内側からみた政策仕分け

岩瀬 大輔

行政刷新会議が11月20日~23日の4日間をかけて行った「提言型政策仕分け」に、民間評価者(いわゆる「仕分け人」)として参加した。筆者としては昨年秋の「事業仕分け」(市町村の予算)、3月に行われた「政策仕分け」(医薬品のネット販売など)、10月に行われた「独立行政法人仕分け」に続いて、4度目であった。時間は取られるが、企業経営者としての知見を生かして政策決定に多少なりとも関与するのも企業の大切な社会的責任であると考え、業務との兼ね合いで時間が許す限り参加するようにしている。


お茶の間を賑わせた最初の「事業仕分け」から2年。当初の新鮮味も失せ、今回の仕分けに対してはやる前からネガティブな論調が少なくなかった。

各種メディアを通じて聞かれた批判的な意見としては、以下のものがある:
1. そもそも本当に大切な事業を対象としていないではないか
2. 提言には法的拘束力がないから意味がない
3. まずは民主党内で政策をまとめるべきだ
4. 財務省のいいなりだ(夕刊紙の見出しは「財務省、蓮舫を洗脳!」)
5. 政治パフォーマンスに過ぎない

上記の指摘には耳を傾けるべきもの含まれている。しかし、批判ばかりしていても何も変わらない。もちろん本格的な改革が一気呵成に行われることが理想なのだが、これまで何度となく改革への期待が裏切られてきたとおり、現実の政治は様々な制約ゆえに、一気に理想的な姿になることはない。むしろプラグマティックに考えるのであれば、少しでも実(じつ)が取れるのであれば、理想の将来へ向かって小さな一歩でも前へ踏み出すことができるのであれば、それは確実に進んでおくべきだと思う。

そんな思いを背景に、今回の政策仕分けに参加してみて、肯定的に評価すべきと感じた点を論じてみたい。概して我々日本人は「褒めて育てる」のが苦手だ。権力への健全なチェック機能は大切だが、ときにはポジティブな点を取り上げ、それを正確に知らしめることも同様に大切ではないか。もちろん、私自身が評価者として参加した以上、以下の記述にはポジティブなバイアスがあることは当然のこととしてご容赦頂きたい。

実際の仕分けの日に向けては何度となく準備が行われた。行政刷新会議がある霞が関合同庁舎4号館に集まり、説明を受け、議論を交わす。対象となる省庁からの説明。財務当局の見解。外部専門家を呼んだレクチャー。議員と民間評価者との間のディスカッション。本番は各政策あたり2時間程度しか時間を取ることができないので、本質的な論点を浮き彫りにしようと、事前に時間を使って議論を重ねた。

よかった点 その1:政策論議が(コンパクトに)公開された

当日の議論は一般の傍聴だけでなく、4つの事業者によるネット中継が行われており、仕分け人も視聴している一般の方々を意識した説明を心掛けていた。野田総理も「国民の皆さんに公開されていることが一番の拘束力」とコメントしていたが、議論の経過がオープンになっていることがまずもって大切な点である。考えてみれば、官僚と政治家が政策に関する議論をしている映像を、これまで国民の私たちが目にする機会はあっただろうか?

もちろん国会中継を通じてこれまでも公開されていたのかも知れないが、一日中やっている国会中継をダラダラとみる、あるいは1年中やっている審議会を傍聴しに霞が関まで出かけ続ける根気は、ほとんどの国民にはない。その点において、ネット中継で2時間一本勝負、特定のテーマについて絞り込んだ議論を見ることができるのは、いわば政策論議の「ダイジェスト版」であり、国民の参加意識を促すためには適切なフォーマットであると思う。

また、普段は目にすることができない「官僚」という人種が(事業仕分けを契機に)ブラウン管の前に現れたことも意外と重要な点だと思う。私はどちらかというと日ごろから大多数の官僚のプロフェッショナリズムに感心している人間だが、それでも実際に彼らと会って議論を交わすようになるまでは、メディアを通じて語られる「官僚=国民の利益を考えない悪い人たち」という印象を持っていないわけでもなかった。

実際にニコニコ動画に登場する官僚の皆さんは、ダムと堤防を作る国交省の担当者も、中小企業に補助金を配る中小企業庁の担当者も、電波オークションを先延ばしにしようとする総務省の担当者も、彼らの予算を減らそうとしている財務省の担当者も、皆、「国民のことを考えていない人たち」ではなく、政策に対するアツイ思いを持つ(ときにはしどろもどろの回答もしてしまう)生身の人間であることが分かる。彼らにも家族がいて、仕事への情熱があって、朝から晩まで国のことを考えて身を削って働いているわけだ。そんな日本国政府の推進役をバッシングばかりするのは、国家として生産的でない。彼らに政策への思いを語ってもらい、国民に直接届ける機会が増えるのは望ましい。

