松本龍前復興相入院のニュースに接して

冨賀見 祐輔

松本龍前復興相が、「軽度の躁(そう)状態」で入院した、とのニュースを聞き、かなり驚きました。

入院先の九大病院の主治医によると、震災の対応で心身が疲労した結果、「気分障害で軽度の躁状態」になったそうです。大臣辞任の引きがねになった被災地での突飛な言動も、この「躁状態」が関係した可能性が高い、とのこと。また、6月初めからは、不眠や疲労感があったため、催眠薬も服用していたそうです。


確かに、この病状を知った後では、松本氏の被災地での異常ともいえる言動、例えば、出迎えた達増岩手県知事へ向けていきなりサッカーボールを蹴ったり、村井宮城県知事を「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ」と叱りつけたりした言動も、何となく理解できるような気がします。

あれらの言動は、大臣に任命されるほどの人物のものとしては、あまりに非常識で、アブノーマルなものでした。でもそれが、あの大震災に正面から向き合った結果の「軽度の躁状態」が引き起こしたものであるとすれば、アブノーマルと軽々に決めつけることはできはしなかったでしょう。

私がこの松本前大臣入院のニュースに接して、反射的に想起したのは、1945年、ストレート・フラッシュ号という気象観測機に機長として搭乗し、エノラ・ゲイに広島への原爆投下の命令を下した、クロード・イーザリーという軍人パイロットのことでした。

戦争終了後、イーザリーは、原爆で死んだ多くの人々の幻影におびえるようになり、徐々に精神に異常をきたすようになります。酒を浴びるように飲んだり、金を奪う気もないのに郵便局に強盗に押し入ったりするようになったのです。

そのイーザリーと、心理学者・哲学者のギュンター・アンデルスとの往復書簡の記録をまとめたのが、『ヒロシマわが罪と罰』という本です。

その本の中で、アンデルスは心を病んだイーザリーに、次のような書簡を書き送っています。(ちょっと長いですが、引用します)

いやそんなことによりももっと適切な実例は、あなたが爆撃手に下した原爆投下の命令の、そのまた命令をあなたに下したあの大統領(トルーマン)です。彼は、本来ならば少なくともあなたと同じ精神的状況にいなければならないにもかかわらず、数年前、ある公開のインタビューの席上で、“良心の呵責”なんか全然感じないと、およそ道徳なんか始めから問題にもしていないようなナイーブな調子で答えて、それで彼の道徳的潔白が証明されたつもりでいるのです。あるいは、この話は、もうあなたにも耳にしておられるかもしれませんが。しかも彼は、ごく最近、七五歳の誕生日を迎えて、彼の人生の総決算をしていうには、後悔に値する大きな過ちといえば三〇歳を過ぎてから結婚したことであるなどと、ぬけぬけと述べています。

僕はその裁判官あてに長文の手紙を書くつもりだ。そして、君自身の手紙の引用をそえてくわしく説明し、君の真剣な態度と“ノーマルな状態”についてうったえてやろうと思う。僕はそもそも“ノーマルな状態”とは何ぞや?といいたいのだ。君にはいまさらいうまでもないが、僕は、君の場合のような異常な経験に対してそれにふさわしい反応の仕方をもって関心を示さない人間こそ、すべてアブノーマルだと思っているのだ。

(篠原正瑛訳・『ヒロシマわが罪と罰』より引用)

広島のあの惨禍を知ったならば、イーザリーのように精神に異常をきたす方が正常なことであり、むしろそうならない方が異常なことなのかもしれません。異常なのは、イーザリーではなく、「良心の呵責」などこれっぽっちも感じようとしなかった合衆国大統領の方かもしれないのです。

つまり、その時の言動だけを見て、その人がノーマルかアブノーマルかを判断するのは、実はかなり難しいということなのです。

同様に…、防災担当および復興担当の大臣として大震災に真剣に向き合ったなら、そして被災者の苦しみを真摯に受け止めたなら、むしろ正常な精神状態でい続けることの方が、異常なことだったのかもしれません。(むろん、松本前大臣は、イーザリーのような加害者の立場でもありませんし、重い病の状態でもありませんが…)

宮城県知事とのあの会談の映像を見たとき、私も他の多くの人と同じように、非常に腹立たしく、不快に感じました。また、「わたしは九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして…」といった彼の奇妙な言い訳を聞いて、同じ九州出身者として、恥ずかしくも感じました。

しかし、以上のようなことを考慮すると、もしかしたら、彼は復興担当大臣として実はかなりふさわしい人物だったのではないか、松本氏へのあの猛烈なバッシングは明らかに行き過ぎだったのではないか、そんな気もしてきます。

被災地のあの惨状を目の前にすれば、そしてその復興の責任者であるならば、あのようなアブノーマルともいえる言動に至る方が、むしろ正常な反応だったのではないか。

もちろん、そんな精神的にひ弱な人間は、そもそも政治家として不適格なのだ、という反論はあると思いますが…。

冨賀見 祐輔