ケインズ理論というと、乗数効果だと思っている人がいる。
あるいは、意図的に、そのように捉えて、財政支出を正当化しようとしている場合がある。
乗数効果が実際にあるかどうかは、そのときの経済次第であり、長期的には財政負担が逆乗数効果をもたらすから、相殺され、長期には中立的な結果をもたらす。
この長期の中立性を強調したのが(短期にも成立するとしたのが)、新古典派的なマクロ経済学者達であり、短期の影響が中期にも残ることを強調したのが、ケインジアン(ケインズの経済学を引き継いだと思い込んでいる人々)というのが、一般的な理解であるが、ケインズ自身は乗数効果はどうでもよかった。
ケインズはケインズを慕う弟子の熱意に負けて、妥協し、乗数効果を強調することとなったのである。
一方、ケインズ自身はどこに関心があったかというと、乗数効果の過程にあった。
乗数効果の過程でどのようなことが起きているか。そもそも、どうして乗数効果が生じるのか。
これが彼の不均衡動学への関心の表れであり、経済が不均衡状態で均衡しているのを動かすことが出来る可能性はあるのか、という政策的な関心、提言へつながっているのである。
だから、いわゆるケインズ的な乗数効果やその水準には、彼は関心はなく、財政政策を正当化することにはなったが、当時は、財政政策というものは存在せず、それはいわば発明であり、政策提言としての新規性に興奮していたのであった。
ケインズは、新しい政策を生み出し、その結果、社会が直面していた危機を救うことができる可能性があった。しかも、その中で、ライバルの経済学者達を論破し、新しい理論体系を構築することができる。その知的興奮に彼は酔っていたのであった。
これは、私の解釈であるから、歴史的な検証としての意味はない。しかし、ケインズ理論の理解には重要である。
彼の言う乗数効果はケインジアンの言う乗数効果ではなく、不均衡にスタックした経済を動かすことに意味があった。それが、穴を掘って埋める作業であり、それが経済を動かすきっかけとなる手段、政策手段である。そして、その結果、経済水準が上がるのは、失業というものを解消することによってであり、それがマクロ経済の拡大を生み出すのであった。
ここに、資本市場と財市場と労働市場が有機的に結びつき、経済が浮上する仕組みがあった。これこそが、ケインズの一般理論であり、古典派の理論が一般理論でないのは、資本市場と労働市場を財市場と有機的に結びつけていないからであった。古典派の理論は、資本も労働も、一般の財と同じように扱える、それらも含んで財として、財市場の分析だけをすれば済む場合に限っていた。それが特殊な場合であり、ケインズは、そうではなく、3つの市場の有機的な関係を取り込んだ一般理論を構築しようとしたのであった。
だから、タイトルは、雇用・利子および貨幣の一般理論、なのである。利子および貨幣が資本市場の分析であり、雇用は労働市場、それらが財市場を通じて、有機的に動く。その動態をを分析しているのである。