高橋洋一氏に、ちょっと質問

池尾 和人

経済成長は、大切である。しかし、実質的な成長でなければ意味が乏しく、インフレの高進で名目的に成長率が高まっただけだと、日本経済の抱える問題の解決に資することにはならず、逆に問題を悪化させる恐れすらある。例えば、インフレ率の上昇を反映して名目成長率と名目利子率が同率で上昇したとすると、日本の財政収支はむしろ悪化する可能性がある。それは、これだけ膨大な公的債務残高を抱えている状況下では、税収の増加を利払い費の増加が上回ると考えられるからである。


こうした点は、私自身も以前に述べたことがある(「デフレ脱却は信頼できる確約か」)が、高橋洋一氏は、こうした主張をする者に「財政破綻論者」というレッテルを貼った上で、そうした主張がインチキであるかのように論じている。しかし、私には高橋氏の主張の方にむしろ論理的な陥穽があるように思われる。こういうときには、本人にまず聞いてみた方がよいと思うので、次のような私信を送ってみた。

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高橋 洋一 様

前略

ご無沙汰しています。ちょっと質問です。

ダイヤモンド・オンラインの記事の中で、

 この数字にはトリックがある。国債残高は600兆円として、もしすべて1年債であったなら、金利が1%とすると次の年に6兆円増加して、その後は増えない。実際には1年より長期の国債もあるので、徐々に上がり数年経って6兆円まで上がるが、その後は増えない。

 ところが、名目成長が1%アップすると、時間が経過すればするほど税収は大きくなる。数年経つと6兆円以上増える。財務省の資料は、3年までしか計算せずに利払費が税収より大きいところだけしか見せないのだ。


と書かれています。

同じ趣旨のことは、『経済セミナー』2010年10・11月号での宮崎哲弥氏との対談の中でも述べられていて、それを読んだときに疑問に思ったのですが、再び繰り返されているので、質問します。

上記の議論では、国債残高は600兆円のままで一定で、ずっと変わらないことになっていて、GDP(それゆえ税収)だけが成長することになっていると読めます。それだと、国債残高の対GDP比率は時間の経過とともに低下していくことになります。換言すると、上の主張は、現時点で財政収支の均衡を達成できていれば、という仮定がないと成立しないものではないですか?

しかし、日本の現状は、ご承知の通り、国債残高の対GDP比率はいまなお増加の一途にあります。かりに国債残高の対GDP比率を一定にもっていけたとしても、翌年以降の国債残高は増え、時間が経過すればするほど利払い費も大きくなっていくはずです。それゆえ、税収だけではなく、利払い費の方もやはり複利で考えなければならないと思いますが、いかがでしょう?

私が何か勘違いしていますか?

草々

池尾 和人(慶應義塾大学経済学部)
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しかし、私の知っている高橋氏のメール・アドレスはかなり古いものだから、ちゃんと届いているかどうか不安である。メールは不着にはなっていないようだが、最近は同アドレス宛のメールをみていないのかもしれない。そこで、アゴラに載せることにした。アゴラなら、見ている人も多いから、何らかの形で連絡が付くだろう。

なお、もちろん「公債残高が増えないとすれば、いずれ税収増が利払い増を上回る」、あるいは「当初時点で存在していた公債残高分に限れば、いずれ税収増がその分に関する利払い増を上回る」という主張は、論理的には間違っていない。しかし同時に、現実的な関連性に乏しい無意味な話に過ぎない。

実際には、公債残高は増え続けると見込まれるのであるから、問われるべきは、その時点で存在している公債残高に関する利払い費の推移と税収増の関係である。しかし、これをかなり先の時点についてまで計算しようとすると、名目成長率と名目利子率が同率で上昇したときに基礎的財政収支にどのような影響があるか等について想定を置く必要があり、その想定次第で結果は幅をもったものとなる。

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池尾 和人@kazikeo