今回の大震災が日本の危機でないことが日本を危機に陥れる

2011年04月27日 15:16

大震災後の危機対応策や復興プランについての議論が活発である。しかし、ほとんどの議論は本質的な誤りを犯している。それは今回の危機は実は日本の危機ではないということだ。


今回の大震災は甚大なる被害を岩手、宮城、福島、茨城の4県に与えた。原発事故が被害を複雑なものにしているが、しかし、結局は極めて甚大な被害をローカルに与えたローカルな事件なのである。日本をひとつに、というきれいごとはこの危機の理解を誤らせ、田解決策を複雑なものにし、誤ったものとするリスクがある。官邸は、危機をことさらにあおり、日本全体の危機としてそれと戦うことを見せることにより、政権への支持を高めようとしている。危機により政権への批判的な目をそらそうとしたから、ことさら日本の危機と煽ったのだ。
日本経済は今回の震災で危機になど陥っていない。全国的に直接の影響のある事件はない。西日本はほとんど影響を受けないだろう。東日本、要は東京圏のことだが、ここは、電力供給制約とサプライチェーンの損壊が問題とはなっている。しかし、これも戦後最大の危機かというと、とんでもない。大変な事件ではあるが、前述の4県の被害に比べればとてつもなく小さな損害に見えてくる。
サプライチェーンは日本経済にとっても重要であるが、対応は、国家ではなく各企業グループ毎の戦略と動きに委ねられる。国家としての危機対応は電力マネジメントの方だ。電力供給制約の問題は日本の経済構造を変える大問題と雑誌もテレビも財界も騒ぎ立てているが、本当はたいした問題ではない。高々25%の消費電力をピークで抑えるだけだ。3月は政府が何もせずに東京電力に丸投げしていたから大混乱だったが、数ヶ月をかけて政府がコントロールすれば対応は可能だ。実際、計画停電は避けられる見通しが出てきている。
しかし、メディアはそうは言っていない。もうこの世の終わりが夏に来るような勢いである。メディアが間違っているのか、私が狂っているのか。
電力問題を解決する案は唯一つ。新潟の柏崎刈羽の点検停止中の原発を再稼動させ、議論となっている濱岡原発を停止しその後は廃炉とする決断をすればいいだけなのだ。
そんなこと、この状況の中で出来るわけない、お前は狂っているとメディアには批判されそうだし、総理に提言したら狂人として官邸からつまみ出されそうだ。しかし、狂っているのは官邸のほうである。
電力が止まり、酷暑の中、冷房が止まることにより多くの高齢者が死ぬリスクを考えれば、それを放置することのほうが狂っている。そして物理的には簡単に解決できる問題なのに解決しようとしないで国家をわざわざ危機に陥れている官邸は狂っている。
具体策は単純だ。官邸が原子力発電所について、これまで以上に十分なリスク管理の下に稼動することを徹底することを前提に直ちに動かすという決断をすれば終わる問題なのだ。しかし、決断をするは難しい。だからできない。そのとおりだが、これが今回の危機の本質をあらわしているのだ。
日本政府に欠けているのは、決断とその決断を危機感と情熱と愛情を持って国民と議論するという気概だ。危機には国民が一体となって真摯に議論すれば道は開ける、そしてそれしか道はないという強い信念だ。これにより日本経済は真の危機に陥るのであり、これが今回の危機の本質だ。
官邸は決断を一切せず、責任を天災や東京電力のせいにして、すべて受身と批判に回っている。危機の本質と向き合わず、危機を解決しようとせずに、政治の立ち振る舞いをどう見せるかということに終始している。
たとえば、電力が止まり日本経済が沈没するリスクがあると、経済紙が書き立てるように信じているのであれば、政府は、原発を動かすという決断をするだけで解決でき、そしてそれ以外に解決の方法がなければ、決断するはずだ。それをためらわせるのは、原発に対する国民の間での不安の高まりと再稼動に対する強い地元住民の反対だ。しかし、不安に振り回されて現実の日本経済が滅ぶということは通常はありえない。そのような国はこの世に存在したことがない。国が滅ぶなら、不安になっている国民に気を使って本当のこと、つまり国家の危機であり、不安よりは現実の危機を優先することを宣言することを選ぶのが普通だ。それにもかかわらず、それを放置して、一電力会社に地元住民との話し合いを任せるなど、国家を担う主体としてありえない判断だ。そもそも福島第一原発の仮払いを東京電力に任せているのはおかしい。国民の危機なのだから、政府が仮払いして、真の責任追及はその後すればよい。これも東京電力に責任を負わせ、政府は一切直接的な責任はないというスタンスを維持するために、避難所の人々の目先の生活を無視した意思決定をしているのである。