なお、本来省庁の政策を説明し擁護すべきは官僚ではなく、担当する政治家であるべきだ。この点、私が担当した電波オークション(総務省)、公共事業(国交省)、中小企業対策(経産省)のいずれにおいても担当政務が参加しなかったことには違和感を覚えた。医薬品のネット販売を議論したときは、当時厚労省副大臣だった大塚耕平議員が矢面に立ち、官僚たちを擁護しながら議論をしていた。官僚たちは(一義的には)政治の意思を実行しているのだから、担当する政治家が出てこないのは問題である。政策について非難すべきは官僚ではなく、彼らが実施する法律を通した過去と現在に渡る与党の政治家自身である。

よかった点 その2:各省庁が独占していた政策決定を牽制

次に、政策仕分けによって、これまで各省庁が独占していた政策の議論を開放するきっかけを作った意義は大きいと感じた。多くの政策は、各省庁に設けられた審議会を中心に進められるが、審議会委員の任命権は事実上、各省庁が握っており、自分たちにとって都合の悪い委員は入れないか、あるいは圧倒的多数を自分たちと考えを同じくする委員によって審議会を構成することになる。今回であれば、社会保障の議論について厚労省批判の急先鋒である学習院大学・鈴木亘教授がメンバーに入っていたところに、行政刷新会議の強い意気込みを感じた。

また、行政刷新会議の事務局は、大蔵省出身の加藤秀樹氏が作ったシンクタンク「構想日本」がブレーンとなっているが、実際に作業をする大半の人たちは各省庁から集まった官僚たちである。彼らが立場を変えて、行政刷新会議の事務局として他省庁の官僚と政策議論を交わす。たとえば独立行政法人仕分けのときは、私のワーキンググループを担当した参事官は外務省出身だった。彼が国交省や農水省所管の独法について鋭く切り込んでいく姿、切り込まれる方も「私は以前はそちらの立場で仕分けていたのですが」と弁護したりなどする姿は、なかなか興味深かった。

良かった点 その3:政治的には言いづらいことを政治家が言いきった

たとえば、「年金の給付削減」や、「中小企業への補助金廃止」というのは、選挙を心配しなければならない政治家であれば心では思っていてもなかなか言いにくいことだろう。(たとえば、7月に閣議報告がなされた「社会保障・税一体改革成案」を読んでも、「減額」「引き上げ」という言葉は一度も出てこない。)

今回の仕分けの場では、選挙を心配しないでもいい民間有識者を上手に活用しつつ、政治的なリスクを取ることを厭わない改革派の政治家(というと持ちあげすぎかも知れないが)たちが、持続可能な社会を築くために不可欠な改革を明確に提言していたことは評価すべきだと考える。仕分けはすべてネット中継されているので、すべての発言は有権者に届く可能性がある。それでも、「年金削減」「競争力のない企業の退出」といったことを与党の政治家たちが明確に述べていたわけである。

本来、国民の耳に痛いことを説得することこそが政治家の役割なのだが、いつからかそのような気概をもった政治家を目にする機会がすくなくなっていた。翌日朝のワイドショーで社会保障の取りまとめ役を務めた玉木議員が出演し年金減額の必要性を訴えていたが、与党議員がテレビに出て年金減額を議論するというのは新鮮な光景だった(与謝野さん以外は)。

以上、決して仕分けのあり方に問題がないというわけではないが、あえてポジティブな点を取り上げてみた。しかし、仕分けは一回限りのものではない。今回の提言を、野田総理がどこまで実行することができるのか。そして、仕分けは形を変えながら、これからも継続的に行われていくと考える。いったん、政策論議を目にする権利を得た国民が、それを手放せるだろうか。

いつの日か、国民が(国会中継ではなく、仕分け風のダイジェスト版の)政策論議をネット中継で見るのが、普通になる時代が来るのかもしれない。選挙の前の投票する際の材料にするかも知れない。そんな将来、今を振り返って、子どもは親に質問するかも知れない。

「お母さん。政策の議論がネットで見れなかった時代なんて、あったの?テレビは政局のドタバタを報じるだけ。きちんとした情報がなければ、国民は政治に参加なんてできないじゃない」