コーポレートから個の時代へ

藤沢 数希

20世紀はいうまでもなくコーポレートの時代だった。大企業が生み出すモノやサービスが世界を豊かにした。そして大企業は多くの雇用も生み出した。大企業は世界中に進出し、世界で一番安いところで生産し、一番高いところで売るようになった。グローバル化である。こういった世界の巨大企業は、国の政治や経済に大きな影響力を持ち、トップは時に数十億円以上の報酬を受け取っていた。金融コングロマリットは、世界同時金融危機、リーマン・ショック、ギリシャ・ショック、ユーロ危機と、良くも悪くも、その影響力を魅せつけることになった。しかし、筆者はこうしたコーポレートの時代は終焉を迎えつつあると思っている。理由はみっつだ。


ひとつ目は、モノやサービスのコモディティ化が進んだことだ。人間の欲望に限りがない、と言われるが、実はかなり限りがあったようだ。衣食住を担う生活必需品は、多国籍企業が世界の最適地で生産し、驚くほど安くなった。このように質の高い生活必需品が世界中に安価に供給されるようになった。その結果、最近、成長している産業といったら暇つぶし産業ばかりになった。携帯ゲーム、ソーシャル・メディア、美容などだ。既存の生活必需品を扱う産業は、重要であるが、今後大きなイノベーションはあまり期待できず、それゆえに退屈な公益企業のようになっていくだろう。ユニクロのように、ごく一握りの経営戦略を決定するマネジメント、個人契約をしているトップ・デザイナーの下で、ほとんどの労働者が安い給料で働くことになる。

ふたつ目は、金融機関の社会主義化である。世界同時金融危機以降、儲かった時はボーナスを自分のポケットに入れ、大損した時は納税者に救済される、金融コングロマリットのビジネスモデルは、激しく非難された。筆者は、金融機関の機能分離とダウンサイジングで、失敗したら潰れるようにするのかと思ったが、自らの権益を肥大化させるのが仕事である各国の監督当局は、むしろ現在の体制を維持し、資本を積み増したり、リスクの高いビジネスを規制するなどの表面的な解決策に留めた。こうして監督当局は大きくなり、民間の金融機関はますます”Too big to fail”になった。これからは、政府に管理される金融機関で、公務員がリスクテイクする時代になったのだ。こうして、かつては数十億円もあった金融機関の経営者の年収は、わずか数億円程度と、10分の1ほどになった。

みっつ目は、インターネット・テクノロジーの大幅な進歩である。今では、個人が無料で世界中に情報を発信できるようになった。また、個人が世界の金融市場で、ダイレクトに金融商品を取り引きできる。こうやって、個人の才能をベースとするビジネスは、大企業に所属しなくてもできるようになった。今までは、世界に大きな影響を与える仕事の多くは、大企業の中でしかできなかったが、これからは個人が直接できるのだ。大企業は、むしろプラットフォームを提供する側に回り、やはり公益企業のようになっていくだろう。

例えば、筆者が関わっている個人メディアでは、堀江貴文氏が有料メルマガで年間1億円以上を売り上げているのは有名な話であるが、それほど遠くない将来に、ブログ、ツイッター、メルマガ、セミナーなどで、同じく個人で1億円以上を稼ぎ出すクリエイターがちらほら出てくるだろう。メディアの主役が、テレビや新聞から、インターネットで武装した個人にシフトしていくのだ。少なくとも、クリエイター個人の報酬という点に関しては、そうなりつつある。

金融ビジネスも、社会主義化して身動きの取れなくなった金融コングロマリットから、ヘッジファンド、独立したリサーチハウス、ブティック投資銀行、そして個人投資家にシフトしていくだろう。2012年は、おそらく過去のコーポレートの時代、グローバル化の時代の終わりの始まりであり、傑出した個人が、インターネット・テクノロジーで武装し、世界のマーケットで直接大企業と対等に競争をはじめる年になるだろう。

参考資料
フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか、ダニエル・ピンク(著)、池村千秋(訳)
過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか? 池田信夫