より強く意識すべき「世界のコンポーネントとしての日本」

2011年04月11日 17:02

あのような未曾有の天災に見舞われてもなお我慢強く冷静に対応する日本人への評価は、たちまちのうちに世界で高まった。しかし、原発事故に関連しての情報の混乱と対応の不手際は、残念ながらこれを相殺してしまったと言ってもよい。これは、期せずして、日本人の強さと弱さを、同時に浮き彫りにするものであった。


強さは、平均的な日本人が天性持っている「我慢強さ」と「誠実さ」であり、これは草の根レベルで遺憾なく発揮された。多くの善意に溢れる人達が現場で頑張り、臨機応変に対応して結果を出した。一方、弱さは、一言で言えば、「リーダーシップの欠如」であり、これは「構想力と組織的な対応力の不足」「決断の遅さ」などという形で現れた。

例は悪いが、これは先の大戦での米軍による日本軍の評価と一致している。米軍の幕僚は、戦場における日本軍の臨機応変の対応力と忍耐力は高く評価しつつも、上層部が指導するワンパターンの戦略と戦術は全く評価していなかった。

大戦後日本が奇跡的な経済成長を果たした時にも、米国の経営学者は日本から何を学ぶべきかを真剣に考えたが、結局は、「日本企業の成功は、日本人固有の誠実さや集中力、忍耐力に負うところが大きく、そのようなものがなければ日本的経営手法は機能しない」という考えに収斂していき、それ以後は「日本異質論」が主流になり、それが日本パッシングに合流していった。

要するに、「明治維新」という特異な一時期を除いては、近代の歴史において、日本人はその致命的な弱さを克服できないままに、独善的な自己満足に陥り、現在に至っていると言ってもよいだろう。また、「明治維新」が成功したのも、当時の幕藩体制と欧米の列強の「力の差」があまりに大きかった為に、古いものを捨て去る事に躊躇がなく、「とにかく学ぶしかない」という思い切りがつけ易かった故だろう。

現在の日本の閉塞感を打ち破る為に、明治維新の精神を現代に生かそうと夢見る人達は多いが、私は楽観的にはなれない。戦後の日本の経済的成功体験がある種の「過信」を生んでしまった為に、「現在の体制でやっていける」と考える人達の勢力がなお強く、抜本的改革派は質量とも劣勢を否めないからだ。

不幸にしてこの弱点が噴出したのが、今回の原発問題であると私は考えている。私は、日本の「政」・「官」・「産」・「学」のエスタブリッシュメントがどっぷりつかっている下記の二つのシンドロームが、今回の問題をもたらしたと見ている。(既存メディアにも若干は「同じ穴の狢」の傾向が見られる。)

1)一旦方向が決まると、それに反する方向でのあらゆる議論が封殺され、想定されていない事態への備えが等閑にされること。(みんなが「空気」を読み、「まさか、そんなことは今更言い出せないでしょう」と言って、想定外の事態への備えを放棄してしまうこと。)

2)「権威者」が力を持ち、その下に厳然たるヒエラルキーが構成され、全てを「内輪の論理」で律して、外部への情報開示や外部からの批判やアドバイスを嫌うこと。(「そんな事はちゃんとやっていますから、外部の人は口を挟まないで下さい」という権威者側の姿勢が、無批判にまかり通ってしまうこと。)

今回の原発事故について言うなら、最大の謎は「何故あらゆる不測の事態に対するマニュアルが完備されていなかったのか」という事であるが、これも恐らくは、そんなことを提案すれば、「日本の原発は『絶対に安全』なのに、何故そんなものが要るのか?」と白眼視されるような「空気」があったからではないだろうか?

