最近,NHKの番組で「ウォン安による物価上昇が韓国の国民生活を苦しめている」との報道があった。
このような状況を招いた背景には, 2008年2月誕生の李明博(Lee Myung-Bak)政権が進めてきたと囁かれる,輸出拡大を目的とする「ウォン安政策」が関係していよう。
韓国政府は公式には「ウォン安政策」を否定しているが,これは,為替レートの切り下げ等により,自国の輸出を増加させつつ,相手国からの輸入を減少させ,貿易収支の黒字化や賃金・雇用増を試みる「近隣窮乏化政策」にほかならない。
実際,政権発足前(2007年)には1ドル=約900ウォンであった対ドルでの為替レートは,政権発足後の2008年には1ドル=約1100ウォン(平均),2009年には1ドル= 約1200ウォン(平均)にまで約3割も減価している。
それと同時に,図表1(赤線,左目盛)のとおり,対円での為替レートについては,2007年の約8ウォン=1円(平均)から2011年の約13ウォン=1円にまで約6割も減価している状況にある。
ウォン安の誘導手段として,韓国政府は為替介入を活用しているとの指摘も多いが,2008年9月に発生したリーマンショック後の2年間で外貨準備高増は700億ドルに過ぎない。
厳密には精緻な実証分析が必要であるが,韓国銀行(中央銀行)が政策金利を物価上昇率を下回る水準に維持してきた影響が大きいと考えられる。
ミクロ的には過度な資本流入阻止対策(例:外貨貸出規制,先物為替オプション規制,銀行マクロ付加金)を行ってきたとの指摘もあるものの,実際,韓国銀行の政策金利は,図表2のとおり,2008年10月以降で3%超にも及ぶ大幅な引き下げを行っている(2008年9月の5.25%→2009年2月の2%)。
この大幅な引き下げについては,リーマンショックの対応もあると推測されるが,物価上昇が本格化し始めた2010年7月以降においても,政策金利の引き上げは小幅に留まっており,物価上昇率を下回る水準に維持する低金利政策を行っている(図表2)。
その結果,上記のような低金利政策は,図表1(緑線,右目盛)のとおり,ウォン安の急激な進行を通じて輸入物価の上昇を招いてしまった(注:輸入物価は,2007年1月の値を1に基準化)。
この急激な変動には,最近の「意図せざるウォン安」(欧州のソブリン危機を起点とする新興国からの資本流出に伴う通貨安)の影響もあることはいうまでもないが,それは輸入物価の上昇などを通じて,今年の前半から,韓国経済は4%を超えるインフレに直面している。
デフレの日本からすると,韓国がインフレである状況を望ましいとする読者もいるかもしれないが,それは妥当な見方ではない。図表1の名目賃金上昇率(黒線,左目盛)と物価上昇率(青線,左目盛)をみれば一目瞭然であるが,韓国経済は,物価が上昇しても,名目賃金はそれほど上昇しない状況に陥っているからである。つまり,実質賃金は低下の一途を辿っている。
そもそもウォン安政策は,「自国通貨安→輸出主導の景気拡大→企業収益の拡大→賃金・雇用増」という波及チャネルを目指すものであるはずだが,失業率は横ばいで企業収益の拡大は一部のセクターに留まり,最後のチャネルである実質賃金の増加にまで波及しなかったということかもしれない。
以前のコラムで,「インフレは逆進性のある税の性質をもつ」と指摘したが,実物不動産のキャピタル・ゲイン増や外貨の運用でインフレ・ヘッジが可能な一部の裕福層を除き,韓国庶民はいまインフレに苦しんでおり,韓国ではウォン安政策が招く副作用への批判が高まっている。
日本でもデフレを脱却する目的で円安政策を望む主張もあるが,韓国の経験を十分精査して議論を展開する必要があろう。
(一橋大学経済研究所准教授 小黒一正)