反証記事なのですが、どうにも腑に落ちないと思っていたら今回の記事です。
「その前にやること」ができないのなら、たとえ増税しても「できないものはできない」ということですね。
山口巌さんの記事「必要悪としての国家」では「増税で予想されるのは、更なる行政の肥大化と、此れに伴う、財政支出の増加である」と増税論を切って捨ててるようにも見えます。
こうしてみると藤沢数希さんの記事「消費税を上げるときに注意したいこと」が陳腐に見えてしまう今日この頃です。
無駄を無くすことが無理なのに、レントシーキングの起こらない消費税の引き上げを期待できる根拠なんてあり得ないと思いますけどね。
”経済学者はパンフレットを書くのが仕事”
この部分は池田先生のブログが詳しく記載されています。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/e8733410f550fad0eda7721d26d0906e
Σだったりの不当に劣悪な数式に全くの意味を見いだせない、寧ろ絶対悪であり、シンプルな公式を導けることこそ数字に強い人物だという認識に偽りがないので、学会が提示される様々な計算式に軋轢を覚えます。GNPからGDPに置き換わったように単なる目晦ましに他なりません。
池田先生は背景こそが邪魔だと述べてますが、ナチスドイツから覇権を奪う背景とIS-LMのみに惹かれました。それほどまでに、ドイツの哲学、文学は美しく、聡明で、パックスロマーナは偉大な功績だったのでしょう。しかし、池田先生もご指摘の通り、アダムスミスと論点に相違がないのです。ナチスの民族自決に至るまで、DNAに劣悪を付けるのは、かなりの誤りであるということは、あらゆる方法での解明は可能でしょう。No deposit, No return. 若しくは、取るを足る。これが真意ではないでしょうか。誰もが可能性のない真意に参加しません。
比べようがないものを比べてもね
前者は政治化がやるかやらないかだし
後者は民間の意識しだいだしね
まさに正論だと思います。政治家の役割は政治の信頼を高めて、この人は国民を代表して、本当に国民のために精一杯頑張ってくれて、その上でどうしても足りないのだと、国民の大半が納得できる状況を見せてくれて、その姿が心に響いた瞬間に、増税が可能となるのだと思います。日本はタイガーマスク現象のように、本当に必要で役に立つお金なら、苦しい状況でも寄付する志の高い人が大勢いる国です。一方、人を欺いたり卑怯なマネは許しません。政治家が、口先だけで、日本の危機を煽って強権的に増税したって、国民は消費を控えたり合法的に節税して対抗するまでのことです。
全く賛成です
巷に溢れる増税やむなし論には何かもやもやを感じる人が多い理由だと思います。政治は感情です、冷静な論理で財政再建の必要性をくどくど説明されてもなんだか納得できないのが普通だと思います。
仕送りで贅沢三昧に暮らしている学生が親に金を送れと言い、送らなければ学校にも行けないし食事も取れないから死ぬかもしれないと言ってきたとします。
当然ながら、まずは生活を改めろ 歩いていける距離に学校があるなら歩いて行けと言ったのに、都会の生活はそうじゃないと屁理屈で論破されしぶしぶお金を送る親の心境です。
どこかやり玉に挙げて無理矢理でも修羅場を作るべきです。既得権と戦っている姿勢を見せれば、予算のスリム化に血まみれになっている姿勢があれば案外簡単に行くんじゃないですか
今みたいに、物わかりの良いボンボンみたいに
話し合って→説得されて→そのまま→でも増税じゃ底なし沼のようです。
政治とは怖いものですが、子供番組のように毒がなさ過ぎて物わかりが良すぎて60超えたような大人のやることかなと首をかしげます。
訂正です。
パックスロマーナではなく、パックスブリタニカ。