(例えば「ロボット大国である筈の日本で、何故強い放射能洩れの環境下での作業を可能とするロボットが準備されていなかったのか」という疑問も、多くの人が持っているであろうが、こう考えると納得できる。)

また、今回、一連の情報開示がかくもお粗末で、「諸外国の信頼失墜」という由々しい事態を招いてしまったのも、「全てを内輪の論理で考え、『外部の人達がどのように考えるか』など考えてみもしない」という「日常の思考と行動のパターン」が、無意識的に出てしまったからではなかろうか? 

(例えば、東電の清水社長が病気で倒れ、外部の重要人物に会えなくなってしまった時も、東電側は「多忙」を理由に面会を断っている。正直に「病気で倒れた」と言えばまだよかったものを、恐らくは「内輪の論理」で、「そんなことは明かせない」という事になったのではないだろうか。しかし、「多忙」を理由に面会を断られた相手が、「一体何を考えているのか」と不信感を募らせるのは当然である。そういう反応がある事などは思ってもみなかったという事自体が、組織の病理の深さを示している。

最近起こった「濃度の薄い汚染水の海への放出」に際しても、仮に決定を覆す選択肢は全くなかったとしても、「先ずは発表前に漁業関係者や諸外国に誠意を尽くして説明して、理解を得る努力をする(最低限その姿勢を示す)」という事は、普通に仕事をしている人達の感覚なら、「常識中の常識」なのだが、そういう事に思いが至らなかったのは、「内部の論理だけで全てが決められる」という日常の「力の過信」故だったのではないだろうか?)

しかし、済んだ事については今更何を言ってみても仕方がない。問題はこれからのことだ。

事故発生後一ヶ月たった現在もなお、対応策を決定し推進する組織体制(司令塔の所在と機能)や情報の整理と伝達の手順は、未だはっきりしない。これを明確にする事は焦眉の問題であるが、その際に、その体制の中にIEAEや米国の代表などを組み入れる事が必須だ。彼等のアドバイスを有効に活用する事も重要だが、それ以上に、全ての情報が100%彼等と共有される事を保証し、一日も早く諸外国の信頼を回復する必要があるからだ。

私は仕事柄多くの外国人と交流があるが、彼等の多くが「東京に放射性物質が降り注ぎ、人がまともに生活できなくなる」ような極端な事態を想定し、心配してくれると同時に来日を控えているのが現状だ。米国政府が福島原発から80キロ(50マイル)圏内からの退去勧告(現在は30キロ圏内に範囲を縮小済)を出したのが引き金になったのは事実だが、もし日本政府が早い時点で米国政府と完全な情報共有をしていれば、これは避けられた事だと思う。

日本からの輸入食品に対する各国の検閲の強化も、日本政府から出る情報と日本の安全管理体制への信頼の喪失が原因と考えざるを得ない。米国産牛肉の口蹄疫問題の時に示されたように、日本は「食の安全」に対しては比較的厳格な国だから、政府が先ずは日本国民に対する安全の保証を確実に行い、その事を詳細且つ正確に諸外国に伝えて、日本国民に対するのと同じ保証を各国の消費者に与えれば、問題は早期に解決できるはずだ。

現在、世界各国の相互依存は高まっており、全ての国が世界のコンポーネントとして存在している。原子力関係は特にそうであり、日本が「自国の事は自国でやるから放っておいてくれ」と言ってもそうは行かない。大気や海水の汚染問題に近隣諸国が神経を尖らすのは当然のことであるが、問題はそこに留まらない。日本が原発の安全確保に失敗すれば、米国やフランスのような原発への依存度の高い国のみならず、世界全体のエネルギー問題に深刻な影響を与える。

日本が世界のコンポーネントである限りは、前述のような、外国人には理解不能な独特な「閉鎖性」や「情報の隠蔽体質」は、この際強い意思を持って解消すべきだ。「最悪時を想定しない危機管理体制」や「物事を空気だけで決めてしまう体質」も同様だ。「日本人は阿吽の呼吸で物事を決めているのだ。その辺の事は外国人には分からない」と言って、無反省に自己満足している人達がいるとすれば、この際是非考えを改めて欲しい。

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