国というレイヤーで物事を考えてみる

松岡 祐紀

問題解決のためには様々なレイヤーがある。一番初めに個人のレイヤーがある。そして、次に家族、あるいは所属している集団(会社・団体)のレイヤー、そして国や社会のレイヤーがあり、最後に地球全体を考えるというレイヤーがある。

問題解決のためには、同じレイヤーで話し合う必要がある。

たとえば、仕事でなんらかのプロジェクトを共同で行う必要が生じた場合、そのプロジェクトベースで全体を考えながら進める必要がある。同じ社内のメンバーとプロジェクトを遂行する場合は、たいていの場合は互いの利害関係が一致しているので比較的うまくいくことは多いが、社外のメンバーと共同で問題解決やプロジェクトを遂行する場合、色々な難題が立ちはだかる。

なぜならば、それぞれの会社の利益を代表して、その利益を損なわないように行動するので、問題全体あるいはプロジェクト全体を考え、そのためにはどのようにすれば問題が解決出来るかというより大きな視点が欠けるからである。

いわば「木を見て森を見ず」という状態だ。


誰もが自分は正しいと言い張り、また事実、彼らは正しい。

個人のレイヤーで言えば、自分の利益ばかり主張し、そのためには手段を選ばず、それが自分にとって正しいと信じていれば、それはそれで正しい。

集団のレイヤーで言えば、その所属している会社などの利益のみを考え、他社を踏みにじり一切顧みないという態度は、その所属している集団全体の利益を尊重するという観点では正しい。

国や社会のレイヤーで言えば、石油利権のために「大量殺戮兵器がある」とでっち上げて、戦争をしかけて、それをものにするというやり方も、その自国民の利益を何よりも優先するという観点からは正しい。

震災以降、特にわれわれが議論すべき問題は、「これから日本という国はどうあるべきか」という国のレイヤーの問題であり、個人レベルの話ではない。

だが、ソーシャルメディアを通じて、個人レベルの話をあたかも国レベルの話に曲解するのは危険だ。個人が個人のことを言うのは自由だし、何も問題はない。だが、国というレイヤーの問題を話しているときに急に個人のレイヤーで話をされても、一向に議論はかみ合わない。

国のために個人が犠牲になれと言っているのではなく、自分たちの世代、あるいは次の世代のためにどのようにすべきかということを踏まえて、考えるべきだ。

個人レベルの話では、みんなそれぞれ正しい。だが、もっと広い視点で物事を考え、今後10年、20年先を見据えた場合に、今山積みになっている問題をどのように問題解決していけばいいのだろうか。

自戒を込めて書くが、一度自分たちでもう一度考えてみたほうがいいかもしれない。