デフレ脱却は信用できる確約か--池尾和人

池尾 和人

先週の日本経済新聞の記事によれば、


菅直人副総理兼財務・経済財政相は[3月]26日午前の閣議後記者会見で、2月の全国消費者物価指数が前年同月に比べ1.2%下落したことについて「下落幅は縮まっているが、デフレ脱却へさらなる努力が必要と改めて思った」と述べた。

ということである。これは、経済財政相としては当然の発言であろうが、財務相としてはどうか。換言すると、本当にデフレ脱却が実現したときに、日本の財政はより悲惨な状態に陥りかねないということは十分に認識されているのだろうか。


日本がこれだけの財政赤字を重ね、その結果として膨大な国債残高を抱えているにもかかわらず、一見平穏無事なのは、低金利が続いているからである。国債残高の増加を金利の低下がちょうど相殺する形で、1980年代後半以降、利払い費は、10兆円強のほぼ一定の水準を続け、2000年代の前半にはむしろ低下に転じたほどである(ただし、2006年以降は上昇に転じている)。これほど国債の維持コストが安ければ、財政赤字に対する危機感が高まらないのも、無理のないところである。

しかし、低金利が続いているのは、デフレだからである。デフレから脱却し、物価上昇率がプラスになれば、そのことを反映して名目利子率も上昇するはずである。

例えば、いまGDPデフレータ(全般的な物価指数)が1%上昇し、それによって名目経済成長率も1%上昇したとしよう。このとき税収の増加が見込まれるが、わが国の税収規模は40兆円弱に過ぎないので、租税弾性値(経済成長率の変化率に対する税収の変化率の割合)を甘めに1.2くらいに見込んでも、税収の増加額は4~5000億円程度である。財務省による「平成22年度予算の後年度歳出・歳入への影響試算」でも、ほぼそうした数字になっている。

他方、金利はどれくらい上昇することになるだろうか。10年物の国債金利であれば、今後10年間のインフレ率を織り込んだものとなると想定できるので、足下1%の物価上昇でも、翌年以降どうなると予想されているかで話が変わってくる。今年は1%の物価上昇率でも、来年以降はまた0%に戻ると予想されているなら、0.1%くらいしか名目利子率は上昇しないと見込まれる。逆に、翌年以降、物価上昇率が加速していくと予想されているならば、1%を遙かに超えた上昇幅となることも考えられる。

前者の場合は、物価上昇が一時的と言うことだから、真の意味でデフレ脱却とは言い難い。後者の場合には、困ったことになるのは自明である。そこで、ここでは中をとって、物価上昇率の1%の上ぶれがそのまま続くと予想されているとして、名目利子率も1%上昇するとしよう。

すると、国債の利払い費は、1年目には1兆円強増加することになる。国債に借入金等を加えた政府債務の総額は、昨年末の時点で871.5兆円であるから、1%の金利上昇は最終的には9兆円近くの利払い費の増大になってもおかしくないが、すべてが一斉に借り換えになるわけではないので、先の財務省の試算だと、1年目1.1兆円増、2年目2.6兆円、3年目4.3兆円の増加になるとしている。

要するに、名目成長率と名目利子率が同率上昇した場合を想定すると、税収増を利払いの増加が上回り、財政収支は悪化する。これは、政府債務残高が税収規模の20倍以上になっているということを考えると、当然のことであるけれども、必ずしも直視されていない事実ではないか。インフレになれば国債問題に(ある意味で)片がつくと考えている向きが少なくないようだが、金利が統制されていた時代と金利が自由化されている時代を同じように考えるのは間違っている。

デフレ脱却によって、(私には必ずしも理解できない何らかの理由で)実質経済成長率も上昇し、GDPデフレータ1%+実質経済成長率1%で、名目経済成長率が2%増、名目利子率の上昇は1%というケースを考えても、先の財務省の試算だと、財政収支はなお悪化ということになる。なお、歳出の中には物価に連動して増大する性格のものが含まれているので、そのことを考慮すると、この結論はさらに強まる。

以上の意味でデフレから脱却すると困ったことになる立場の者が、デフレ脱却を目指すと言っても、誘因両立的(incentive compatible)ではない。それゆえ、そうした言説は、信用できる確約(credible commitment)にはならない。こうした観点からは、デフレ脱却になっても困らないような財政構造にするための税制改革等に取り組むことが先決であるように思われる。

コメント

  1. nippon5050 より:

    勉強になります。
    ありがとうございます。

    デフレ脱却を叫ぶ人々は何故財政再建を叫ばないのでしょうか?

    因果関係が理解出来ないのでしょうか?

