「巧遅拙速」が日本を救う― 「脱原発」は「即時」でこそ意味がある! 

2011年08月01日 10:00

「即時」脱原発に踏み切れ!と言う私の記事に対し、焼野原論とか破壊願望論だと誤解された面があるので、少し解説しておきたい。


日本の最大の問題は「原発」の様な現象的な問題ではなく、物事の処理に当り重要性や緊急性を分別する能力を奪い、決定を先延ばしする体質を生んだ、「平和ボケ」と「茹で蛙症」にある。 

日本が少子老齢化、不公正税制、円高、労働規制、自由貿易協定(FTA)、農業保護政策などの難問を抱えて居る事を疑う者は居ないが、国民がこの難問に然したる反応を示さない事もその証左である。

池田先生も指摘された様に、「人々はつねに現状の既定値を基準として行動するので、それがゆっくり変化しても行動を変えないが、大きく変化すると行動のパターンを改める。それは人々が『今のままでは生活が維持できない』という事実を体で知ること」で初めて変化するのである。

私が「即時」を条件に脱原発を提案した理由は、国民の危機管理意識が高まった今こそ、日本の「先延ばし体質」を、「巧遅拙速」型に転換する好機だと思ったからである。

老廃物を体外へ排出する事を忘れて仕舞った腎臓障害が引き起こす糖尿病や、人一倍働き者で我慢強く、少しぐらいダメージを受けても黙って働きつづけてしまう肝臓の障害は、共に病気になっていることに中々気づかない点では、日本の現状に近い。

その一因は、行政が痛み止め代りに補助金と規制を巧みに使い分けて、国民の自覚症状を麻痺させてしまった事だ。こうして国民は、一種のモルフィネ中毒患者にされてしまった。だからこそ、日本人を覚醒する為には「痛み」を実感する必要があるのだ。

政治家の河野太郎氏や市民運動家の飯田哲也氏に代表される「脱原発派」の人々は、「政府が再生可能エネルギーに本格的に取り組めば、2020年には恐ろしい原発をゼロにしても、国民生活に影響を与える事もなく、温暖化ガスの25%削減も可能だ」と繰り返すだけで、、具体的工程表は勿論、その裏付け資料や、経済、財政分析のシュミレーションは示さない。

脱原発論者が原発の恐ろしさを強調するのであれば、危険が段階的に起こらない以上、2020年迄は原発は安全だと言う合理的な説明をする必要がある。さもない限り、原発危険論をベースにした段階的な脱原発論は理屈に合わない。又、脱原発が国民生活に影響はないと言う理由の説明も不足している。

1997年の京都議定書以来、あれだけ騒がれて来た自然エネルギーが、15年近く経た今日ても、日本のエネルギー供給の1%にも達しないにはそれだけの理由があった筈で、これからの9年間で、原発の担って来た30%を国民生活に傷みを与えず自然エネルギーで埋められるなどとはとても信じられない。

本来、飯田氏の様な自然エネルギー推進派の対立軸は「化石燃料」に置くべきで、クリーンエネルギーの優等生である原発を敵と見做すのも可笑しな話だ。こうして見て来ると、脱原発論の多くは市民運動家の信仰に近い夢物語か、狭量さと機会主義傾向の目立つ政治家のキャンペーンの一種と考えるのが正解ではなかろうか?

これでも判る通り、焼野原願望とか破壊願望の論議と言う乱暴な論議への批判は、脱原発に踏み切った場合の経済的悲劇を予想すらしない、脱原発論者の論議に向けられるべきであろう。

私は、原発廃止が日本の経済に大打撃を与え、失業の増加やインフレを始め国民生活に重大な影響を与えるだろうと言う、経済学者の意見に説得力を感じている。

だからと言って、経済学者の意見をそのまま信じている訳ではなく、脱原発論者の言う通り、スムースに自然エネルギーへの移行が行われる可能性も億分の一くらいあるかも知れないと思っている。失礼ながら、世界の経済学者の経済予測はド素人の予想と余り変らず、殆ど当ったためしがない。敢えて違いを探せば、ド素人に比べると「理路整然」と間違っている事くらいであろう。

「智に働いて角を立てるより、情に棹指して流される」事を好む日本の世論は、マスコミや菅首相に煽動されて徐々に脱原発に向っている。それに対する行政の唯一の政策が、やらせに依る世論操作とは情け無さ過ぎる。
その様な訳で、この際飯田氏の主張を入れて、国民投票で一気に「脱原発」に決めた方が、国民が自分の決定に責任を持つ習慣を身につける上でも良い機会だと思うに至った。

脱原発の結果が、原発肯定論者が予想した通り、国民に大きな痛みを与えたら、原発温存に方針変更をすれば良い事で、脱原発派の主張通りの夢の世界が実現すば、それはそれに越した事はない。私が一番恐れる事は、なし崩し的に原発が温存され、脱原発論の様な無責任な論議が今後も横行する事である。

慢性疾患に大震災と言う急性病態が重なった日本は、緊急の蘇生措置を怠ったり、誤ったりすると予後の救命率が悪くなるのは救命と同じである。危機管理には、複数の難問の中から温存すべき物と廃止すべき物を見分ける、政策上のトリアージュを身につける事も重要で、原発のあり方を国民の手で決める事はその意味でも重要である。

「脱原発は段階的でなく即時に行え!」と言う私の寄稿記事の意図は、なし崩し的な現状維持や拙速を恐れ慎重審議する日本の悪習を捨て、「巧遅拙速」な決定プロセスに切り替える事が、日本に残された唯一の選択である事を訴えたかったのである。

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