慰安婦問題について

松本 徹三

最近来日した韓国の李明博大統領が再び「慰安婦」問題を持ち出し、「未来志向の日韓関係」はまた後戻りしてしまった。国内政治を意識しての止むを得ないパーフォーマンスだったと理解はしているが、残念な事だ。

私は実はこの問題はあまり論じたくはない。後述するように、この問題は人間のどうしようもない一面を嫌でも見せ付けるものであり、日本人であれ韓国人であれ、米国人であれロシア人であれ、深入りすればする程、惨めな思いになるしかないからだ。それは「女性の名誉と尊厳」等という空疎な言葉で解決できる問題ではない。「戦争のない世界」を目指して「世界各国の軍備を一挙に縮小する」事が難しいのと同じ程に難しい問題だ。


日本軍が韓国人の婦女子を「従軍慰安婦」とする為に「強制連行」したとするこの問題は、元を質せば、吉田清治という済州島にいた旧日本軍人が1983年に自分の売名の為に出版した「私の戦争犯罪」という本の中の「虚偽の記述」から始まっている。この嘘は、済州島の郷土史家金奉玉によってすぐに暴かれたが、一旦点いた火は消えず、今日に至っている。因みに、この吉田清治なる人物は、韓国全土を「お詫び行脚」をして回っただけでは飽き足らず、米国にまで行き、各地で日本軍の蛮行を訴えて回ったというから驚きである(朝日新聞が彼を支援したのは更に驚きだが…)。

この問題についての私の考えは明確だが、私はそれをあまり強く論じ立てたくはない。反対の考えを持つ人達に絡まれて、「祭り」状態になる危険が大きいからだ。にも関わらず、今回私がこの問題を敢えてテーマにしたのは、2007年に米国の下院が、韓国系の下院議員と一部の不思議な日本人達の扇動に乗って、本件に関連して大仰な言葉を書き連ねた「対日非難可決案」を可決した事を、未だに許せずにいるからだ(いや、「許せない」のは、実は、単に不勉強だった米国の下院議員達ではなく、「これを防げなかった日本の政治家の無力」であると言った方が正確だろう)。

精神的な苦痛を最小限にとどめる為に、私は、ここでは、米軍に関連する幾つかの事実関係だけを語り、それ以上の論評はしない。賢明な読者はその中から本質的な問題を汲み取って欲しい。

私がまだ小学校の低学年だった頃、街には「パンパン」と呼ばれる日本人の女性達がいた。彼女達は、周りの普通の日本人女性とは全く異なる派手な服を着て、頭にネッカチーフをかぶり、米兵の腕にぶら下がるようにして歩いていた。まだ子供だった私にも、「パンパン」という言葉に含まれている「蔑み」のニュアンスは伝わったが、その一方で、自分の友達のそのまた友達のお姉さんが「パンパン」で、その為に米軍の食料、特に夢のように美味しいと思ったランチョンミート(現在のSPAM)等がふんだんに手に入るのだと聞いて、羨ましいと思った事も告白しておかなければならない。

ものの本によると、この「パンパン」の前身は、終戦の僅か11日後の1945年8月26日に設立された「特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association – “RAA”)」であるという。日本の内務省は、実は終戦の僅か3日後の8月18日には、「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」というものを、連合国軍総司令部の許可に基づき各県に発令している。これは、「何もせずに放置すれば、進駐してきた米軍兵士によるレイプが多発する」事を恐れての処置であり、「一般の婦女子を守る防波堤の役割を果たす」という事が、公然と言われていた。

現実に、ナチス崩壊後のドイツでは11000人以上のドイツ人女性が、ソ連兵と西側連合国軍の兵士によるレイプの犠牲者になったと言われているし、沖縄への米兵の上陸後にもレイプが頻発、米兵によるレイプの犠牲になった女性の数は10000人近くにも及ぶという報告もある。はっきりと数えられている記録としては、米軍が神奈川県に進駐してきた最初の10日間に、県下だけで既に1336件のレイプ事件が発生したという事実がある。かつての敵対国に進駐してきた戦勝国の兵隊というものは、程度の差こそあれ、大体はこういうものであり、戦勝国の軍当局はこういう犯罪に対して厳罰は科さないのが普通だ。