  2. disequilibrium より:

    一分の隙もないお話です。
    今の財政下で、緩やかなインフレを達成できる可能性が低いことがよく分かります。

    あくまでも、デフレもしくは、ゼロインフレ下で、金融・財政政策によらない、景気回復や雇用環境改善を目指すべきなのでしょう。
    年金基金の積立不足から、年金支給額が減額される流れになっていますが、そういったインフレを期待した制度を修正して行くことで、大きな破綻を回避できる可能性も大いにあるのではないかと思います。

    もちろん、ハイパーインフレや財産税などで一気に踏み倒すというプランもあると思いますが。

    いずれにせよ、将来のショックを大きくしないためには、大幅な歳出削減が必要なのではないかと思います。

  3. jnuxcom より:

    4%マイルドインフレで日本崩壊?

    もし多くの国民が、インフレ目標の導入・長期国債日銀引受などで、一瞬の内に4%マイルドインフレが起ると信じた場合・・・

    4%インフレになると、少なくとも既発国債の最終利回りは4%上昇するでしょう。 既発国債の平均残存年数7.5年で、国債最終利回りが4%上昇すると仮定した場合、既発国債価格は約23%下落します。 870兆円×23%=約200兆円の含み損が発生します。 株式市場で金融株が売られ大暴落しますし、預金封鎖しないと取り付け騒ぎが起きます。(奇跡的に金融機関が倒産しなくても、短期金融市場で金利が上昇しているので預金の預け替えが起きます)

    間違っていたら指摘してください!

  4. fk2002742 より:

    高橋洋一さんは相変わらず・・・

    http://news.goo.ne.jp/article/php/politics/government/php-20100319-04.html  <抜粋>財務省の破綻論には裏がある 2010年3月28日

    プライマリーバランスが改善するかどうかは、税収と歳出の関係による。名目成長率と歳出は、ほぼ比例的に伸びていく。だが、税収には累進構造があるから、成長率1%の伸びに対して国税では1.1、地方税では1.05ほどの伸び(弾性値)が期待できる。つまり、名目成長率が3%になれば、歳出は概ね3%伸びるが、国の税収は3.3%伸びるということである。これを何年も続けていけば、じつは財政再建ができてしまうのだ。

    「インフレになると、金利が上がってしまうからダメだ」という反論がなされることがある。しかし、これも間違いだ。たしかに利払いは大変になるが、その分、GDPが増えるので、債務残高のGDP比を考えたら、大した問題ではないのである。「成長率より金利が高い」と頑強に主張する専門家のなかには、民間金利と国債金利を混同している人すらいる。民間金利が成長率より高いのは当たり前で、民間金利が成長率と同じだったら、借り入れて事業を興せば間違いなく儲かってしまう。国債金利は民間金利よりも低く、つまり、じつは長期的には成長率と大差なくなるのである。なお、先進国では名目成長率が4%を超えると成長率が金利より大きくなる傾向もある。だから、名目4%は破綻回避の黄金率だといってもいい。

  5. kakusei39 より:

    No.5の説明は、民主党の話と同じような欺瞞である。

    プライマリーバランスは、税収が3.3%伸び、歳出が3%の伸びだから、年数がたてば解消するという話であるが、誤魔化しているとしか思えない。

    税収と歳出とが、極めて近い値なら、毎年の0.3%の改善で追いつくこともある場合が想定できうるが、現状の税収は、歳出の40%、利払いを除いても45%でしかない。その差の55%は借入金となり、次年度に利払いが発生する。その金利は、長期的に成長率と同じだとすれば、3%。この金利は、歳出の3%の増加に付加される形で支払われねばならない。0.55*0.03=0.0165即ち、全歳出の1.65%となり、税収増加による改善部分0.45*0.003=0.0013即ち0.13%を凌ぐのである。

    したがって、プライマリーバランスは更に口が広がる。
    増税なし、あるいは歳出削減なしにプライマリーバランスは閉じない。世の中に、そんなフリーランチみたいな話はない。

  6. kakusei39 より:

    >たしかに利払いは大変になるが、その分、GDPが増えるので、債務残高のGDP比を考えたら、大した問題ではない。

    この話も欺瞞である。

    現在の税収は、40兆円前後、国債金利負担が低金利であるが故に10兆円位だが、金利が上がると利払いだけで税収が飛ぶことにもなりかねない。

    今年の新規借入金になる国債は、大枠で44兆円、GDPの約9%。国債を出して借金して一般会計を賄うのはこの10数年のならい。したがって、成長率が3%であっても、借入金残高が成長率以上に増えるのだから、国の借金のGDP比率が下がるはずもない。(大したことがない・・・よく言うよ)

    GDP比率が下がる方法は、20%をこえる大幅な増税か、大インフレによる実質的な資産課税だけだろう。