玉砕はなぜ生まれたのか - 『未完のファシズム』

池田 信夫

未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)
著者:片山 杜秀
販売元:新潮社
(2012-05-25)
販売元:Amazon.co.jp
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先週紹介した橘玲氏のように日本人は「無宗教」だとか「合理的」だとかいう通俗的な日本人論は多いが、日本人が合理的なら、かつての戦争で「天皇陛下バンザイ」と叫んで玉砕するバンザイ突撃のような狂信的な作戦で世界を震撼させたのはなぜか――本書はこの謎に見事に答えている。

日本軍は日清・日露戦争までは「まぐれ当たり」で勝ったために自己の力を過信し、太平洋戦争まで暴走してしまった、という解説がよくあるが、その間には第1次大戦があった。これはそれまでの地域紛争とは質的に異なる総力戦であり、そこで勝敗を決するのは動員できる物資の量だから、日本のような「持たざる国」がアメリカのような「持てる国」に勝つことは不可能である。

これを誰よりもよく理解していたのは、当の軍人だった。したがって持たざる国である日本が戦争に勝つ道は、論理的には二つしかない:

  1. 日本より貧しい国だけを相手にして戦争する

  2. 日本がアメリカを上回る経済力をもつまで戦争しない

このうち1の路線をとったのが小畑敏四郎などの皇道派であり、2をとったのが永田鉄山などの統制派だった、というのが著者の理解である。この分類にはやや無理があり、特に石原莞爾を統制派としていることは疑問だが、こういう路線の対立があったことは事実だろう。

1935年に永田が暗殺された翌年、二・二六事件で皇道派が排除され、陸軍は東條英機を中心とする統制派の一元支配になる。しかし東條の方針は永田のような持久戦思想ではなく、石原が引き起こした満州事変をきっかけとしてなし崩しに戦線が拡大したため、上のどちらの路線とも違う持てる国を相手に戦うという不合理な戦争を始めてしまったのだ。

政治家も軍幹部も対米戦争で勝てるとは考えていなかったので、国家としての意思決定が機能していれば、どこかでブレーキがかかったはずだが、明治憲法では内閣に憲法上の権限がないため、最高意思決定機関がなかった。軍の統帥権も独立しているため、実質的な中枢だった元老の権力が(山県有朋を最後に)衰えると、軍部の「下克上」に歯止めをかける人がいなくなった。

東條は首相と陸相と参謀総長を兼務して「ファシスト」と呼ばれたが、首相が軍の最高指揮官をつとめるのは当然である。東條が政府と軍のトップを兼務したのは、バラバラになっている意思決定を統合するためだったが、もともとタコツボ的な統治機構を彼のようなサラリーマンが統率できるはずがない。本物のファシストだったら勝てない戦争は止めたかもしれないが、東條はむしろ不完全なファシストだったために止めることができなかったのだ、というのがタイトルの意味である。

勝てるはずのない戦争だが、始めた以上は勝てる理屈を考えなければならない。そこで東條が兵士に配布した『戦陣訓』では「生きて虜囚の辱を受けず」といった精神論が展開された。この発想が東條の腹心で『戦陣訓』の作者の一人とされる中柴末純少将によるものだ、という仮説が本書の最大のポイントである。

戦力で圧倒的にまさる相手に勝つためには戦力の差を精神力で埋めるしかないが、ちょっと作戦を工夫するという程度ではとても差は埋まらない。理科系の工兵だった中柴は、この点を理解していた。では、その差を埋めるにはどうすればいいのか。彼はなんと、日本兵がどんどん積極的に死んでみせればよいと考えたのだ。

最終的に戦争の勝敗を決めるのは物理的な消耗ではなく、戦意を喪失したほうが負けるのだから、敵国に「こんな気の狂った集団と戦うのはたまらない」という恐怖を与えれば、和平を求めてくるかも知れない。現実に日露戦争ではロシアのほうが戦力でまさっていたが、国内で革命が起こったために戦争を終結せざるをえなかった――というのが中柴の論理である。

彼自身がこの論理を信じていたかどうかは疑問で、ある種の演出として考えたようだが、ここから導かれる戦術は悲劇的だ。劣勢になっても退却も降伏もせず、弾薬がなくなったら日本刀で突撃するバンザイ突撃や、特攻作戦のような自殺的な戦法は、非常識であればあるほど敵兵を恐怖に陥れる演劇的な効果を発揮する。

もちろん、そんな演技で勝てるほど戦争は甘くないが、印象的なのはこんな荒唐無稽な命令を信じて数十万人の兵士が玉砕したことだ。日本人は「無宗教」どころか、いったん醸成された「空気」をきわめて信じやすい国民なのだ。同じような盲目的な感情の暴走は、今でも反原発デモなどにみられる。かつて軍部はそれを巧妙に利用したが、今後もそれを利用する勢力が出てこないとは限らない。