今の日本にリーダーシップはいらない

小幡 績

池田信夫氏とこのところ意見が極めて近かったが、今回のエントリー「なぜ日本は機能しているのか」は、あまりに近すぎて、反発したい。

それは、中核派と革マル派の対立と呼べば面白いが、まともに言えば、基本認識はあまりに同一だが、微妙な現状認識の違いあるいは現状における焦点となる現象の違いから生じる対応策としての政策提言の帰結の大きな違いとなっている、ということだ。

日本においてリーダーシップ論はいらない。今においてもだ。


日本は現場が優れているがゆえに、リーダーが育たない。それはまったくそのとおりで、私自身も常にそう言ってきた。

そうなると、安定時の細かい改善、改善の積み重ねによる質的、量的成長に関しては最適であるが、パラダイムシフトなどの構造変革には弱い、というのもまったくそのとおり。

そして、政治が混乱していても日本が機能しているから、政治はこのまま混乱を超えて無責任のまま、日本が機能しない、破綻するまではどうしようもない、というのも論理としては理解できるし、半分は賛成だ。

おそらくこの池田論(小幡論もまったく同一)に対する反論は「いや、日本は危機にはしっかり危機モードにシフトして、自ら乗り切ってきた。その日本の本質的な気概をいまこそ取り戻せ、そして、取り戻せば日本は甦る。池田も小幡もインテリぶった左翼だか新自由主義だかわけのわからないやつらはぶっとばせ!」ということだろう。

つまり、明治維新は明らかにパラダイムシフトに対応し、新しいシステムを自ら構築し、新しい国を作ったではないか。国民国家という動員メカニズム(池田氏においては暴力装置)も社会に埋め込まれた。そして、明治維新を起こした人々はこれを強力なリーダーシップの下に遂行したではないかと。

さらに、大化の改新は、もっと本源的な国家の成立だ。それも、中国という外敵に備えた国家整備で、より鮮鋭に日本のパラダイムシフト対応能力の高さ、リーダーシップ機能の発揮を示しているではないかと。

より一般的には、太平洋戦争後、われわれは立ち直ったではないかと。

しかし、この議論は間違っている。なぜなら、日本の本質は、変革期にあるのではなく、平和期の成熟期にあるからだ。

かつての日本人の気概を取り戻せ、日本人の本質を取り戻せ、現代人は堕落している、と騒ぐのはいいが、彼らの理想の日本人像は明治維新だろうが、幕末、明治維新がNHKの大河でも盛り上がるのは(あるいは戦国時代が盛り上がるのは)、それが日本にとって例外的な時代だったからである。

日本人の根本は江戸時代にある。もともとどうだったか議論が分かれたとしても、江戸の250年により、日本はすっかり江戸化したのである。県民ショーなども人気だが、ほとんどの県のキャラクターは藩のキャラクターであり、江戸時代に確立し、その後、明治から昭和を経ても、二回の大変革を経ても、以前根強く残っているキャラクターなのである。

日本社会、文化の基本は江戸だ。だから、気概からは遠く、リーダーシップからは遠く、改善、改革に優れ、内的な成熟的な町人文化に優れ、限られた市場の中でのマーケティングに優れているのだ。

だから、日本人の本質を取り戻せば、明治維新がおきるというのは間違いなのだ。

どこが、池田氏と小幡で異なるか。ここまでは(おそらく)ほとんど一緒だ。

違うのは、現在が、パラダイムシフト期に当たるかどうか。

私は当たるとは考えない。

日本は普通に衰退、あるいは停滞しているだけなので、衰退局面における停滞マネジメントを普通に行えば、現状よりは劇的に改善する。

ここがポイントだ。

こう考えれば、すべては単純だ。しかも、現代は国家的なリーダーシップの役割が低下していることがむしろ問題なので、それがない前提で動ける日本在住のプレイヤーはやる気になれば、すぐにチャンスが訪れる。

リーダーシップもパラダイムシフトも必要とせず、個々に必要と思われることを淡々とやることだ。

政策においても同じだ。これほど政策の改善が簡単なこともない。なぜなら、既得権益者までもが損をする、パイの縮小、全員が損をする政策が打ち出され続け、選挙対策としてもマイナスの政策が維持されているからだ。それらを普通に少しずつ勝てる政策、金の集まる政策に変えればいいのだ。

年金は新しい自己勘定方式にして、受給している人には少しずつ減っていくのを妥協してもらい、払い込む人には自己勘定だということで納得してもらって払ってもらう。

増税は必要だから、ほんの少しずつでもいいからはじめることにし、歳出削減ももちろん必要だから、増税よりは大きめに歳出をカットする。

政治家の質は確かに低すぎるが、それは有権者の問題もメディアの問題もあるから、それぞれに、質が少しでも上がるような政策を作る。

そして、政党には、きちんと選挙で勝ち、支持率も上がるようなまともな政策を打ち出せるような組織改革を行う。それは個々の議員が、自分の手柄で選挙を勝つのではなく、自分の所属する政党がまともな政策を建設的に打ち出すことでしか、票固めができないことを認識することだ。

そして、政党の執行部、与党であれば内閣も、地道にまともな政策を打つことしか、政治不信の中、政権を維持することはできないという現実を素直に理解する。

こうなると、政党の問題がもっとも困難かもしれないが、それは実はある程度、メディアも選挙も影響は与えられるので、選択しさえ彼ら(政党)に与えれば選ぶことになるだろう。

だから、日本にはリーダーシップはいらず、地道に普通に議論を続ければ日本は現状との比較でいえば、かなり良くなるのである。