戦後左翼的マスコミの暴走=幕末の辻斬り維新志士みたいに捉えられないか。

2012年05月28日 07:31

私は超長期的には脱原発派です。

しかし、昨今の「脱原発に都合悪いことはほとんど一切報道しない」というマスコミの風潮も疑問ですし、社会全体でエネルギー構造を転換していくのにも相当お金がかかるんだから安全確認取れた原発再稼働ぐらいはやりながらでないと持たないんじゃないか?という懸念もあり、(戦後左翼的マスコミ自体を含む)一部の急進的な脱原発の方々の、「全部電力会社が悪い」的な動きには批判的でした。

しかし、最近、

急進的脱原発の人は、幕末の辻斬り維新志士のような愛国者なんじゃないか?

というイメージが湧いてから、これは日本を良い方向に転換するための、どの立場の方にとっても一大チャンスなんではなかろうか?と思うようになりました。

「急進的反原発ムーブメント」を、「最終的に内ゲバで崩壊した左翼運動」や、「暴走して開戦してしまった太平洋戦争」の時になぞらえて批判するのが最近の流行ですが、それでは彼らはただ破滅に向かって暴走しているだけという扱いになってしまうので、そこからの希望がありません。

しかし、これをうまく「幕末風」に解釈できればいいなあ・・・と私は思っています。


みなさんご存知の通り、幕末から明治にかけての社会変革は、最初「尊皇攘夷」というかなり無茶なスローガンでスタートしました。とにかくガイジンを神国ニッポンから追い出してしまえ!!という単純明快なスローガンです。

そして、その感情的なスローガンに対応して、直情家の志士が暴走して結構大変なことになっていました。一種盲目的な愛国心から、異国船を打ち払おうとしてヒドイ目にあったり、あいつは開国派らしいぞ?ってなった人に天誅と称して辻斬りをしかけたり・・・といったことが横行しました。

その時点での日本を考えると、(まあ色々と立場によっては許せない部分もありましょうが、大枠で言って世界の中に自分のポジションをちゃんと確立できたと言える)明治維新のような、「マクロに見ても意味のある方向性」に繋がるような感じではなかったように思います。

しかし、そのまま破滅するまで暴走して終わり・・・・にはならなかった。そのへんが、「最終的に内ゲバで崩壊した戦後左翼運動」や「暴走して開戦してしまった太平洋戦争」との大きな違いです。

私は、幕末の歴史を読むたびに、個々の事件を追っていくと理解した気にはなるものの、最初は武士階級によるガイジン排斥運動みたいなものだったのに、最終的に完全な開国主義になるわ廃藩置県はやるわ・・・・と「全然違う結論」になってしまった流れに、いつも「ウルトラC的に凄いもの」を感じます。

みなさん、我々日本は、これから

「破滅まで暴走する太平洋戦争・戦後左翼パターン」

になるのか、それとも、

「ウルトラC的に落ち着くべきところに落ち着く明治維新パターン」

になるのか・・・その瀬戸際にいるのが今年一年ではないでしょうか。

そのために、ぜひ考えてみていただきたいのは、「辻斬りが、明治維新を作った」という因果関係です。

マクロに見た時にある意味“不合理”な「辻斬りをしまくるエネルギー」は、革命の原動力となった「エンジン」のようなものです。まずはそこからスタートして、ムーブメントの熱量がある程度溜まってこないと何もできない。

「急進的脱原発派」に対して、「冷静な批評」をする役割の人は必要です。

しかし、「冷静な批評をする役割」の人には、大きなムーブメントを引き寄せる力が無い。それでは結局何もできない。

結果、日本は最近「何も決められずただただ惰性に流される国」となってしまっています。

日本はやはり「大枠は現状維持」という方向になりやすい国なので、まず「変革を起こす」ということだけでも、相当に大きなエネルギーを集めてこないと何もできない。

「その熱量を集めるという仕事」を、「辻斬り維新志士」たちはやってくれているのだ・・・・という一点を、ある程度フェアに勘案することが、「破滅まで暴走パターン」を避けるために大事な転換点となります。