「特殊慰安施設協会(RAA)」を作るに当たり、日本の内務省は、戦時中に作られた海外における日本軍の将兵の為の慰安婦施設と同様のものを考えたが、違っていたのは、戦時中の慰安婦施設の運営(女性達の調達を含む)が民間の仲介業者(その多くが韓国人の業者だったと言われている)に委ねられたのに対し、今回は国が直接その任に当たったという事である。

内務省の当初の計画では、元々その筋の職業に従事していた女性を集めるという事だったのだが、これではとても数が集まらないという事で、銀座などに広告板を設置したり、新聞広告を出したりした。その広告には、「新日本女性求む。宿舎、衣服、食料全て支給」とのみ書かれており、仕事の内容は何も書かれていなかったので、応募してきた人達の大半は仕事の内容を聞くと驚いて立ち去っていったが、当時は、そうでもしなければ生活の糧を得られない戦争未亡人や戦死者の子女達が数多くいた為、第一回の公募には短期間のうちに1300人が応じた。そして、その後、施設の数は東京都内だけでも30ヶ所に広がり、従業者の総数はピーク時には全国で7万人にも及んだという。痛ましい限りである。

この施設の存在は、その後、米国前大統領夫人のエレノア・ルーズメルトの知るところとなり、彼女の反対によって翌1946年1月には廃止されたが、協会に所属して生活の糧を得ていた女性達には何の補填も新しい職業の紹介もなかった故、その殆どが「パンパン」として私娼化したと言われている。結局、エレノア・ルーズベルトといえども、男というものの性質を変える事までは出来る筈もなく、実質は何も変わらなかったという事だ。

この様な施設は、朝鮮戦争当時、及びその後長きにわたって、韓国にも存在した。韓国陸軍は、1956年に編纂された「後方戦史(人事編)」において、「士気昂揚の為は勿論、戦争という事実に伴う避けることの出来ない弊害を未然に防ぐ為に、本特殊慰安隊を設置させた」して、その妥当性を説明している。また、そこには、「長時間にわたり後方との行き来が絶える為、性に対する思いから起こる生理作用によって、鬱病その他の支障を招くことがあるので、これを予防する必要がある」という趣旨の事も書かれている。

この様な施設は、韓国に駐在する米軍の兵士によっても利用された。但し、性病の蔓延を恐れた米軍は、韓国政府に対して「基地村浄化事業」を行うように要請した節があり、韓国政府は、慰安婦達を自治会に所属させ、身元などを正確に把握した上で相互監視を行わせる教育と管理システムを運営していた。この様な施設で米軍の相手をする女性達は、韓国政府から特別な講義をしばしば受け、「真の愛国者」と称賛されていた。

この様な事を長々と書くのは気が滅入る。この様な事を書く事自体が、「女性の名誉と尊厳」を踏みにじっているように感じるからだ。しかし、事実関係を十分に確かめもせずに、他の独立国の過去の行為を、講和条約締結後も遡って一方的に断罪し、その国民に恥辱を与えようとする国があるとすれば、その国の国民自身が行ってきた行為についても、同様の規範(価値観)に基づいて、何等かの反省を求めて然るべきだろう。

残念ながら、現在の世界には、なお貧困が満ちている。そして、是非善悪は別として、未だに最終的には軍事力(暴力)が全てを決める構造になっている。

貧困が極まれば、仕事を選んではいられない。これに乗じて、舌先三寸で女性達やその家族を騙す「口入れ屋」のような男達も跋扈する。その一方で、もし国が戦争に負ければ、筋が通ろうと通るまいと、如何なる言い分も通らなくなってしまうのだから、戦争に勝つ為には、如何なる国も多くのものを犠牲にして省みなくなる。血気盛んな若い男性に戦場でよい働きをさせる為には、それが自国民であれ他国民であれ、「女性の名誉や尊厳」等はいとも簡単に無視されてしまうのが常だ。

この問題を本気で考えるなら、この世界から貧困を根絶すると同時に、人間の男性が生まれながらにして持っている性格を根本的に変えるか、戦争という暴力行為を完全に廃絶するかしかないだろう。