日本に必要なのは、より累進的な所得税だ --- ノア・スミス(Noah Smith)

アゴラ編集部

日本の赤字国債は、欧米で報道されているような世界の終焉と言うほど大きな問題ではない。GDPの200%超という直近値は、政府関係機関債を含む総公債に対する比率である。純負債のGDP比率は100%をやや上回る程度だ。いずれにしても高比率だが、前代未聞の値というわけではない。これに加え、日本の負債は国内で消化されており低利子を保っている。


だからと言って、多くの経済学者が主張するように負債が問題でないとも言えない。いくら低利子を保っているとは言え、負債額が巨大化するにつれ、利払いにより政府予算が圧迫されるようになる。更なる不安材料は、日本の家計貯蓄率が0%に近い数値にまで低下していることだ。これは政府借入金が銀行や企業の留保利益に頼っていることを意味する。もし日本の経済成長が加速すれば、これらの企業が国債への投資を止める誘因にもなる。結果として金利の上昇に繋がり、国は債務不履行への経路を辿ることになる。それ故に、負債額が増加傾向にある限り、日本は経済の低成長を維持しなくてはならない。

こうした陥穽から逃れる唯一の方法は、均衡予算である。現実的に、これを達成するには歳出削減と増税が必須である。幸い日本には経済効率を大幅に妨げることなく増税する余地がある。日本の税収はGDPの28%に過ぎず、先進国の中では非常に低い。

誰もが日本の増税は必至と考えている。では、対象となる税目は何か? これまで日本の政治家たち、そして国際通貨基金のような国際機関による増税案に目を通してきたが、すべての案で消費税に焦点が置かれている。消費税の引き上げの必要性が語られるのは、日本においてあたかも信仰のようだ。日本の政治家たちはこれを信じ、どの政党が消費税増税に踏み切るか奇妙な押し問答を展開している。当然、これらの交渉は進捗していない。

問題は、消費税を引き上げる「必然性」に対する国民の反発にある。これは十分に納得できる反発である! 消費税は逆進的な税だ。基本的に、日本の家計を支える労働人口は、1990年代の財政赤字を負担するように言われているようなものである。国民の家計は、所得の減少、職の不安、そして(下降傾向にある)貯蓄のゼロ金利などの打撃をすでに受けている。そして今、政治的な繋がりが強い一部の団体による公的資金の無駄遣いの後始末、というさらなる負担を負うことになる。この問題を政治家はどうしても避けて通りたいのだ! 低経済成長の維持という落とし穴に加え、日本は低率税という罠にもはまっている。

こうした「檻」から解放される方法として、私は消費税の増税に代わり、累進所得税の引き上げを提案する。

日本の税制で所得の最高税率は国際的な標準から見ても低く、富裕層が所得税の納税を回避できる法の抜け穴は沢山ある。この最高税率を引き上げ、法の抜け穴を失くせば大きな歳入源となる。

理由は不明だが、これについて日本で本格的に議論されているのを聞いたことがない。考えられる理由の一つとしては、経済研究調査の中心でもあり意見者でもある保守的な米国経済学者らからの強い反発が考えられる。国際機関と日本の政策担当者らが、所得税の引き上げによる歳入増加は非効率的だと説得させられている、ということも考えられる。この保守的な見解は、ノーベル賞受賞者のエド・プレスコットが掲げる「所得税は労働供給を低下させる」という有名な研究を基にしている。米国の保守派は、米国国民に比べてヨーロッパ諸国の国民が働かないのは高い所得税が理由だと主張としている。

この理論には、持続性がない、という点で問題がある。1980年以来、米国の所得税の最高税率は著しく低下しているが、労働時間は短縮している。所得税と労働時間の変化を全米レベルで見てみると、相関性はさほどないことに気付く。高額所得者の所得税が増税されても、労働時間も同様に増加している。

