「震災国債の日銀引き受け」論に思う

2011年04月01日 00:45

今回の大震災からの復興にかかわる財源の調達に関して、それを増税によるべきか、国債の追加発行によるべきか、後者の場合には、さらに市中発行によるべきか、日本銀行に直接引き受けさせるべきか、をめぐって議論が行われている。「復旧復興対策基本法案」の素案要旨にも、公債発行特例措置を定めるとともに、「日銀引き受けも検討」と明記されたと報道されている。


ただし、ここではあえていずれの方策が望ましいかについての私見を述べようとは思わない。むしろ、ここで指摘したいと思うのは、財源の調達ということからも明らかなように、これは財政政策のあり方に関わる問題であり、その決定の権限とそれに伴う責任は、国権の最高機関である国会にこそあるという点である。日銀がどうしたとか、金融政策がどうしたとかという話では全くない。国会議員が自分で判断し、結果の責任を取る必要のある話である。

これまで、「日本銀行が正しい金融政策を実施しないので、経済の調子が悪い。-> しかし、日銀には独立性があるので、自分たちにはどうしようもない。(->だから、自分たちには責任がない。)->だから、日銀法の改正が必要だ。」というような主張をされていた国会議員の方々が、少なからずおられたように思う。いささか責任回避の議論だなぁ、国会議員はやるべきことを全部ちゃんとやっているのか、という気が私にはしていた。

ところが、今般の「震災国債の日銀引き受け」という話になると、その権限が国会にあることは明白である。財政法第5条の規定によれば、国会が議決をすれば日本銀行に国債を直接に引き受けさせられるのであって、その検討は、日銀の意向等は関係なく、国会の意思が問われるテーマにほかならない。もちろん、権限の所在がそのようなものである以上、結果に対する責任も一に国会(とそれを構成する個々の国会議員の方々)にあるということになる。

換言すると、「震災国債の日銀引き受けの検討」というテーマには責任転嫁の余地はない。可とするにせよ不可とするにせよ、その帰結に対する責任は最後まで自分たち国会議員がとる以外にはないという事実を踏まえた上で、国会で正々堂々と審議してもらえばいい話である。個々の国会議員に決定に対して責任をとる覚悟が求められるが、それは当然すぎることである。マクロ経済学の知識がなかったというような言い訳があとで通用する事柄ではない。かりにうまくいかなくても他人の責任にするわけにはいかない。

別の機会にも述べたことがあるが、そもそも中央銀行は、政府の子会社のようなものである。グループ全体(日本経済)の調子が悪いというときに、もっぱら子会社の経営者(中銀総裁)に責任があるというような議論はどこかおかしい。当然、親会社のトップ(総理大臣)や執行役員(閣僚)、取締役(国会議員)により重い責任があるはずである。より大きな権限もそこにある。そのことをこのテーマは明らかにする意義をもっており、ぜひ国会で活発に議論してもらえばよいと考える。

国会議員を選んだのは私たち国民であるが、その責任は、国会における議論の結果決まった経済運営の帰結の影響から無関係ではあり得ないということで、果たされると考えられる。経済的困難が何の痛みもなく解消されるというバラ色の未来が待っているかも知れないし、不況下の物価高という悲惨な状況が招来されることになるかも知れない。いずれにせよ、受け入れるしかない。国会の議決の結果なのだから。それが、民主主義国家というものである。

そういえば、今日はエイプリル・フールですね。

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池尾 和人@kazikeo

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