「機動戦士ガンダム」から見える日本人の甘えの価値観

2012年05月31日 07:00

「機動戦士ガンダム」という戦争をテーマにしたアニメーションの最新作の「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」という各60分、全7巻で発表されるオリジナルアニメシリーズが高い評判を集めている。現在の日本で製作されるアニメーションでは、確実に最高のクオリティだ。5月19日から、最新の「エピソード5」インターネットを通じたオンデマンド配信が始まった。

ただ、それが極めて数百年に及ぶ、日本人的な世界観を反映した物語であることを最近意識するようになっている。これは満州国の建国を仕掛けた張本人である、石原完爾にも同じようにあるように思える。


ガンダムは現代の「幻想の共同体」

池田先生が主催する「アゴラ読書塾」で、1月から続いている「日本人論」シリーズに私は参加し続けている。そして、とにかく随所に日本人は、文化的な土台に基づいた価値観による特有の行動パターンを持っていることを強く感じるようになっている。終わった後に、いつも参加者によって飲み会が行われるのだが、そのときに、このガンダムの話でずいぶんと盛り上がった。

「機動戦士ガンダム」は1979年に放送が行われたアニメーションで、子供時代に見た、30代を中心に、現在も高い人気を集めている。世代が少しずれて、ガンダムの中身を知らない人にとっては、「何のことやら」という話に感じられると思う。しかし、後の歴史から見た場合、メディアの役割として、重要な存在となったとの解釈が行われていくと思っている。

それは、現在の新しいタイプの「想像の共同体」 を生み出している側面があるからだ。この概念は、1983年に米政治学者のベネディクト・アンダーソンが提案した物で、19世紀に登場した「国民国家」という概念を、印刷技術などの発達で、多くの人が信じることによって、同胞意識を生むナショナリズムが生まれた。それにより、自分たちが国家に属しているという幻想を誰もが抱き、国家のために、戦場で死をいとわないような自己犠牲も受け入れるといような時代が来たことを説明している。

メディアが押し進める「想像の歴史」形成

これが、現在ではメディアの発達によって別の側面を生み出している。1980年代以降のテレビだけでないテレビ、ビデオ、小説、解説資料など、マルチメディア展開によって、本来は存在しない単なる空想の世界であるはずの「想像の歴史」を、多くの人が共有するようになった。

ガンダムの歴史は、当初は子供向きでありながら、現実の戦争を持ち込んだような複雑なテーマによって、放送当時には人気が出なかった。だが、再放送を通じて、中高生以上の年齢の高い層に受け入れられるようになり、プラモデル化の権利を手に入れた当時のバンダイによって爆発的なブームを生み出した。

ガンダムの世界は、西暦が終了して、宇宙にスペースコロニーに増えすぎた人口を移住される時代をテーマにしている。「宇宙世紀(ユニバーサルセンチュリー、UC)」という時代に、地球の独占的な支配に対しての、植民地化された地域の独立戦争という構図でストーリーが進む。その中に偶然、最新兵器のガンダムに乗らなければならなかったアムロという少年を中心に物語は進み、宇宙に進出した人類が、どのように人間として進化していくのかという哲学的なテーマにまで踏み込んでいく。

その後、続編となる「Zガンダム」や「逆襲のシャア」などの歴史に沿ったシリーズが作られ、30年あまりの間に、100数十年にわたる複雑な歴史を持つ大河ドラマに発展していった。この間も、次々に派生作品が登場し、情報が補完されていき、本来は存在しない歴史にも関わらず、「架空の歴史」は複雑に発展し続け、ファンの間では共有されている。

この現象は、日本だけで起きていることではなく、アメリカでは「スターウォーズ」や「スタートレック」と行った作品でも同じことが起きている。今の社会は、メディアによって「架空の歴史」を共有するようになった時代なのだ。

日本的な「甘えの構造」が顔を出す物語

ただし、ガンダムは日本以外の地域では基本的に人気がない。その理由は、戦争を扱いながら、極めて日本人的な想像の範囲でしか、戦争が行われていないからだろう。戦争は、ほとんどが軍閥による地域紛争で、戦国時代を彷彿とさせる。世界全体を硬直的な官僚主義によって支配している地球連邦政府は、江戸時代の徳川幕府そのものだ。

一方で、「スターウォーズ」や「スタートレック」には、必ず宇宙人が登場するが、ガンダムにはそれがない。様々な肌の色の人物が登場はするが、結局、日本人の延長線上でしかない。「多数の民族を抱えている国家の物語」とは決定的に違う。

そして、物語には、日本的な「甘えの構造」が随所に出てくる。「エピソード4」では、ガンダムに乗る主人公は大量破壊兵器のロボットに乗り込んだ少女が無差別攻撃を行い続けることを、説得を通じて中止させようとする。その方法として、選んだのが、ロボットのコックピットを開け、生身の身体を少女にさらし、無防備な状態の自分が攻撃を受けても構わないという姿勢を示す。少女はそれに主人公の本気さに感動して、攻撃を一時停止する。日本人のロジックらしく、少女は主人公の気持ちを「察した」のだ。

戦場という状況下にありながらも、「説得」と「自己犠牲」を示すことによって、戦争を止められると信じており、物語ではそれが成功してしまう。しかし、日本人以外の人々にとっては、戦場の行動として、理解不能な行動だろう。この死んでも構わないという論理は、明らかに日本的な「美意識」だ。

説得で民族間の価値観も越えられると思う日本人

自衛隊が戦争状態に入ったときに、説得すれば何とか攻撃をやめてくれると思っているような状態だ。しかし、日本の外交政策は、そういう判断を戦前も続けてきたことを、アゴラ読書塾を通じて感じるようになった。

1932年に満州国を設立したときの「五族共和」という建国理念は、日本人・漢人・朝鮮人・満州人・蒙古人が共に進む国民国家であるとするものだったが、日本人のロジックに他の民族も共感してくれるという甘さがどこかにあったのだろう。満州国建国の謀略を進めた石原完爾には、民族間が素朴に理解し合えるという感覚があった。しかし、それは現実には機能しない。ガンダムの主人公は、撃ち殺されるのが、本来の戦争状態だ。

もちろん、ガンダムのそのシーンに、感動してしまう自分がいることもわかっている。それは自分が日本人である証拠であるとも、ある社会に生きている人間の奥底に眠る物語が、いかに大きな影響力を持つものであるのかも示していると感じている。

新清士 ジャーナリスト(ゲーム・IT) @kiyoshi_shin

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