オリンパスは、その巨額な粉飾決算や不透明な資金の流れをめぐって、東京地検特捜部、米連邦捜査局(FBI)、米証券取引委員会(SEC)などの捜査を受けている。こういった捜査に全面的に協力しているのが、ウッドフォード元社長である。オリンパスの一握りの経営陣の間で脈々と受け継がれてきた、過去の財テクの失敗の飛ばしは、ウッドフォード元社長により追及され、マスコミに明るみになった。菊川剛元会長らによる報復人事として、ウッドフォード氏は社長職を解任された。この報復に対する報復として、ウッドフォード氏は、過去の不透明なM&Aなどの情報を、マスコミや捜査当局にリークしたのである。
筆者は、刑事犯にされかねないリスクを犯してまでこれらの飛ばしを黙認していた菊川氏らオリンパス経営陣や、逆に刑事犯にされるリスクを恐れて飛ばしを追求したウッドフォード氏の行動を、日本独特の企業統治の観点から解説した。会社特殊的なスキルを身につけ、社内でしか高い地位を確保できない日本的経営者には、刑事犯のリスクを犯してまで会社にしがみつくインセンティブがあり、逆に、プロ経営者として外部のマーケットで価値が認められる外資的経営者にはそのようなインセンティブは全くない、という構図である。
しかし、これらは一面的な見方にすぎないだろう。いくらオリンパスの経営者がプロ経営者のマーケットで売れないといっても、そこまで上り詰めた人物が、会社を辞めたぐらいで生活に困ることはない。粉飾決算という極めて危ない橋を渡ったのは、何かもっと他のモチベーションがあったはずだと思われる。粉飾決算といっても、菊川氏らがそれらに積極的に関わったわけではなく、20年も前の損失を隠し続けて、その損失を少しずつごまかして計上していく飛ばしスキームを「黙認」していただけだ。むろん、法律的にはそれは間違った行動ではあるのだが、見方を変えれば、自らが泥を被ることにより、社員を守っていたともいえる。このような過去の飛ばしがバレて困るのは、オリンパスでまじめに働く何の罪もない社員だったからだ。会社は社員のものであり、その会社と社員を守るのだという使命感があったからこそ、刑事犯になるリスクも厭わなかったのかもしれない。
そして、コンプライアンスを重視し、勇気ある行動をしたとされているウッドフォード氏だが、見方を変えれば、社内の権力闘争において自分より上の人間を背中から銃で撃ったともいえる。戦場では無能なリーダーは、部下に背中から銃で撃ち殺される。ビジネスという戦場でも同じだ。ウッドフォード氏は30年もオリンパスに勤務しているが、典型的なアングロ・サクソンの思考回路をしているように思える。外資系企業にはウッドフォード氏のような人物はたくさんいるし、筆者自身が何よりそういう思考回路を持っている。会社で働くというのは合法的にライバルを蹴落とし、ひとつでも上のポジションに駆け登っていくというパワー・ゲームに過ぎないし、会社を経営するということは、合法的に会社の利益を極大化させるマネー・ゲームに過ぎないのだ。筆者は菊川氏のような人物のいかにも日本的な行動は理解できなかったが、最近では、うっすらとだがわかるようになってきた。だから、オリンパスの経営陣は何の刑事罰も受けないだろうし、オリンパスが上場維持されるだろうことも、かなりの確度で予測していた。ライブドア事件とあまりにも扱いが違っていたとしても、だ。
会社法に限らず、日本の法律は西洋から輸入されたものだ。日本は見よう見まねで法治国家というのを運営しているのである。そして、このように西洋から輸入された法律や、会社は株主のものであるとするコーポレート・ガバナンスの考え方は、日本の稲作を中心に発展してきた村社会の不文律とは相容れないものがある。よって、司法も、西洋から輸入された法律を、最大限に日本人のこういった感覚に合うように運用している。株式の持ち合いや、買収防衛策が広く認められ、株主の権限がひどく制限されている。厳しい解雇規制などで経営者の社員に対する権限もひどく制限されている。
現在、ウッドフォード氏は、多くの外国人株主の支持を取り付け、またCEOに返り咲こうとしている。筆者は、こういったウッドフォード氏の行動、あるいはパワーゲームを支持しているが、多くの日本人はどう思うだろうか?
参考資料
インタビュー:オリンパス社長に復帰なら資本増強=ウッドフォード氏、ロイター
オリンパス取締役辞任、「これからが面白いよ」渦中のひと、ウッドフォード元社長の告白、日経BP
ライブドア・ショックは今更ながら経済小説の100倍面白い現実に起こったドラマだ、金融日記
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