男に異見する女に未来は無い

こんなところでなんだが、うちの家内は、ほんとうによくできた家内だ。小さい子供も多くいて、いろいろとたいへんだろうに、そこそこ家を廻していてくれている。職業がら、平日の昼間からゴロゴロと家にいたりするのだが、掃除まで、仕事のじゃまにならないか、気を遣ってくれる。まして、あれこれ手伝え、など、言われたことがない。トイレはきれいに整えられ、盛り塩まで置かれている。これで、ぴしっとアイロンがけされたシャツを朝から出された日には、これはもう、背筋を伸ばしてしゃきっと働き、さあ、今日も一日、がんばらねば、と張り切らざるをえまい。実際、この厳しい御時世に、いろいろ仕事も収入も増えた。それもこれも、家内のおかげと深く感謝し、せめて相応くらいには還元せねばいかんなぁ、と日々に思う。

他方、世間の三十路女の婚活だかなんだか、あいかわらずのバブリーな、言いたい放題の条件を聞いていると、呆れて返す言葉もない。本人に収入も、貯金も、能力も無いくせに、旦那にするならうんぬんと、その見てくれから始まって、年収がナンボ以上で、家事は折半で、雑誌に出てくるみたいな持ち家に住んで、相手の両親とは関わりたくないが、自分の両親の老後の世話は絶対、って、そんな男、いるわけが無かろう。とはいえ、成り行きの結果、こういう羽目に陥って、二世帯住宅に囲われ、XXさんは本当にお庭が好きなのね、なんて言われているやつも知り合いにいないではないが、男としては風采が上がらない。いくら口先だけでおだてて乗せたって、これじゃ、洗脳して、ただの奴隷として喰い潰している新興宗教教団と同じだ。

いや、逆の立場にしても、話は変わらない。女に向かって、あれこれ注文をつけてみたところで、頭、おかしいんじゃないの、で、終わり。だれだって、家の中でまで、評論家みたいなのにごちゃごちゃ言われたいなどと思っていない。言う方は、この人、わかってないみたいだから、私が言ってやるわ、くらいのつもりなのだろうが、わかっていたって、職場には職場の事情があり、体力や気力からして、やった方がいいとしても、できないことはできないのだ。それを身近で、あれこれキンキン言われた日には、そんな家には、もう居たくない、帰りたくない、と思うだろう。

言っていることが正しい、などというのは、やっていることが正しいのでなければ、なんの説得力も無い。ところが、戦後、民主主義だ、言論の自由だ、と浮かれ騒ぎ、口先ばかりのやつらが世にはびこった。まして、ただでさえおしゃべりの女が、男女同権を履き違え、人に向かってぎゃーぎゃーと責め立てて喚き散らしたのでは、聞くに堪えない。

たいていの若い男なんて、まだこれからなのだから、さして収入など、あるわけがない。仕事で手一杯なんだから、家事なんか手伝えるわけがない。不景気をうまく逃げ切って優雅な年金暮らしの自分の父親と較べる方がどうかしている。女にしても、共働きや子育てで手一杯なら、家事なんか完璧にできるわけがない。だが、自分でやらないくせに、いったん相手に任せたことに口を挟むようでは、男としての度量が知れる。

家族は、荒波の大海に浮かぶ一つの小舟だ。自分で漕がないやつは、乗る資格がない。好き勝手に指図するだけの乗っ取り船長など、いない方がまし。ただでさえ舵取りの難しい時代、なんとか沈まないように、夫婦でたがいに手分けして全力を尽くさなければ舟がもたない。その手一杯な家の中で、余計な異見をして揉め事を起こす女に未来は無い。立派な男にぶら下ったところで、そのあなたのせいで落ちぶれるだけ。しかし、たいしたことがないような男でも、ともにがんばる気になれば、食うに困らない程度には、様にはなるもの。いい男を潰すのも、いい男に仕立てるのも、それはあなた次第だ。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)