幕末においては、まず長州藩が暴走に暴走を重ねて孤立し、幕府の反撃にあって滅亡寸前のところまで行ってしまいました。しかし、彼らの「暴走」が倒幕の道を開いたことも事実なのです。

彼らがいなければ、そもそもどこにも倒幕のエネルギーを結集できずにダラダラと右往左往したまま時間を過ごし、どこかの時点で列強に分割統治されていたかもしれません。

今後、「急進的脱原発派」の人の、「夢物語的な部分」「事実に反する捏造部分」「強引すぎて経済的・(発電能力などの)物理的事情と噛み合わない部分」が、厳しく問われる流れになっていくでしょう。そのこと自体は厳しくチェックされるべきです。

それによって、「急進的脱原発のエネルギー」は、長州征伐で滅亡寸前になった長州藩のような苦境に立たされることが予想されます。ある意味彼らをそこまで追い詰めることを我々はしなくてはいけない。彼らの理想を、「現実」の視点で厳しくチェックすることによって。

しかし、大事なのは、その最終局面です。

「急進的脱原発派」を、「ただ追い込む」だけで終わってしまっては意味が無い。彼らは自らのメンツのために、そして止まれなくなった「みんなの感情」のはけ口として、さらに暴走して破滅への道を進んでしまうかもしれない。

そこで、「追い詰められた彼らの気持ちの出口」をどうやって用意できるか?

それを我々は、今から真剣に考えなくてはいけない。

彼らの「気持ち」と、「多少は時間がかかっても現実的に具現化可能な方策」を繋ぐ方向性を差し示す

ことによって。

内容・言い方・表現のあり方・・・すべてを慎重に彼らのために考えてあげることができるか?それが我々のチャレンジです。

ここで、「彼らの気持ちを馬鹿にし続ける」態度でいたら「破滅への道」です。

しかし、もしこれがうまく機能すれば、現状「急進的原発派」として噴出しているエネルギーが、熟達した合気道家の技のように徐々に徐々に軌道修正されて、種々の現実的な社会変革の力強い推進力となっていくという、「明治維新的ウルトラC」が可能となるでしょう。

そうやって一度「種火」を大きく燃やしてからでないと、日本においては、「現状の惰性」の力が強すぎて、大きな変革は何もできません。

長州藩の暴走を傍観していた薩摩藩のように、ただ彼らが潰れるに任せてしまってはもったいない。

長州藩の窮地に「薩長同盟」を結び、それを新しい社会変革の起点として利用するとき、日本を再度まとめ上げる新しい軸が立ち上がってくることでしょう。

彼らの「気持ち」と、「多少は時間がかかっても現実的に具現化可能な方策」を繋ぐ方向性を差し示すというのは、結構大変なことです。

でも、ある意味「自分が普段考えているアイデア」を、「みんなのため」という観点から言い方を変えるだけでもかなり近づけるかもしれない。

今の日本はとにかくどこにも進むべき方向が見えない混乱の時代ですが、今後、「長州藩的暴走のエネルギーが踊り場に立った」時に、我々日本人の本当のクリエイティビティが問われる瞬間が必ず来ます。

欧米的二分法で言うとバラバラでも、日本人の赤心から言ったら実は同じ気持ちだよね?というような、「気持ちと知性を“止揚“する言説」をどれだけ生み出すことができるか?

みんなでチャレンジしましょう。乗り越えましょう。その一点を乗り越えることができれば、今の混乱がウソのように、「みんなの気持ち」を結集する新しい「感情と知性が噛みあった軸」が日本に生まれますよ。

ブログにこの記事の続きを書きました。良かったらどうぞ。

倉本 圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ブログ「覚悟とは犠牲の心ではない」

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倉本 圭造
経済思想家、経営コンサルタント

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