こういったことから、日本の所得税の引き上げは、おそらく国が誇る労働倫理の低下の原因にはならないであろう。では、政治的にどのように所得税を増税すればいいのだろうか? 累進課税は、日本の家計が許諾できる範囲内であれば(おそらく国会で法案が通過するだろう)消費税よりも魅力的である。日本国民は、米国の保守派のように所得税は勤労と成功を戒めるものとして見ているのかもしれない。所得税の引き上げに対して国民の賛同を得るには、別の角度からの説得が必要になる。

所得税の税率がより累進的になると、どの所得者層が高額の税金を支払うことになるのだろう? 高齢者たちがその一人だ。多くの日本企業が年功序列型賃金を取り入れており、団塊世代は若い世代に比べ、高額の所得を得ている。終身雇用の見直しがゆっくりと進む中で、若年層が団塊世代が受けたような高額かつ自動的な昇給を経験することができるかどうかは疑問だ。さらに、団塊世代には若い世代が経験することのない職の安定があった。この世代に対し、これまで得てきた利益のほんの一部を国に還元するよう求めることは間違っているだろうか?

さらにこの累進課税では、高齢者以外に誰が高額の税金を支払うことになるのだろう。それは、暗記能力に秀でた人たちだ。日本経済の成功は、大学入試試験の出来次第で決まる。日本の大学入試試験には、卓越した記憶力の良さが求められる。もちろん、高い学費を払って予備校に行き、入学試験での成績を上げることはできる。これもまた運によりけりだが、これには裕福な両親を持っていなければならない。

このように累進課税は労働を基にした税金というより、団塊世代に生まれた運、高い暗記能力を持って生まれた運、裕福な両親の元に生まれた運、といった「運」に対する税金とも言える。運を基にした課税は、勤労を基にした課税よりも公平に思える。所得はほとんど運によって決まる、と日本国民が説得されれば、より高い税率の累進課税は消費税よりも簡単に浸透するだろう。

この他に挙げられる理由に、日本の格差社会の進行がある。かつては世界でも有数の均衡社会であった日本は、今やスカンジナビア諸国に比べれば遥かに不均衡であり、西欧諸国と比べてもやや不均衡な社会になってしまった(それでもまだ米国ほどではないが)。格差社会の広がりは、日本が「勝ち組と負け組の社会」になる、との懸念も誘発しているが、目立った消費活動を表に出さない日本では実際にはさほどの憤りは感じられない。米国では富裕層が大きな住宅を購入しがちだが、日本では高額で高品質のブランド品を購入する傾向にあるため、日本の富裕層は「隠れ上流階級」となるわけである。

しかし、これにもすぐに変化が訪れる。日本の労働者階級の所得が低く抑え続けられれば、所有する車や衣服、その他の物品に著しい格差が表れる。日本の富裕層はより大きな新築住宅を環境の良い場所に購入するようになり、貧困層はより小さく粗末な住居に追いやられる。そして、雇用環境が冷え込み続ければ、これらは国民の怒りの誘因になる。

高い税率の累進課税は、この怒りを緩和する一つの手段となる。課税前所得の差が大きくなればなるほど、国民は政府に対して税制の見直しを要求するだろう。このように、所得に対する累進課税は、財政ギャップを埋める簡単な方策にはなり得ないかもしれないが、日本社会が持つ憤りを軽減することはできる。

日本が現在追い込まれている政治的かつ経済的な陥穽は、どの先進諸国もこれまで経験したことのない特異なものだ。こうした異例の事態には、革新的な解決策を模索していかねばならない。高い税率の累進課税は、国際機関や米国の保守派経済学者の間では取り上げられていないが、消費税増税の代案として是非考慮すべきである。

ノア・スミス(Noah Smith)
Noahpinion

※編集部より:この投稿はノア・スミス氏の「Japan Needs a More Progressive Income Tax」を編集部で和訳したものです。原文は、アゴラトップページのディスカッションペーパーに掲載しています。