前回のアゴラ記事、日本から大学が消える日に対し、多くのコメントを頂戴した。しかしながら、率直に言って的外れな物が多い。戦後一貫して大学はバブルの状況にあり、バブルは必ず終焉すると言う鉄則を理解していないからだと思う。
日本経済、そして更には日本社会の転機は1985年のプラザ合意であったと思う。プラザ合意に続く1990年迄の5年間、日本は経済も社会もバブルに熱狂し狂奔した。
しかしながら、バブルの運命は100%「破裂」と決まっている。恒久的バブル等有り得ず、何時か必ず終焉するのである。そして、バブルの後遺症は「不良債権」であり、バブルの後始末とは「不良債権処理」である。
以降の日本に就いては、「失われた10年」とか、「失われた20年」とかと語られる事が多い。要は、バブルで太った体を絞って真面な体型にする調整機関であった。「人財」として勤め先から大事にされて来た従業員が、「人材」に格下げになり、更にあっと言う間に「人罪」と謗られリストラが日常化したのは記憶に新しい。
そして、これは何も日本に限った話ではなく、英国で進む公務員50万人の大リストラ(「週刊東洋経済」5月26日号から) を参照する限り、イギリスは日本等比較にならぬスピードと規模で日本では中々難しい公務員のリストラを断行している。
大学が社会システムに組み込まれた存在であるのなら、本来、社会のこういった動きに無縁では有り得なかった筈である。しかしながら、大学は戦後一貫して肥大化を続けて来たのではないか? 別の言葉で言えば、「恒久的バブル」を謳歌して来たのではないか? そんな事がそもそも可能な筈かないのである。
既に述べた通り、バブルの弊害は「不良債権」となって顕在化する。大学を例にすれば、過剰の建物(教室)、教職員、学生そして卒業生と言う事になる。先ず、大学の「内」と「外」の温度差に直面したのは、当然の事ながら卒業生である。
真面な企業に正社員として就職出来ず、その後不安定な人生を送っている人間を「ロスジェネ」と呼んで、あたかも「時代」の犠牲者の如く語られる事が多い。正しくは、「大学バブル終焉」の犠牲者である。早い人なら既に40才を超えているのではないか? 人生を通じ、殆ど納税や社会保障費の負担に関与する事無く、近い将来生活保護受給者に転落するのではないか?
訝しいのは、大学が何ら是正に向けた施策を実行する事無く、本来不良債権となった筈の建物(教室)、教職員を温存し、百年一日の如く不良債権たる卒業生の量産を継続している事実である。勿論、買い手は付かないのでハローワークと言う名の「バッタ屋」に引き取って貰う様である。
大学関係者も、もういい加減に「大学バブルの終焉」を自覚し、不良債権たる大学そのもののリストラに着手しては如何であろうか?
山口 巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役