日本のディカップリング論

2011年02月18日 22:20

日本の政治は迷走に次ぐ迷走で、何がメインストリートだったか、走るべき道、王道だったか、わからなくなっている。

一方、日本の株式市場は、世界経済の好景気を受けて堅調に推移。実体経済も回復基調で、好景気となっている。

通常は、国が沈めば、株式市場も沈み、それは海外のヘッジファンドが政治をねたに仕掛けるのが定番になっているが、今回は逆だ。海外ファンドが日本株の復活をはやして着実に買い上げている。

これをマーケット的には、ディカップリングと呼ぶ。

つまり、日本政府、あるいは日本という国が駄目でも、企業はグローバルだから別だ。むしろ、日本ディスカウントがあるから、お買い得だ。という論理。

これは本当だろうか?


ディカップリング論の本家は米国であった。

かつて、2007年の夏、パリバショックでサブプライム破綻は明らかになり、欧州銀行間市場は崩壊したのに、米国株式市場は2007年10月に最高値を更新した。これを正当化したロジックがディカップリング論だ。

いわく、米国実体経済は、サブプライムバブルあるいは不動産バブル崩壊でダメージを受けるだろうが、それは限定的で、しかも、米国大手企業、とりわけダウ構成銘柄のグローバル優良企業は、収益の大部分を米国以外であげており、世界経済はまだまだ好景気が続くから、米国経済は駄目でも、米国企業株は上がり続ける、というものだった。

もちろん実際には、2008年9月のリーマンショックによって、ロジックも何もなく、大暴落となるわけだが、ディカップリング論ということは理論的には有り得たのか、ということは考える必要がある。

これは今となっては、当時の株価を維持するための「方便」だったという解釈が説得力を持つし、さらに言えば、彼らが売り抜けるためのストリーだったと言われても仕方ない感じもする。しかし、このような背後のストーリーを除いて考えれば、理論的にはありえない話ではなく、国内需要は弱いが、輸出需要が強く、経済成長を続けている現在の日本経済と同じことである。

余談だが、これが地方の地元の中小企業の支援者から話を聞く政治家の景気実感と、日銀がマクロ的に判断する景気観との大きなギャップを生み出しており、これもある種のディカップリング、景況感のディカップリングだ。

さて、日本の政治が駄目でも、グローバル日本企業は政府に頼らず、世界で利益を伸ばし続けるから安泰だ、というロジックは、理論的にはありうるが、近未来の予言としては正しいのだろうか。

私は、近未来を3年以上のタームで見る場合には、正しくないと考える。

日本政府が迷走すれば、社会は混乱し、社会全体は暗いムードあるいは虚無感に支配されたムードとなることだろう。そのような陰鬱な場となった日本で働いても、意欲も出ないし、アイデアも出てこない。若者も育たないから、企業の構成員の活力も失われていく。したがって、企業がどんなに収益を海外から引っ張ってきても、社会の活力は低下していき、結局、日本人に依存しているあるいは日本という場の活力に依存している日本に本社、頭脳を持つ企業の活力も失われていくだろう。

だからディカップリングは成り立たない。

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