原発を動かすことに反対があるから、それは決断だけの問題ではないというだろう。国民世論の人気投票のために政権が存在するなら、動かすという決断はない。しかし、日本経済の危機を救う気があり、危機と真摯に向き合い、国民を信頼し、為政者として国に対して責任をとる気があるなら、原発を動かすかどうか少なくとも議論をするべきだ。なぜなら、止まっている柏崎を動かすことと、今動いている日本中の原発を動かし続けることとは、実体的な原発事故のリスクとしてはほぼ同じであるからだ。柏崎を再稼動できないならば、日本中の原発を直ちに止めなくてはいけない。とにかく原発は駄目ということなら直ちに止めるべきだ。それが出来ないのは、電力供給のさらなる大幅削減には耐えられないからである。ということは、原発の放射能漏れのリスクと電力供給による経済への影響とは常にトレードオフであるということだ。原発が命にかかわるなら、電力供給のストップによる熱中症による死亡というリスクは遥かに高く、そして現実のものだ。一方、放射能が怖いのは不安だからである。それなら、不安と向き合い、現実のリスクとのバランスをどうするか、国民的に真摯に議論し、それをリードして結論を出すのが政治の役割だ。完全にリスクのないものはないものは認め、その上で、柏崎刈羽はリスクを非常に低くすることが可能になった。だから動かす。一方、濱岡原発はリスクがある。だから停止する。このようなファクトに正面から向き合う議論を行い、当初は国民の反発を買おうとも、真実を伝え、議論するという姿勢を貫くことだけが、国民の信頼を得る道だ。それを放棄している以上、危機対応をするのが政府の一番の役割であるのに、それを放棄した日本政府は今後何の役にも立たないだろう。
これは、原発問題にとどまらない。日本政府の姿勢、本源的な能力によるものであるから、幅広い経済問題においても同じことが起こる。原発関連でも風評被害に対して、消費者の過剰反応をそのまま受け入れる意思決定しかしていない官邸は、経済そのものも見捨てているのである。
この間に、地球は回り、世界経済は動き、日本は世界の中で完全に遅れてしまうのであり、今後の流れを決定付けるだろう。この流れでは世界経済の中で日本企業が活躍するためには、日本政府と縁を切るしかないことになるのである。したがって、今後の日本は政府の機能が低下したまま、世論もメディアも批判の対象としていた政府が批判されてもパフォーマンスが上がらない不感症政府となり、機能停止し、企業は個別に自力で活躍するしかなくなる世界がやってくる。
こんなことは世界で戦っている企業にとっては常識であったことだが、この常識が幅広く広まり、日本をついに見放す企業が静かに増え続け、気づいたときには日本経済は大きく衰退していることになるだろう。
ローカルには甚大な危機である今回の大震災に対して、その現実と向き合わず、派手なパフォーマンスを狙った政府が日本経済全体を現在の危機と同時に将来にわたっての日本の危機に危機を昇華させてしまった。
今後の世界と日本の関係は個別企業が外でがんばるということが徹底されるようになるだろう。野球もサッカーも世界的に活躍する選手が続出したように、日本企業は今後、真にグローバルに活躍することになる。政府とは無縁となった真のグローバル企業が続出した後に、これらの企業も究極的には無国籍ではいられ続けられないという現実を将来再認識し、空洞化した日本経済に直面した国民が真に国家の危機に気づき、政府を批判するだけでは何も始まらないことを認識した上で、サッカーのように監督あるいはリーダーを外部から招聘するしかないと思うことになるだろう。真にグローバルな企業になりきれなかった大企業も政府と同じように、トップを外部から招聘することで、将来立ち直りを図ることになるだろう。将来の日本経済は、トップを外部に依存する経済と政府になる。そして、その日は意外と近い。

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